【前の記事を読む】民主化運動の「アジト」だった書店、若きロック歌手たちに後を託す
釜山は1950年に起きた(朝鮮)戦争で臨時首都が(53年まで)置かれ、戦争を逃れた人たちが大勢やってきた。やはり避難してきた夫婦が、米軍から流れた外国の雑誌をリンゴ箱に入れて売っていたのが、この通りのはじまりと言われている。この近くの国際市場のあたりには子どもたちのための青空学校もあった。知識人も多く避難していた。勉強や教養のために本を求める人がいる一方で、生活のために蔵書を手放す人もいた。だんだんと店が増えていき、一番多かった70年代には70軒以上もあったのです。いまは40軒ほどでしょうか。
私が店を開いたのは80年代。かれこれ40年で、通りでも5本の指には入る古株です。開店したころ、韓国はまだまだ貧しく、破れた教科書をのりで貼って使うなどしていました。私は1955年生まれですが、小さいころは本が好きだったのにあまり勉強させてもらえなかった。大人になってオートバイや冷蔵庫の修理をしていたのですが、どうも性に合わない。そんなときに古本屋の世界に出会った。
始めてみると楽しい。本が好きなんだな。本の一部だけ見て題名をあてたり、落書きや破損を修理したりするのがうまいと言われて、テレビ番組で「達人」なんて取り上げられたこともあります。捨てられた本がスクラップ屋さんに集まってくるので、そこを回って価値ある本を買いつける。行商の人が売りにきたり、個人が引っ越しするときに買ってほしいと持ち込んできたりする場合もある。大きく稼げやしないけど、本好きにはやめられない商売です。
90年代はにぎやかだった。新学期が始まる春先になると、参考書など学習書を求めてお客が並んで、この狭い通りがおしあいへしあいになった。うちも、もともとは学習書や絵本といった子どもの本を専門にしていましたが、子どもの数が減ってしまって売れない。いまは小説、美術から社会科学まで、何でも扱っています。日本の本もたくさんある。「雪国」(川端康成)、「氷点」(三浦綾子)、「人間の條件」(五味川純平)などは長く読まれています。
私もそうですが、若い時に読んだ本がまた、何かの拍子に読みたくなることがある。本を読みながら、昔の自分にも出会うような気分になる。これも、読書のおもしろさだと思う。私自身は韓国の近代文学が好きで、先日も絶版になって探していた「青春劇場」(キム・ネソン)がほかの古書店で見つかったので、買いました。読むのが楽しみです。
インターネットの時代に入って、この店もネットを通じた販売をしています。本を手にとってページをめくるのではなく、スマホを読む人が増えて、店主の年齢が限界に達したら店を閉じるところが多い。うちの息子はゲーム会社で働き、娘は小学校の先生をしています。子どもに後を継がせるか? そんなことは考えず、まだまだここにいますよ。またいらしてください。
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