ギリシャ人が「マケドニア地方」、住む人を「マケドニア人」と呼ぶ同国北部の中心都市テッサロニキを訪れた。玄関口は「マケドニア国際空港」。エーゲ海に面して開けた街の中心部の広場には巨大なアレクサンドロス大王像(①)がそびえ立つ。
マケドニア王国滅亡後はローマ帝国、東ローマ(ビザンツ)帝国などの支配を受けてきただけに、ローマ時代の凱旋門(②)や、牢獄として使われていた「ホワイトタワー」(③)などの遺跡があちこちにある。ビザンツ時代の教会は、数メートル掘り下げた当時の地盤の上に建てられていることが多い。
遺跡がごろごろ出る街ゆえに困ることもある。テッサロニキ駅(④)などを通る予定の地下鉄工事が一向に進まないのだ。昨年末には首相も出席して大々的な「開通式」があったが、肝心の車両はどこにもない。動いたのはエスカレーターだけで「世界初、車両のない開通式」と報じられた。2020年の開通予定というが、どうなるか。
テッサロニキの西約40キロのところに王国の首都で、アレクサンドロス大王が生まれた「ペラ」という村があると聞き、足を延ばした。もともと畑だったところから遺跡が見つかり、1950年代から大規模な発掘が始まったという。遺跡の中に立つと、碁盤の目の区画や石柱の配置から、今の村からは想像もできない大都市だったことがわかる。
実は、ペラから北マケドニア国境までは高速道路を使えば1時間もかからない。だが、ペラの近くに住むバシリス・クルティディス(47)に聞くと「向こうにはカジノに行くか、安いガソリンやたばこを買いに行くぐらいしか用はない」。「北マケドニア」ではなく、首都の「スコピエ」と呼び、「スコピエにはマケドニア王国の遺跡はない。後から入ったスラブ人がマケドニアを名乗るのはおかしい」と怒った。
村に不釣り合いなほど立派な考古学博物館に、マケドニア王国が最大勢力を誇っていた時の地図が掲げられていた。北マケドニアはおろか、セルビアやブルガリアまでがすっぽりと入る。クルティディスの言葉を思い出しつつ、考えた。「この地図にある地域がマケドニアの国名を残し続けているなんて、巨大帝国がギリシャ文明を各地に伝えた『証し』だ」。そう考えたら、ギリシャ人も誇らしいのではないだろうか。
■エーゲ海の意外な「庶民の味」
エーゲ海を望む街で、イワシやタコのグリルなど海の幸がおいしいのは当たり前。だが、魚は肉より値段が張るという。地元の人におすすめを聞くと、魚の中では「最も庶民的」というタラのフライを紹介された。
タラは主に北海で取れた塩漬けが使われるというが、ギリシャには「バカリアラーキア」というタラ専門店がある。海岸通りから山側に少し入った所にある「トゥ・アリストゥ」(⑤)は1940年創業で、地元に愛される人気店。早速タラのフライ(7.5ユーロ、約940円)を注文した。
見た目はまさに英国の「フィッシュ・アンド・チップス」だが、「スコルダリァ」(125グラムで1.5ユーロ、約190円)というニンニクのディップをつけるのがギリシャ風。タラの身にほどよい歯ごたえと塩味があり、ホルタというゆで野菜と合わせて、あっという間に平らげてしまった。もともとは復活祭に向けて肉食を控える中でのメニューだったが、ギリシャ人のソウルフードとして定着したそうだ。
■ペラの遺跡と博物館
マケドニア王国の都があったペラへは、テッサロニキから路線バスが出ているが、乗り換えが必要なのでタクシーで行く方が便利。道沿いで、日本の「円墳」にそっくりな古代の墓が見られる。
考古学博物館は午前8時半から午後3時半までで、入場料4ユーロ(約500円)。屋外の遺跡も含め、火曜休館なので注意。
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