メキシコ史の証人ともいえるソカロ広場(①)は、大統領府にあたる国立宮殿(②)や大聖堂(③)に面する。植民地時代から政治の中心だった石畳の広場では、さまざまな国家行事が行われる。9月16日の独立記念日の行事は最も重要なイベントの一つ。1810年のこの日に始まった、スペインからの解放を求めた独立戦争がメキシコの「第1の変革」だ。
独立記念日前夜には、宮殿のバルコニーから大統領が「ビバ!メヒコ(メキシコ万歳!)」と叫ぶ「グリト」という恒例行事がある。2021年のグリトがひと味違ったのは、広場にアステカ文明のピラミッドのレプリカがつくられたこと。独立後もスペイン系などの白人が支配階級となり、先住民は貧しい生活を強いられてきた。歴史を見直し、先住民の権利を擁護しようというロペスオブラドール氏の見方が反映された。
ソカロ広場から西に進み、美術館と劇場があるベジャス・アルテス宮殿(④)を過ぎてさらに行くと、19世紀半ばの政治家ベニート・フアレス像(⑤)がある。「第2の変革」であるレフォルマ革命を率い、独立後も政治に大きな影響を与えてきた教会や軍隊が持つ特権を廃止した。
だが、銅像の周囲は19年11月以降、板で囲まれている。現政権で活発になったフェミニズムのデモ隊が「生きた女性の権利より、男性の銅像の方が大事にされてきた」とペンキを浴びせるためだ。過激な行動だが、マチスモと呼ばれる男性優位主義が根強い社会で、自由を求める空気が広がっていることの裏返しでもある。
さらに西へ行くと、革命記念塔がそびえる。1910年から始まったメキシコ革命の博物館であり、英雄が眠る墓所でもある。政治の民主化、農民や労働者の解放、外国資本による支配からの脱却を求めたメキシコ革命が「第3の変革」だ。
1876年開業のレストラン「オペラ」(⑥)に革命の英雄パンチョ・ビリャが放った鉄砲の弾の跡が残る。従業員のホセ・サンティアゴさん(39)は「メキシコ人はメキシコ革命の魂を持ち続けている。それがいまの第4の変革につながっている」。
変革と反動を繰り返しながら、歴史に新しい意味を付け加えてきたメキシコ。歴史的な建造物は過去を閉じ込めただけのものではない、と教えてくれる。
■「神々の酒」の盛衰
歴史地区を少し離れたところにあるサンフアン市場(⑨)のそばに、プルケというアルコール飲料を出す店「プルケリア」がある。今では、数少ない店の一つだ。
プルケは、リュウゼツランから作られる、白く濁った醸造酒。韓国のマッコリに似て甘酸っぱい。先住民の間で飲まれ、儀式でも使われることから「神々の酒」とも呼ばれていたという。植民地時代には国民的な酒となった。
20世紀初頭には市内に1000軒あったというプルケリアだが、今は50軒ほど。姿を消すきっかけは、皮肉にもメキシコ革命だったという。革命を通じ「メキシコ人とは誰か」が問われる中、テキーラが国民的な酒、という認識が広がった。蒸留酒で保存が利くテキーラの消費が伸び、発酵が早く、産地の近くでしか飲めないプルケは不衛生で貧困層のものというレッテルが貼られた。
思い込みで伝統を消し去ろうとする人間の愚かさを思いながら、ジョッキに注がれたプルケをあおった。
■地下にはアステカ遺跡
市中心部は、侵略したスペイン人に破壊されたアステカの都市テノチティトランの上に建設された。地下にはアステカの遺跡が眠る。大聖堂裏の神殿跡テンプロマヨール(⑦)は1978年に発見され、発掘が始まった。石積みの神殿の大きさや精巧さだけでなく、すでに水道を利用していた文明にも目を見張る。
■地震に耐えてきた展望台
メキシコは地震国。1985年と2017年には、ともに9月19日に大地震が起き、多数の死者が出た。湖を埋め立てたメキシコシティは揺れが大きい。こうした地震に耐えてきたのが1956年完成のラテンアメリカタワー(⑧)だ。中には博物館もあり、ビルの構造も解説されている。展望台からは市内が一望できる。