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ゴアはもうインドの「ヒッピー天国」ではない

ニューヨークタイムズ 世界の話題 更新日: 公開日:
かつては汚れなき砂浜だったゴアのバガ・ビーチは今、衣服を売る店やタトゥー・パーラーが並んでいる=Bryan Denton/©2019 The New York Times

ヨギニ(Yogini)の名で呼ばれるのを好むドイツ人のエリザベス・ラムナッハー(58)は、ヒッピー天国だった当時のゴアがどんなところだったかを従業員たちに見せたかった。ただ、一つだけ問題があった。服を着ている自分の写真が見つからなかったのだ。

数十年前、ヨーロッパからインドへと旅立ったヒッピーたちが最後に行き着いたのがゴアだった。安く暮らせ、ドラッグもたっぷりあり、海で泳ぐ時はヌードがふつう。そうした場所でドロップアウト(確立した社会から身を引く)するのを望んだヨーロッパ人たちを、ゴアの浜辺は歓迎した。

「ゴアの人びとの生き方や開放性がヒッピー文化を育てた」とラムナッハー。彼女が初めてゴアに来たのは1980年代だった。現在は、ゴアでVilla Blancheという人気カフェを経営している。

しかし、ここに築かれた当初のカウンターカルチャー(訳注=既存の価値観や慣習を拒否した若者文化)のコミュニティーは今や、ほとんどが消え去ってしまった。歳月が経ったことや生活費が高騰したこと、そして1970年代後半のヒッピートレイル(ヒッピーたちが行き来したルート)が戦争で閉ざされたことなどの結果である。

コミュニティーの生き残りたちによると、ヒッピーたちが自活のためにはじめた非公式なビジネスに対する政府の厳重な取り締まりが最終的な一撃になった。

今日、ゴアのライフスタイルは変わってしまい、それがまったく新しいタイプの旅行者――若いインド人たち――をひきつけている。彼らはかつてのヒッピーのように自分探しのためにここに集まってくるわけではない。独身時代最後の女子会パーティーに参加するかバーでのバカ騒ぎを楽しみたい人たちが来るのだ。

ゴアの浜辺を歩くインド人カップル。インドは好景気のおかげで国内旅行を楽しむ中産階層が育っている=Bryan Denton/©2019 The New York Times。1970年代から80年代、物価が安く、自由で開放的なゴアはヨーロッパなどからのヒッピーの「天国」だった

インド経済が急発展し、20年前にはほとんど無きに等しかった中産階層が成長するにつれ、ゴアは自由奔放なタイプのヨーロッパ人がくつろぐ飛び地からインド人が大挙して押し寄せる観光地へと変身した。

「ゴアは(かつての)ゴアではない」とデービッド・デュソーザは言う。重低音が激しく響く野外のナイトクラブTito'sのオーナーで、以前は彼の父が1971年に開いたビーチハット(浜辺の小屋)のレストランだった店だ。「ゴアは、今やインド化している」と彼は言い添えた。

Tito'sがある通りには、Bollywood Discotheque や Cocktails and Dreamsといった似たような名前のクラブがひしめいている。そのあたりを散策すると、光や音が目に入り、耳をつんざく。ネオンのきらめき、ブツを売る麻薬の密売人たちが時折叫ぶ声、夜空の四方八方からは電子音楽が不協和音となってこれでもかとばかりに聞こえてくる。

野外ナイトクラブTito's系列のCafe Mambo=Bryan Denton/©2019 The New York Times。経済の急成長を背景にインド各地からの観光客らで地元は潤っているが、誰もが大勢の訪問者を歓迎しているわけではない

「カネをしこたま稼いだ若いインド人たちの多くが、それをどっと使いたいのだ」とデュソーザ。「今は、ヤッピー(若い都会派のエリートサラリーマン)がたくさんいる」と言うのだ。

多くのインド人にとって、バケーション(休暇)というのは比較的新しい概念で、過去30年にわたる経済の自由化、その結果としての急速な経済成長の産物である。

人口13億の国で、仮にその1%が中産階層に加われば、バケーションをとれる人が新たに1300万人増えることを意味する。国連の推計によると、インドでは、国外旅行に出かける人が10年前は800万人だったが、2022年までには5千万人に膨らむ。

インド経済は過去18年間、毎年平均約7%の成長率を記録してきたが、典型的な中産階層の家庭の収入レベルは西洋の中産階層と比べるとまだまだ低い。観光旅行先がゴアのような国内に向かうのは、そのためでもある。

ゴアを訪れる年間観光客の数は、ゴアの人口150万の5倍に達する。

インド北部の都市チャンディガルから来ていたジャグディープ・シン(35)は、ゴアの浜辺の中心にある通りで、義理のきょうだいとおしゃべりをしていた。そこはゴミが散らかり、ビールのロゴがプリントされた傘が立ち、ビーズやスカーフを売る行商人たちがいた。シンと義理のきょうだいは黒と白のミッキーマウスの絵がついたTシャツを着ていたが、その装いは2人の黒いターバンを際立たせた。彼らは一家18人が波間で遊ぶのを見つめていたのだが、その半数はミッキーマウスのTシャツ姿で、あとは運動着タイプのキャプテン・アメリカのTシャツを着ていた。

「私の両親は、こういう文化では育っていない」とシンは言う。「両親がここに来るとしたら、きちんとした服装で来るだろうし、ここには水着姿で酒を飲んでいたりする人たちがいるので不快に感じただろう」

シンは、こうした場所でバケーションを楽しむことができるようになった背景としてインドの民間経済の成長を挙げる。彼の父親は政府の職員で、安いサラリーしかもらっていない。

「私が子どものころ、家族でバケーションに行ったことなどなかった」。そうシンは言い、「私の息子は2歳だけれど、彼がゴアに来たのは2回目。息子は、私の両親よりも多くのインドを見ている」と話していた。

ゴア・アンジュナにある、のみの市の一角を歩く観光客。外部から来た人たちが店を経営している=Bryan Denton/©2019 The New York Times

海岸線を少し行ったところには会社の保養所があり、そこではインド人の男性グループがおそろいの麦わら帽子をかぶり、バドワイザーのボトルの栓をポンポン抜いたり、空きびんを海に向かって放り投げたりしていた。

その近くではインド北部のグジャラート州から来た家族がバナナボートに飛び乗り遊んでいた。女の子たちは長そで姿だった。

観光旅行は地元の経済にとっていいことなのだが、だれもが大勢の観光客の流入を歓迎しているわけではない。

フランシスコ・ザビエルの遺骸が安置されているオールド・ゴアのボム・ジェズ教会には多くの観光客が押し寄せ、写真を撮っている=Bryan Denton/©2019 The New York Times

ゴアへの旅行者たちは多くがインド北部からの人たちで、そこは保守的な慣習が支配的だ。ゴアの人たちは彼らが「完全菜食主義」の食べ物を求めることを嘲笑し、ジーンズをはいたまま海で泳ぐことをバカにする。ビキニ姿の女性の写真を撮ることにも非難の目を向ける。

インドで最も小さい州のゴアは、1961年にインド軍が領土を併合するまでポルトガルの植民地だった。

ゴア州の計画相は昨年、インド北部からの観光客を「地上のカス」とまで呼んだ。

ゴアの人たちは、自分たちのライフスタイルを、ポルトガル語の「sossegado(穏やか)」に由来する「susegad(平穏な)」と形容している。この言葉には、ここの暮らしのゆったりした充足感の意味が込められている。

ゴアの住民や長期にわたる訪問者たちは、北部からの人びとの流入でゴアの寛容な文化が変質してしまうことを懸念しているのだ。
「ゴアは、人をリラックスさせてくれる場所であり、そうありたい自分でいられる場所なのだ」とスタフォード・ブラガンザ(45)は言う。彼の家族はゴアの出身だが、彼は現在ムンバイに住み、化粧品会社ロレアルの教育担当長として働いている。

ゲイでもあるブラガンザは、友人2人とゴアのビーチで日光浴。いずれもが赤いSpeedoブランドに似た水泳パンツをはき、彫刻像のような胸を日光に向けていた。

インドの最高裁は昨年、ホモセクシュアルを処罰の対象からはずしたが、北部からの観光客がいると自由な感覚が減じられ、さほど「susegad」な気持ちにはなれないのだと言う。

「ゴアの人たちには許容するという特別な文化がある」とブラガンザは言う。「ところが今は多くのインド人があらゆる地方から(ゴアに)やって来て、保守的な都市からそれぞれの社会規範を持ち込んでいる」

もっとも、ヒッピー天国だった日々を懐かしむ感覚には間違いもある。当時、緊張がなかったわけではないからだ。ブラガンザの母親は、ヒッピーたちが裸で泳ぐ――インドでは禁止されていた――という理由から、彼が子どものころは浜辺に行くことを許さなかった。

カフェを経営している冒頭のラムナッハーは、西洋のヒッピーたちの行動が時としてやり過ぎだったと認めている。「私たちはたぶん、一線を越えていた」と彼女は言うのだ。

ゴアの海岸アンジュナのマーケットがヒッピーのバザールだったころ、そこはおカネではなく物々交換の世界だった。だが10年ほど前、政府が介入して税金を払い、営業権を買い取るよう商売を規制し始めて以来、ヒッピー商人のコミュニティーはほとんどが一掃されてしまった。

今日では、ゴアの商人と殺到する観光客目当てにインド各地から来て営業をはじめた商人たちの間で緊張が高まっている。カシミヤの毛織物といった品物を売る新参の露店もある。カシミヤは北部インドなら一般的だが、一年中暑いゴアでは考えられない衣服だ。

かつてのヒッピー・マーケットが残っているところもあるが、そこの売り手たちは先行きがそう長くはないことを認めている。

「無断営業の時代は終わる」とミシェル・アントニオ(53)は言う。手づくりの工芸品を売っているブラジル系イタリア人の商人で、ゴアに住みついて25年ほどになる。

「そう、ここは取り締まりが厳しくなっている」と彼は言うが、それを苦々しく思っているわけではない。むしろ、これまで長く商売ができたことに感謝している。

「わたしの母国は、外国人をそれほど歓迎してくれているわけではない」とアントニオは話し、「自分の国ならこれほど長い間、『susegad』な暮らしをさせてはくれなかっただろう」と付け加えた。(抄訳)

(Maria Abi-Habib)©2019 The New York Times ニューヨーク・タイムズ

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