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ミャンマーの仏教文化は、社会のセーフティーネットになっている(後編)

ミパドが行く! 更新日: 公開日:
タタナパルナ僧院学校。ウ・インダ住職と子どもたち

2013年から2018年まで、私たちはミャンマーのバゴー地域西部のビィ周辺で僧院学校16校の校舎の建設支援をしてきた。私自身も半数以上の学校を校舎モニタリングなどで訪れた。多くは雨漏がする暗く、老朽化した校舎だった。訪れる度に「この教室で勉強ができるのか」と言葉を失った。

私たちが2017 年に校舎一棟の建設を支援したタタナパルナ僧院学校。ピィから車で2時間の電気も水道もない貧しいテンゴン村にある。住職で校長のウ・エインダさん(36)2011年に開設した。現在、小中学生358人が学ぶ。県外からも子どもを受け入れているので大半が寮生活。3食を学校が提供する。低学年の教室は、僧院の敷地の木陰にある。細い木の柱に竹と椰子の葉でふいた簡素なつくり。壁はなく、椅子や机もない。あるのは黒板だけ。まるで青空教室のようだ。男子は集会所や空いている場所で寝起きしている。女子の寮の建物はあるがコンクリ―トの床にゴザを敷いたのみ。校長は「子どもたちが全員寝てから空いた場所で寝るので毎日、寝る場所が変わる」と苦笑する。校長の人柄が子どもたちに表れている。子どもたちは表情が豊かで明るく楽しい自由な雰囲気が溢れている。

タタナバルナ僧院学校の野外教室で学ぶ子どもたち

この僧院学校も地域や全国の信者からのお布施や寄付に頼る。

上座部仏教では、「功徳」「喜捨」が基本。現世で徳をどれだけつめるかが大切で、貧乏、金持ち関係なく自分の収入に合わせて寄付をする。タイやラオスでも同様だが、ミャンマーの人々の寄付は半端ではないと思う。

前回紹介した児童養護施設の寄付リストを見ると、金銭による寄付の場合、校舎建築のためのレンガ1個6円からあり、セメント1袋約500円、木材1トン約5万4千円といった建材などが並んでいた。ほかに、子どもたちの食事などもあり、肉無しの1日の食事11500円(300人分)朝食約6000円(300人分)などが書かれてた。

また、米、食用油、塩、肉、野菜、薬や古着などもあり、お金だけではなく、現物でも受け付ける仕組みになっている。この施設では食事を寄付をした人には、子どもたちの前で紹介して、名前を呼んで感謝の祈りを捧げ、さらにその場で感謝状を渡していた。

ただ、寄付には限界があり、校舎や教室だけでなくノ―トや鉛筆なども不足している。ウ・エインダ住職は「毎日、FB等のソーシャルメディアを活用して子どもたちの現実を国内外に発信し、資金やお布施を集める努力をしている」と語る。

タタナパルナ僧院学校の少年僧。昼食の前に僧院内で托鉢をする

教師と五つの宝

物資だけでなく、僧院学校では教師の確保も簡単ではない。僧院学校の教師の給料は公立校の4分の1。若い教師たちは、街中の学校で教えることを望み、遠隔地の農村の学校は敬遠される。それでも教師が集まるのはなぜなのか。不思議に思っていた私に 昨年、ミャンマー人の知人が「五つの宝」というものを教えてくれた。それは「仏・法・僧・親・師」。幼い時から家庭で尊ばれて教えられているのだという。

つまり、教師は、仏陀と同じレベルで敬われている。理由は、生徒に様々な知識や知恵を教えてくれるからなのだという。伝統的にも教師は、社会から僧侶と並んで尊敬されてきた。ちなみに僧侶は、早朝4時に起床して托鉢。食事は一日2回。仏教の講義と瞑想を就寝の22時まで続ける。上座部仏教の227の厳しい戒律を守って生活し、仏教大学や僧院で仏教を深く学び、経典やパ―リ語の試験を受け、試験によって僧侶としての地位が上がる。尼僧のドーワナティリさんは18年間全国の僧院や尼僧院で瞑想を重ね、仏教を深く学び修行を重ねた人だ。僧院学校の教師の給与が、公立の教師の給料の半額どころか4分の1でも継続される理由もわかる気がした。今も教師がミャンマーの社会と文化と価値の中で位置づけられている。

ピィの街中にあるクートン僧院で仏教を学ぶ僧侶たち

「誰一人取り残さない」モデルになるのか

ピィ周辺でも子どもたちの3割が小学校を卒業できない。中学校には半分しか通えていない。NGOの活動の使命と価値は、政府機関や民間の企業等から支援の届かない社会の最底辺の困難な環境にある子どもたちの支援にある。語るは簡単だが実行し成果を出すのは容易ではない。現場で常に抱えるジレンマだ。私たちが図書館活動と同時に僧院学校支援を続けてきたのは、こうした背景がある。

2015年国連が採択したSDGs(持続可能な開発目標)。国際社会が2030年までに貧困等を撲滅して持続可能な社会を実現する基本理念が「誰一人取り残さない」だ。

日本でも6人に一人の子どもが貧困を抱える。ミャンマーは、格差と貧困問題の「先進国」。それも日本のような相対的貧困でない絶対的な貧困だ。僧院学校には、地域の中で最貧困層の子どもたちのセーフティネットの意味もある。歴史、文化、社会の背景は異なるがミャンマーの僧院学校は、SDGsの「誰一人取り残さない」につながっているように見える。日本の子どもたちの貧困問題を解決するヒントがあるかもしれない。「一人の子ども、一人の教師、一本のペン、一冊の本が世界を変えられる」とは、ノ―ベル平和賞を受賞したパキスタンのマララ・ユスフザイさんの有名な言葉。加えて「ミャンマーから一人の僧侶や尼僧が世界を変えられる」のではないかと思う。

ミャンマーの有名企業の職員が、一年間で貯めた寄付金を持って、ヤンゴンから大型バスでやってくる光景にも出会ったことがある。寄付という行為を通してチームワークの構築、社会への貢献、そして、それが誇りになるという企業文化を醸成させる仕組みが出来ているのだと感激した。ピィの三大ハゴダを参拝し、恵まれぬ子どものための寄付と社員旅行ができる。支援される側、支援する側、モノ・お金がそれぞれが役に立つ。三者の利益がある素晴らしいことだと思った。

ミャンマーの9割を占める人々の精神文化の支柱と価値観と生活と一体となる仏教。寄付文化世界一を支える仏教。教育やボランティアの分野での役割も大きい。ミャンマーの仏教は知れば知るほど奥が深い。僧院学校を通して貧困に挑む、ミャンマーの若き僧侶や尼僧たち。その哲学と原点のミャンマーの仏教文化をより深く学ばなければと思った。来年、私たちは日本からの若手の仏教の僧侶を中心とした「ミャンマーの仏教文化に学ぶ旅」を開催する予定だ。

ミャンマーの僧院学校は、世界レベルの寄付文化で成り立っている(前編)を読む