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人生とは、タイムスリップそのものだ。我々は時空の旅人なのである――栗林隆

TRIP MUSEUM庭師の旅 更新日: 公開日:
ドイツを代表する芸術家、ヨゼフ・ボイスの樫の木の葉っぱを使ったインスタレーション。世の中の繋がりはスパイラルである。

前回、私はパリでの展覧会の話をした。
実はその後私はインドネシア人のアシスタントと別れ、一人そのまま列車に乗ってドイツに向かったのだ。

■連載の前回記事はこちら

久しぶりの「ヨーロッパの車窓から」である。
理由は、ドイツのカッセルという街で、他のグループ展覧会に参加するためである。
ドイツでの展示は、普通の展覧会とは違い、最初に通ったカッセル芸術大学の時のクラス展であり、半分同窓会みたいなものであった。
とは言え、カッセルを代表するフリデリチアヌム美術館内にあるカッセル・クンストフェラインでの展示だ。とても歴史がある美術館である。

フリデリチアヌム美術館の前に生えるヨゼフ・ボイスの木を今回は作品の一部にした。

このカッセルという街は、芸術と関係が深い。
芸術のオリンピックと言われる、ドクメンタという世界的な芸術祭が5年に1度開催されるのだが、私が住んだのはそのドクメンタの9から10(1992~97)までの約5年間である。私にとって最初の海外生活の拠点の街でもあったのがこのカッセルという街なのだ。
ドイツのほぼ中心にあり、ヘッセン州第3の都市であるカッセルは、グリム童話で有名なグリム兄弟が住んでいた街としても有名であり、第二次世界大戦前はミュンヘンにも並ぶとても古くて美しい街であった。
しかし、カッセルにあるフォルクスワーゲンの工場が戦時中に戦車などの部品を生産していたこともあり、街の80%以上を破壊され、今はその面影もほとんど見ることはできない。
歴史のある街ではある。

当時のカッセルは、ほとんど日本人が住んでいないとても静かな街であったが、ドクメンタが行われることもあり、多くのアーティストやアーティスト志望の学生が住む街でもあった。
自分もその中の一人であり、この静かな街の芸術大学に在籍していた。

ドイツの大学のシステムは入学するとベーシックコース、いわゆる基礎科、というところに一年間在籍する。ドイツは半年を1ゼメスタとするので、1年で2ゼメスタとなるのだが、その2ゼメスタを基礎コースで勉強することとなる。ここから面白いのは、その基礎コースの時に、大学内の自分のお気に入りの教授とコンタクトを取り、そのクラスに入れてくれないかと交渉をするのである。ほとんどの大学は学科や専攻でクラス分けしているのではなく、その先生の個人的なクラスに入ることとなるわけだ。
もちろん教授の好みもあるし、その先生が何を専攻に作品を作っているのか、ということもあるが、平面作品を作っているからといって平面の学生をとるわけでもなく、本当にその教授、作家の趣味や考え、気分次第で全ては決まってしまうのである。

この制度だと、確かに好き嫌いや偏見など、偏ることは多いのであるが、日本のように、日本画、油絵、彫刻、と先に専攻で入ってしまうと、その後違うことを行うのが難しくなる、ということもない。
好きなことを好きな場所で、教授さえ受け入れてくれれば、自由に移動しチャレンジできるため、表面的な表現方法ではなく、なぜ自分がその素材を利用しようとしているのかなど、深く追究ができ、作家として生きていくための課題などがはっきりしやすくなるのである。
とても理にかなっていることが多い。

何故か17年前の学生の時に作った私の作品が今も構内に残っていて、大学の象徴になっていた。

そして私も、ドイツでの基礎コースを修了後、自分の意思で好きな教授のクラスにチャレンジすることとなったのだ。
当時私は、ドイツ語を勉強してドイツに渡ったわけでもなく、では英語が堪能か?と言われれば、中学生英語に毛が生えた程度の語学力しかなかった。
多くの教授は、芸術大学であるとはいえ、最低でも英語でコミュニケーションが取れない学生を嫌う傾向にある。
まぁ、それもそうだ。
現地の言葉が喋れないと、なぜその作品を作ったのか、またそれはどういった意味があるのか、など説明できないのだから当たり前である。
自分の作品をきちんと説明できないと外国人である自分など、ほとんど相手にしてもらえなかった。
ましてや、まだ何を作っていいのかもわからないのに作品を説明する、といったところで、そもそも日本語でさえ説明不可能である。
インスタレーションという空間を使った作品を作ろうとしていた自分は、悩みに悩んでいたわけで、当然のように行きたい立体作家のクラスに入ることなどできなかった。

そんな中、一人だけ絵画のアーティストでありながら、自分がやろうとするインスタレーションの作品に理解を示し、快く受け入れてくれた教授がいた。
彼の名前はRob Scholte(ロブ ・ショルテ)。
オランダを代表する、当時若手の中でイケイケな存在のアーティストだった。
彼はいかにもオランダ人らしく、身長が190cm近くありガタイがしっかりとしたイケメンだった。オランダを代表するモデルさんと結婚をし、誰もが羨む成功街道を進む豪快な人間だった。いつも大声で笑い、ニコニコとしながらオランダ訛りのドイツ語で、「タカ、いいぞ!もっと好きなことをやれ、どんどんやれ!がはははっ」と背中をバンバン叩いてくれた。
私を受け入れてくれたのが、年が明けたくらいの時期だったので、私は春休み明けに本格的に彼のクラスで作品を作ることとなった。

左が師匠であるロブ ・ショルテ氏。右は美術史のウズラ氏、真ん中が筆者

春休みが終わり、最初のオリエンテーションに出たときのことである。
私は自分の目を疑った。
あの大きくガタイの良いロブが、車椅子に乗っているのだ。
しかも、どこからどう見ても両足がないのである。
驚愕した。

ロブは、春休みの間アムステルダムにある自宅に戻っていた。
ある日、車で出かけようとして運転席に乗り込み、アクセルを踏んだと同時に車が大爆発をしたというのだ。
完全にテロによるものだった。爆発した車からは爆弾の痕跡とその装置類が発見された。
当時、イケイケで歯に衣着せぬ発言をしていたロブのことを良く思わない連中が沢山いたこともあり、私怨だとも言われていたが、同じ車種の車に乗っていた人間を狙ったテロに間違って彼が巻き込まれた、ということなどがマスコミや新聞に掲載されていた。

自分はその事故の件を知らなかった。
当時はインターネットもなく、携帯がどうにか出回りだしたくらいの時代である。新人の私のところにはなんの連絡も来るわけがない。

数ヶ月ぶりに会い、その姿に動揺している私に対し、彼はいつもの満面の笑顔で言った。
「タカ、ようこそ俺たちのクラスへ!」
まるで何事もなかったかのように今まで通りに迎え入れてくれたのだ。

もう一つエピソードがある。
私は大のミニクーパー好きで(今のBMW傘下のデカく醜いミニではない)人生でもう7台も同じようなミニを乗り継いできている。とても小さな車で、大人が4人も乗るとパンパンになってしまう車だが。私は当時もその小さい車に乗っていた。
ある時ミニで走っていると、歩道を車椅子で移動しているロブを見かけた。
私は車を止め、サイドガラスを下ろして挨拶をした。
「こんにちは!ロブ。どちらに行かれるんですか?」
するとロブは、
「おぉ!タカ!元気か!?今から大学に行くんだが、そこまで乗っけていってくれ!」
といって、「がはは」と笑った。
小さい車である。
足は無くなったと言え、身体はごっついオランダ人でその上車椅子も積まなくてはならない。
私が慌ててロブの側に向かい、手助けをしようとしたその時だ、
ロブは「NO!Ich mache alles selbust!」(自分でやるから手を貸すな!)
といって、車椅子を畳んで狭い後部座席にしまい、汗をかきながら時間をかけて全部自分でやり通し座席に座ったのである。

私はその時、彼の鋼のような意志と決して諦めない心の強さ、そして自分に課した物凄い課題とルールを垣間見て、とてつもない感動とアーティストとしても人間としてもリスペクトしたのを覚えている。

クラスのリーダーであったジギ(右)らと美術館前で談笑するロブ。

その後私はデュッセルドルフの芸術大学に編入し、日本に帰り、今はインドネシアに住む身である。
ネットの時代とはいえ、彼とも彼の生徒たちとも連絡を絶ってすでに17年の月日が経っていた。

そんなある日、一通のメールがくるのである。
当時クラスのリーダーをしていた、ジギという仲間から、
「タカシ!!俺はお前を発見したぞー!!」
という内容のメールだった。
後で聞くと、当時入ったばかりの日本人の私のこと、タカ、という名前以外記憶になく、8ヶ月くらいネットで色々と探しまくったのだという。

そうして17年ぶりの同窓会のような展覧会に、今回私は招待されたのである。

長い説明でようやく本題に入ることとなる(笑)。

そう、タイムスリップの話だ。

私は今回人生のタイムスリップを経験した。
それは、映画の「時をかける少女」や「バック・トゥー・ザ・フューチャー」のような、
まさにあの体験だった。

17年ぶりに会うロブは、私を見るなり車椅子をスイーッと走らせ、近づき
17年前の笑顔のままにこう言った。

「タカ!ウェルカムバック ホーム!!」

そしてあのままの人懐っこい笑顔で「がはは」と笑った。

当時ドイツに渡ったのが25歳の時、
そして私は25年の時を経て50の歳でドイツ、カッセルに戻った。
そこには自分がアーティストとしてスタートを切った全てがあり、
そしてここからが本当のアーティストの始まりなのだと思わせる全てが揃っていた。

時空を超えた旅、
そうタイムスリップを私は今回経験したのである。