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4年で本場イタリアの第一線に 声だけで人間を描くオペラ歌手

Breakthrough 突破する力
169センチの長身。大柄な欧米の歌手と並んでも見劣りしない Photo: Semba Satoru
169センチの長身。大柄な欧米の歌手と並んでも見劣りしない Photo: Semba Satoru

彼をものにするためなら、毒蛇にだってなって、罠をしかけてやるわ――。素朴で従順に見えていたヒロインが、「女の裏の顔」を軽妙に独白する第1幕のアリア「今の歌声は」。難度の高い技巧が相次ぐも、声の軸は一切ぶれない。装飾のひとつひとつが丁寧に旋律を縁取る。若い人ほど演技に歌が追従しがちになるものだが、目を閉じて聴くとよくわかる。この人がいかに、「声」だけに集中して生きている人かということが。

2014年からイタリア各地の歌劇場で相次いでデビューし、オペラの殿堂ミラノ・スカラ座の舞台にも立った。アルベルト・ゼッダやファビオ・ルイージといった名指揮者たちに絶賛され、彼らが率いる音楽祭にも招かれた。現在29歳、イタリアに渡ってまだ4年。保守的なイタリアのオペラ界で、アジアの新人がここまでのスピードで第一線に立つのは極めて異例だ。

イタリアに住む音楽ジャーナリストで、現在はコーディネーターや通訳なども務める井内美香はこう語る。「イタリア各地の歌劇場が、財政的な厳しさから、他国の歌手にも門戸を広げ始めているという実情はある。しかし、それを考慮しても彼女はずば抜けている。パッションを感じさせる演技、舞台姿の美しさ。とりわけイタリア語の発音の完璧さが、本場の関係者を驚かせている」

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藤原歌劇団の通し稽古で。顔の表情にも強い表現力を感じさせる Photo: Semba Satoru

コンプレックスを力に変えて

英才教育を受けたわけではない。演劇や映画が好きな両親のもと、ミュージカルの歌手に憧れるように。歌の勉強を始めたのは高校1年の時。東京芸大に落ち、2度目は補欠合格。同級生は美声ぞろいで、コンプレックスを募らせた。

放課後は大学の図書館にこもり、発声の仕組みの本を読み、オペラのDVDを片っ端から見る毎日。閉館すると、また練習室へ。3年の時、一流どころの来日公演を見たいという一心で、東京文化会館のレセプショニストに。ロビーや会場で観客を誘導する仕事だが、これが思わぬ「収穫」をもたらすことになる。

遅れてきて「入れろ」とごねたり、突然叫びだしたりする迷惑な客に対処するのもレセプショニストの役目だ。一夜の夢を味わっている他の観客たちを不愉快にさせず、どう対処するか。そんな機転を磨くほどに、人間観察が楽しくなってきた。「もともと人と関わることが大好き。ピンチの時こそ、感覚が研ぎ澄まされる。舞台からも客席からも学ぶことばかり。この経験は、いつか役作りに生きてくる。そんな確信がありました」

そもそもメゾソプラノは、複雑な感情表現を託される声域だ。華やかなソプラノと、落ち着いたコントラルト(アルト)の間。思春期の目覚めに戸惑う「フィガロの結婚」のケルビーノのように、「ズボン役」と呼ばれる男性役を、宝塚の俳優さながらに演じることも。「人間を知らなければオペラは歌えない。いろんな人生を垣間見ることが自分自身を、そして自分の声を、豊かにしてくれているという実感があるんです」

「運命」は、大学院の時に訪れる。世界最高峰のソプラノ、マリエッラ・デヴィーアの指導を受ける機会があり、その声に打ちのめされたのだ。声そのものが芸術家としての彼女を形作っているのがわかった。「声だけで、芸術ができるんだ」。終了後、迷わず声をかけた。

「一緒に学ばせてください」

 時間がないから、とすげなく断られたが、この声の「畑」であるイタリアという国で学びたい、という気持ちは確かなものだった。13年、文化庁の研修員派遣制度でパルマへ。翌年、ロッシーニの生誕地ぺーザロで「ロッシーニ・オペラ・フェスティバル」の若手公演に出演。ミラノ・スカラ座のアカデミーにも合格した。いずれも極めて狭き門である。

そして15年。ついにナポリで再びデヴィーアのマスタークラスを受けることができた。「一緒に学ばせてください」。今度は、電話番号を教えてくれた。

指導は実に具体的だった。「舌を下げるな」と繰り返される。口の中に空間が広がると、声が前に飛ばなくなるからという。「声を聞いただけで、歌っている人の口の中がどういう状態になっているのか、彼女には『見える』んです」

「69歳の今も、音程のポジションを1音たりとも間違えない。徹底的に思索し、無駄をそぎ落とす。歌一筋で生きてきたという自信が、本物の気品と威厳になるということを教えられました」

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恩師マリエッラ・デヴィーアと=2014年、ヴェローナで(本人提供)

イタリア人でないから見えたこと

体形は違っても、骨格の基本はみな一緒。歌うことに人種の差はないはずなのだ。しかし、日本人には特有の弱点があるという。言葉と生活習慣だ。
日本人は遠慮して、周囲の迷惑を考えながらのみこむように話す。イタリア人は対照的で、いつも大きな声でしゃべる。権利も堂々と主張、迷惑など気にしない。それが、イタリアオペラという開放的な芸術の源であることは明白だ。

しかし「これは、自分がイタリア人でないからこそ気づけたこと」と言う。母国語でないからこそ、分析する。言葉の意味や発声の原理を、根本から。そうした回り道を経て初めて、ある種の普遍の世界を垣間見ることができるのだ。「なんだ、東洋人か」と失望されることもある。でも、良い歌を歌えば納得する率直さも、イタリアの人々は持っている。

「イタリアでの生活は、何から何まで不便。電車が時間通りに来ることも少ないし。でも、だからこそ、イタリア人は発想の転換がとてもうまい。ものすごくポジティブに『今』を生きている」 自身も瞬時に決断し、悔やまぬことを心がけている。

いつか、伝統を担う存在に

今やるべきは、厳しいイタリアの観客の前に身をさらし、自分だけの声を探すこと。自分だけの声で歌うこと。自分だけのキャリアを形成するのに必要なのは、自分で自分を分析する力と、良き人々との出会い。そのチャンスを与えてくれているのが、歌劇場という巨大な夢の揺りかごだ。

寝ている間も心臓が動いているのと同じく、歌劇場は24時間稼働している。小道具を作ったり、大道具を徹夜で搬入したり。「そういう人たちの見えない努力が何層にもなり、その上に歌手である私たちが立って、喝采を受けている。いろんな人の汗、思い、人生の上に、私の歌がある。そうした責任を重荷にせず、翼にしたい」

みんなで一緒に何かをつくっていると実感できる瞬間、「私、生きてる」と思う。「スカラ座の清掃係のおにいちゃんが、私が舞台に立ったのを自分のことのように喜んでくれたのがうれしくて」

この劇場は、200年以上の歴史をずーっと見てきたんだな――。今はただ、伝統の空気をたっぷり呼吸していたい。そして、私もいつか、この伝統を担う存在に。その未来はきっと遠くない。(文中敬称略)

Profile

  • 1988 東京生まれ
  • 2007 東京芸術大学入学、福島明也に師事。3年生の時に安宅賞、卒業時にアカンサス音楽賞と同声会賞受賞
  • 2011 東京芸術大学卒業
  • 2013 同大学院修了。文化庁の海外研修員としてイタリアのパルマに留学。ドイツで「新しい声2013国際コンクール」セミファイナリストに
  • 2014 ロッシーニ・オペラ・フェスティバル(ぺーザロ)のアカデミーのオーディションに合格、「ランスへの旅」メリベーア侯爵夫人役でイタリアデビュー。ミラノ・スカラ座のアカデミーに入学
  • 2015 スカラ座で「セビリアの理髪師」のロジーナ役を演じる
  • 2016 ヴェローナ・フィラルモニコ歌劇場、ボローニャ市立歌劇場などの舞台に立つ。スカラ座アカデミー卒業
  • 2017 トリエステやヴェローナの名門歌劇場に立つ。4月、藤原歌劇団「セビリャの理髪師」で日本オペラデビュー
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Memo

名指揮者に与えられたチャンス脇園の才能をいち早く認めたのが、「ロッシーニ・オペラ・フェスティバル」創設者で、指揮者のアルベルト・ゼッダ。2014年、オーディションで脇園の声を聴き、「コルブラン(のちにロッシーニの妻となるプリマドンナ)もこんな声だったのでは!」と語り、同フェスティバルでイタリアデビューのチャンスを与えた。「ゼッダ先生がいなかったら今の私はない」(脇園)。今年3月、89歳で死去。

バレエに開眼東京文化会館でレセプショニストをやっていた時、オペラのみならず、バレエの公演もたくさん見て、ダンサーの動きから学んだ。「見ているとつい、こちらも身体が反応しちゃって」。オペラと同じ「伝統芸能」だけに、「型」を突き詰めることの大切さも思い知らされた。

文・吉田純子 Yoshida Junko

1971年生まれ。編集委員(クラシック音楽担当)。現在は福岡市の西部本社勤務。

写真・仙波理 Semba Satoru

1965年生まれ。朝日新聞東京本社カメラマン。アフガン、イラク戦争などを取材。