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捨てる勇気、手放す力ーー栗林隆

TRIP MUSEUM庭師の旅
人は死んでしまえば何も持っていけない。裸で生まれ裸で帰っていくのだ。

さて
2018年最後の話は、人生という旅の中で、捨てる勇気、手放す力の話をしてみようかと思う。
これは、人生や年齢を重ねれば重ねるほど手放せないことやこだわり、捨てられないものが多くなっていること、または小さなプライドや自尊心など、必要のないものを抱え込んでしまっている我々のつまらないこだわりについての話である。

動物たちには物欲がない。故にお金も必要ないのだ。生きるための欲求、最低限のものしか持ち合わせていない。

1990年代から、私はドイツに12年ほどいた話は幾度となくしてきた。
25歳から37歳という、人生を決定付けるような大事な時期に私はドイツ、もしくはヨーロッパで過ごしたわけだが、その時に2回ほど大きな引っ越しをしている。
一回目は、4年間住んだカッセルの街からデュッセルドルフの街に引っ越すとき、そして2回目はそのデュッセルドルフから日本に本帰国をするときである。
大きな引っ越しはこの2回で、そのときにある事件が起きたのだった。

カッセルの中心地にあるフリデリチアヌム(Fridericianum)美術館。25歳から29歳までいた青春の場所である。

私は4年ほどカッセルに滞在していたのであるが、さすがに4年も住むと家財道具から衣類、制作に必要な道具など様々なものが増えていた。

色々と捨てた気がする。
しかし、工具やその他、4年間で集めたものやどうしても捨てられないものを全て持っていくことにしていた。
デュッセルドルフの大学へ編入手続きを終わらせていた私は、春休みを利用して、1ヵ月間ほど車でヨーロッパの旅に出ることにした。
その間、まとめたものは全て地下の倉庫にぎゅうぎゅうに詰め込んで置いておくことにしたのである。

私は意気揚々と旅に出た。

1ヵ月後
ヨーロッパの国々を巡り、お腹いっぱいで帰ってきた私は、新しい生活に向けて準備をすべく、地下に詰め込んだ荷物を引き上げることにした。

「ん?何か変だぞ。。」
自分の地下室の扉が開いていて、しかもその場所には何一つ入っていないのである。

「??」

私は一瞬軽いパニックに陥った。
きっと理由があって大家が他に移したのではないかと思い、急いで大家に連絡をとると、大家曰く、まったく知らないし手もつけていないという。

「!やられた!!」

なんと、家財道具、何から何まで全て盗まれていたのだ。

確かに私の住んでいる地区は、外国人が多く住むエリアで決して治安が良い場所ではなかった。そういった地区は家賃が安く、しかし何かと事件も起こりやすい。

「うわぁ、やられた。。」

と思いかなり凹んだ。
が、実はこのとき私の心の中でもう一人の自分が囁いていた。

「引っ越し、楽になったな……」(笑)

事実、旅の続きのままでデュッセルドルフに引っ越すことができ、めちゃくちゃ楽だったことを覚えている。
と同時に、新しい場所に行く心構えや気分の切り替えもでき、凄く爽やかだった気がする。

ドイツから日本に本帰国するときは、また違うやり方で身の回りを片付けた。
貧乏学生&アーティストであった私は懲りもせず、デュッセルドルフでもロシア人やトルコ人など移民系の中でも、とにかく怪しい連中が住む工場地区に住んでいた。
200㎡以上の広さで、天井高も5m近くあるその場所には、自分で岩風呂を作ったり、キッチンを作ったりと好き勝手やって生活をしていた。
私の部屋は2階で、1階には車の工場、木工の工場、鉄の工場、ペンキ屋と全てが手に入る夢の場所であった。

デュッセルドルフのスタジオ兼住居。工場の中にはオフィス空間があり、そこを寝室などの居住空間にしていた。まさに理想のアトリエであった。

しかし当然そんな良いことばかりではない。
その地区は、警察の見回り地区にも指定されている、怪しい場所だった。

最後に帰国する時が来て、荷物をどうするかとなった。8年近く住んだ荷物は計り知れない。
アトリエが大きいと言うだけで、帰国組がソファーや家具、果てにはシンクまで置いていっている。
良いものも多いため、当然もったいない病が顔を覗き出したのである。

カッセルでの経験を思い出す。
引っ越しは身軽な方が良い。
面倒臭がりな性格もあるのであろう。フリーマーケットでお金に替えるのも億劫だな、と考えていた。

考えた末、最後に私は全て捨てることに決定したのである。

大きなコンテナを1台借りることにした。
ありとあらゆるゴミをその中に捨てることができる魔法のコンテナである。
当然1回の回収では捨てきれないので、たぶん2回、3回と回収をすることとなるのであろう。

異変が起きたのは、どんどんコンテナにものを放り込んでいた時である。
コンテナは回収日までの数日置いたままなのだが、結構色々と捨てているのに、コンテナがなかなかいっぱいにならないのである。
むしろ、量が減っているのだ。

「んっ?」

と思い、新しいゴミをコンテナいっぱいに詰めた夜、こっそり2階の窓からしばらく観察してみたのである。

すると、数十分もしないうちに、頭巾を被ったおばちゃんや、見るからにロシア人という若者たちが、コンテナの中を物色しどんどん運び出しているではないか。
あっという間にコンテナの中身は空になっていった。
「なるほど、これは便利だな」
と思った私は、ありとあらゆるものをどんどんそのコンテナに入れまくっていった。
すると全て次の朝には綺麗に無くなっている。
面白くなった私は、物がどんどん無くなる気持ち良さと周りの連中が喜んでいる雰囲気を感じ、ソファーからシンク、自転車までありとあらゆる物を投げこんだ。

このコンテナマジックにより、ほとんど全ての私の持ち物は、綺麗さっぱり片付いたのである。

私がその場所を離れる直前、不思議なことが起こっていた。
周りの工場やマンションに住む連中が、私のジャケットを着ていたり、自転車に乗っていたりと、何かと自分の香りがする物が溢れかえっていたのである。
変な気分だった(笑)。

おかげさまで、
私は12年間のドイツ生活を段ボール4箱くらいで日本に帰ることができたのである。すっきりである。

話がまた長くなった。

今回の話、手放すことの意義である。
我々は、資本主義と消費文化の発展により、より多く沢山の物を抱え込まされるようになった。

人間の欲とは計り知れないものである。
まず物欲があり、それを満たすための金欲がついてくる。
そしてそれが満たされると次に目には見えない名誉や名声などの欲が待っている。
私も人間が故に自分の欲を知っている、しかし理性も持ち合わせている。

世の中には、
欲を煽り満たさせるために、あらゆる情報や広告を利用し、それで自分の欲を満たそうとしている人達がいる。

欲さえ持てば、なんでも手に入ると言われる自由な時代。
今一度必要な物と必要でない物を自分の意思と意志によって決定しないといけないのではないだろうか。

何も考えずに使ったりやったりしていることにこそ、今一度疑いと冷静な判断を求められている気がするのである。

突然だが、
私はすでに、3年以上シャンプーを使っていない。
「汚い」と言われるが、別にシャワーを浴びないわけでもないし、
頭もきちんと洗っている。
いわゆる「湯シャン」というやつらしいが、
これに気づいたのが3年前ブラジルに滞在した時である。
髪の毛はまだ生えている方の私だが、あまり気にしていなかった抜け毛がその頃かなり気になっていた。

「やはり年齢なのか、これはまずいな。」

と焦ったのだが、
その時に、待てよ?と思い、今一度自分が使っているシャンプーというものの成分をチェックした。
訳のわからない成分が沢山書き並べられていた。

「これ、全て髪にも頭皮にも全然よくないんじゃねーのか!?」

と言うか、
これはシャンプーを使わせ続けるため、買わせ続けるためのトリックなのでは?とふと思い、海外でブラジルだしこの機にシャンプーを使うのをやめてみようと考えたのである。

髪の毛の汚れは水洗いで約80%の汚れが落ちる、という話は聞いていた。

そして始めたお湯や水だけの髪の洗い、びっくりするほど効果は表れたのである。

デュッセルドルフの知り合いの美容室“MARUO” 。私のシャンプー話をしたらすごく共感してくれ、ノンシャンプーのヘアーサロンを目指すとまで言ってくれた。

まず、髪の毛の痒み、そして臭いが消えた。
最初シャンプーをしないと、2日くらいは痒くなり匂いも臭くはなる。
普通だとそれが嫌でまたシャンプーを使ってしまうのだが、今は実践中である。
我慢し気にせずそのまま水やお湯だけで頭を洗い続けた。
すると驚いたことに、痒みが完全に止まり、そして髪が臭わなくなったのである。
そして2週間くらいして気づいたのが、明らかに抜け毛の量が減っていたことである。

だいたい誰が最初に私に髪はシャンプーで洗わないといけないと教えたのだろう。お袋か?学校の先生?テレビ??
私は何も考えず、47年間くらい髪の毛、頭をシャンプーという怪しい液体で洗い続けていたのである。

一体どれくらいの量とお金をつぎ込んできたのであろう。
恐ろしい。

私はその後3年間、全くシャンプーを使っていない。
頭が痒くなったことも、あの独特の髪の臭さも嗅いだことがない。
髪のコシは前より蘇り油が戻ったことは言うまでもない(癖っ毛のため、いつも髪は爆発しているが(笑))

シャンプーをやめろ、という話をしているのではない。

我々は全てにおいて疑ってみるべき時代に来ている。
素直ではないと言われればそれまでであるが、私は奴隷のような生き方をしたくはない。そしてやはり捨てるものと捨てないものの判断を自分でしたい。

持たないことの強さや、捨てることの勇気は
自分の大切なものを顧みるとても大きなチャンスなのである。
まずは自分自身、囚われていること縛られていることから解放されるのが新しい年、2019年の始まりにすることなのではないのだろうか。

捨てる勇気、手放す勇気(力)、である。