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せりふなしに、一瞬で笑いを取る。世界が認めたパントマイムに、磨きをかける。

Breakthrough 突破する力 更新日: 公開日:

が~まるちょば パントマイム・デュオ 神奈川・逗子海岸の特設ライブハウスは数百人の観客でひしめいていた。

「いち、にぃ、さん!」。会場のかけ声で、黄色いモヒカンのHIRO-PONが突然、動かなくなった。赤いモヒカンのケッチ!が、固まった相方を軽々と持ち上げる。 HIRO-PONがふんするロボットを、ケッチ!がリモコンで操る。が~まるちょばならではのコミカルなパントマイムの一こまだ。

笛で機械音を出し、ぎくしゃく歩くHIRO-PONはロボットそのもの。ケッチ!の目を盗んで鼻をほじり、女性客が手招きすると猛然と近づく。制御不能のロボットが観客を巻き込んで起こす騒ぎに、会場は何度も爆笑に包まれた。

かつてパントマイムといえば、フランスの名優マルセル・マルソーが演じるような芸術性あふれる演劇のイメージが強かった。が~まるちょばは、かなり趣が異なる。スピードやライブ感にあふれ、老若男女に通じる普遍的な笑いのツボを刺激する。

もともとHIRO-PONは主に舞台で、ケッチ!は大道芸を中心にソロでパントマイムを演じていた。国内の祭りで出会って意気投合。それぞれの持ち味がうまく組み合わさり、路上のショーから長編の無言劇までこなす独特の芸が生まれた。

それがいま、日本にかつてなかったパントマイムとしてブレークしている。

ビートルズの「秘密」

コンビを結成した当初、なかなか客が集まらなかった。使用料の安い公共劇場の抽選に参加したり、公演前に数百枚の案内状を手書きしたりもした。だが、鳴かず飛ばずの日々。
「じゃあ海外でやろう」。パントマイムに言葉の壁はない。二人はすぐに欧州をめざした。大道芸の歴史が古く、各地でさまざまな祭りがあり公演のチャンスも多い。

英語に堪能なケッチ!が各地の祭りに出演を申し込み、旅のスケジュールを組んだ。もちろん、渡航費は自腹。滞在費は、わずかな出演料と、日々の大道芸で得た投げ銭でまかなった。

転機となったのは2002年、スペイン・タレガのフェスティバルだ。
押しかけたのでプログラムには載せてもらえず、「舞台」となる路上も、町の中心から遠い。二人はモヒカン頭で町中を歩き回り、話しかけられると、公演の時刻と場所をスペイン語で繰り返した。一度来た客は次も来た。口コミで観客が増え、最後は400人を超える人垣ができた。
翌年は各地の祭りから出演依頼が相次ぐようになる。

そして04年、二人は勝負に出た。

世界的に有名な英エディンバラの演劇祭に合わせて劇場を借り、24日間も公演しようというのだ。演目は長編の無言劇「ボクサー」。みごとチケットを完売し、演劇祭の賞も受賞した。
「取材が殺到したりして」。舞台で成功するという夢を実現できた二人は、意気揚々と帰国するが――。

1週間たっても2週間たっても、取材や出演依頼はこない。エディンバラでは翌年、さらに大きな劇場を満杯にするが、国内では無名に近いままだった。

知名度を上げるには、プロデュースを工夫しないといけない。当時、宣伝や交渉は、社交的で物怖じしないケッチ!が担っていた。役者がマネジャー役を掛け持ちするのでは、おのずと限界がある。

「マネジャーのエプスタインがいなければ、ビートルズはあれほど成功しなかったといわれる。そんな存在がいたらと、ずっと思っていた」。HIRO-PONは、そう振り返る。

意中の人はいた。03年に大道芸のイベントで知り合ったイベント企画・制作会社のプロデューサー熊手和宏(50)だ。

実は熊手も、が~まるちょばの芸にほれこんでいた。

「無言で路上に立った二人が指笛を鳴らして通行人を呼び止める。そのクールな所作から一転、観客相手にイタズラ坊主ぶりを発揮する。気がつくと仕事を忘れて笑っていた」

ハリウッド進出

マネジャー役を引き受けた熊手は、07年、が~まるちょば初の全国ツアーを企画する。集客のため、それまで「二人の面白さが伝わらない」と避けていたテレビの力を借りることにした。

以前から、映像での見せ方を日本テレビの土屋敏男(54)に相談していた。「電波少年」などで知られる名物プロデューサーだ。土屋には妙案があった。

「彼らが作り出す空気はテレビには絶対に映らない。映像にしかできないことをしよう」。そうして生まれたのが「逆再生」だった。

「そばを食べる」「キャッチボールをする」といった動作を逆から演じ、録画テープを逆向きに再生する。それが自然な動きに見えれば成功だ。二人の見事な「逆再生」は深夜番組などで紹介されて話題になった。しだいに出演依頼も増えていった。

そして、その年の暮れの横浜公演。会場は過去最大の800席もある。「そんなに人を集めるのは無理」「広すぎて細部が見えない」と尻込みする二人を、熊手は「だめだったら小さな劇場に戻ればいい」と舞台に送り出した。

なんと、会場は満席。二人が演じ終わると観客は総立ちになって、大きな拍手が鳴りやまない。やっと日本で受け入れられた――。ケッチ!は鳥肌を立て、HIRO-PONは泣いていた。
HIRO-PONは言う。「違う世界が見えてきた。パントマイムは小さな劇場だけと思いこんでいたが、できることはたくさんある」

昨年、メンバーを公募して、言葉を使わない役者集団を旗揚げした。9月から始まる全国ツアーでは、5年ぶりの新作長編を披露する。

BBCテレビに出る、国内外でツアーをする……。かないそうもない夢を次々に実現させてきた。

「あとはハリウッド映画だけ」とケッチ!が言い、二人は顔を見合わせて笑った。「いつだって最初はこんなふうに笑ってたよね」

(文・後藤絵里、写真・豊間根功智)
(文中敬称略)

自己評価シート

どんな力が、壁を超えるための「突破力」になっているのだろうか。編集部が用意した10種類の力について自信がある順番に並べ替えてほしい、と自己分析をお願いしたところ、別々に答えてくれた。

20分も悩み、二人とも「運」を1位にした。最たるものは相方との出会いだ。「運は自ら呼び込むもの」とケッチ!。HIRO-PONも「欲しているからこそ運はめぐってくる」。

2位からはまったく違う。互いにのぞき込み、笑ったり、うなずいたり。

HIRO-PONは「体力は全ての力に必要」と番外に。
2位はHIRO-PONが「独創性・ひらめき」、ケッチ!は「行動力」。

舞台の構成を考えるのは、論理的で職人気質のHIRO-PON。持ち前の社交性と積極性で世に出るチャンスを引き寄せてきたのはケッチ!。HIRO-PONのひらめきをケッチ!がかたちにしながら、コンビは成長してきた。

MEMO

海外公演…28カ国、約230カ所(2011年8月現在)。1年の半分は海外。
ツイッター…6月からツイッターを始めた。HIRO-PONは「少ない文字数で何を伝えればいいのかと考え出すと、ひと言つぶやくのに10分以上かかってしまう」。「そのわりには結構つぶやいてるじゃん」とケッチ!。
スタジオジブリ…代表取締役プロデューサーの鈴木敏夫は、初演のころから公演に足を運んできた。「体の動きだけでそれらしく見せ、言葉なしで人を笑わせる。アニメーションに通じる」。アニメーターの勉強になればとジブリの忘年会にも招待した。「本物を徹底的に観察し、細部にこだわる。それが本物に見えたとき、人はそこに芸を見いだし感動する。そういうことをアニメーターにもやってほしい」

が~まるちょば

HIRO-PON(1966年、埼玉県出身)とケッチ!(70年、静岡県出身)によるパントマイムのデュオ。HIRO-PONは高校卒業後、ガソリンスタンドで働きながらやりたいことを探し続け、「一人でできる」とパントマイムを選んだ。ケッチ!は高校の文化祭でパントマイムを演じて楽しさに目覚めた。英国エディンバラやブライトンのフェスティバルで、それぞれ2年連続で賞を受け、2009年にはBBC(英国放送協会)で冠番組がオンエアされた。「が~まるちょば」はグルジア語で「こんにちは」の意味。