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ロシアに重くのしかかるワールドカップのレガシー

迷宮ロシアをさまよう 更新日: 公開日:
寒さはロシアのサッカー観戦の大敵。小雪が舞う中、厚着のコスチュームで、四股を踏むようなパフォーマンスを披露するディナモ・モスクワのチア(撮影:服部倫卓)。

ブラジル大会と並び高価だった大会

FIFAワールドカップ(W杯)ロシア大会で、とりわけ印象的だったのは、スタジアムの素晴らしさです。12会場すべてが最新鋭のサッカー専用スタジアムであり、試合の臨場感を見事に演出していました。

しかし、その整備がロシアに多大な経済的負担を強いたことは、言うまでもありません。諸説ありますが、ロシアが今大会の準備と開催に投じた費用総額は、直近の為替レートで日本円に換算すると、1兆6,000億円程度に上ったということです。これは、人類史上最も高価なサッカー大会と言われた2014年のブラジルW杯の費用総額と、ほぼ同じ規模と見られます。なお、ロシア通貨のルーブルは、2014年暮れ以降大幅に下落しており、もしもそのルーブル安がなかったら、外貨換算の費用総額はさらに膨らんでいたことでしょう。

ロシアW杯の費用総額のうち、スタジアムの新規建設および改築費は、4,000億円程度だったと見られます。スタジアムごとの費用をまとめたのが、下の図です。なお、一連のスタジアムのうち、カザン・アレーナは2013年のユニバーシアードに向けていち早く完成していました。また、モスクワのスパルタク・スタジアムは、全面的に民間資本によって(と言うか、1人の石油富豪のポケットマネーによって)建設され、2014年に稼働していました。残りの10のスタジアムが、今回のW杯に向けて財政資金を投じ新規建設または改築されたということになります。

仏作って魂入れず?

世界的に、オリンピックやW杯といった大スポーツイベントの「レガシー(遺産)」をどう生かすかということが、重要なテーマとなっています。仮にロシアW杯に莫大な費用がかかったとしても、それがロシアのサッカーの発展に繋がるのであれば、一定の意義はあるでしょう。しかし、個人的には、その点につき、どうも楽観的になれないのです。

ロシア国民は、今回のW杯に限っては代表の健闘で例外的に盛り上がりましたが、概してサッカー観戦に冷めた人々です。とりわけ、地方の住民が地元クラブを応援するという文化が、きわめて希薄です。筆者は仕事柄、ロシアの様々な地域を訪問する機会があり、そのたびに現地の人に地元クラブについての話題を振るようにしていますが、その話題に相手が乗ってくることは、ほぼ皆無。「なぜそんな変な話をするのですか?」という感じで、怪訝そうな顔をされるのが関の山です。

下表では、W杯の12会場と、地元サッカークラブの対応関係をまとめています。このうち、ルジニキとフィシトは、特定のクラブによる使用が想定されておらず、代表戦やカップ戦の決勝などが行われる国立競技場的な位置付けとなります。それ以外の10スタジアムが、地元クラブの本拠地となります。

問題は、今回のW杯の開催都市は、大都市ではあっても、必ずしも強豪クラブのホームタウンとは限らないことです。ボルゴグラード、ニジニノブゴロド、サマラなどは、いずれもロシアを代表する百万都市ですが、地元クラブは現状で1部(プレミアリーグ)ではなく2部(全国リーグ)暮らしを余儀なくされており、観客動員も1万人を下回っています。そこに、W杯に向けて4万人超えのスタジアムが出来たわけですから、明らかにオーバースペックです。

サッカーをお好きな方ならご存知のとおり、スタジアムの高揚感はどれだけびっしりと観客席が埋まるかに左右されます。5万人のスタジアムに2万人入るよりも、1万人のスタジアムが満席になった方が、はるかに盛り上がるのです。そうした観点から、改めて表を見てみると、合格点と言えるのは、ゼニト・サンクトペテルブルグとスパルタク・モスクワくらいです。地方の状況は押しなべて悲惨であり、もし仮に観客動員が2017/18シーズンのレベルのままだったら、空席だらけの寂しい光景が日常化してしまいそうです。2018/19シーズンの初めくらいは、W杯の余熱も残っており、新スタ効果で多少お客さんが増えるかもしれませんが、代表選手もいない地方クラブの試合をリピートしてくれるかというと、非常に心許ない気がします。

そう考えると、一部のスタジアムで、W杯終了後に座席を減らすことを最初から想定していたのは、実に賢明だったと思います。これについては、「エカテリンブルグのスタジアムには、羽が生えている?」の回で説明しましたね。

ロシア国内リーグで観客動員が振るわない一因は、国土が広大であるがゆえに、アウェーサポーターが少ない点にある。これはシベリアのトミ・トムスクのサポーターがモスクワに遠征した様子だが、40人くらいしかいない(撮影:服部倫卓)。

「インフラの祭典」だった?

このように、ロシアの、特に地方のサッカークラブは観客動員で苦戦しており、入場料収入で稼ぐことができていません。また、西ヨーロッパのリーグに比べると、放映権収入も微々たるものです。では、どのように活動費を捻出しているか? 首都のクラブであれば、国営系を中心とした大企業の支援を受けています。それに対し、地方のクラブは、地域(州などのレベル)の財政によって支えられているところが、ほとんどです。日本でも、たとえば大分トリニータが経営難に陥った際に、一時的に大分県が資金援助をしたようなケースがありましたが、ロシアでは地域財政でサッカークラブを支えるのがデフォルトになってしまっています。

なまじW杯に向け立派なスタジアムを作ってしまった分、今後はスタジアムの維持費も膨れ上がります。ロシア政府の見積もりによれば、今大会に向けて整備されたスタジアムを維持していくのに、当面、年間39億円程度の資金が必要になるということです。それを負担するのは、やはり各地域の行政です。今後、スタジアムが負の遺産になり、肝心のサッカーそのものへの支援が縮小していくようなことがあったら、本末転倒ですね。

ロシアの高級経済週刊誌『エクスペルト』は、今回のW杯はサッカーならぬ「インフラの祭典」になってしまったと、辛辣な指摘をしています。スタジアムをはじめとするインフラには湯水のように資金を投じる一方、若い年代の育成といった課題は置き去りとなり、ロシア・サッカーの強化は進まなかった。地方クラブには、「どうにかして今のカテゴリーに留まって、財政支援を繋ぎ止めよう」という発想しかなく、守備一辺倒のつまらないサッカーになりがち。そして、そんな面白みのない国内サッカーには、サッカーファンですら誰も見向きもしない。『エクスペルト』誌は、悪循環の構図を、このように描いています。