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米教育界の論客が映画で見せた「これからの教育」

グローバル教育考 更新日: 公開日:
基調講演するディンタースミス氏=2018年6月、千代田区立麴町中学校で、杭原加菜子氏撮影

ディンタースミス氏は、もともと教育界にいたわけではない。起業の初期段階を支援するベンチャーキャピタル会社を長年にわたって経営した。ただ米国の教育が「学力格差の是正」という旗印のもとでテスト偏重の傾向がむしろ強まっていることに危機感を持ち、新しい教育方法を試みる高校を舞台にしたドキュメンタリー映画「Most Likely To Succeed」(成功に一番近い教育とは)をプロデュースした。さらに全米50州にある200校を訪ね、地域一体型教育改革の重要性を伝えた「What School Could Be(学校の可能性)」という本を今年春、出版した。

2018年春に出版されたディンタースミス氏の著書「What School Could Be」

決められた教科書も試験もない学校

映画の舞台になったのは、カリフォルニア州サンディエゴにある高校「High Tech High」(ハイテク・ハイ)。2000年にできた比較的新しい学校だ。

この高校には、教科別の時間割りや決まった教科書、定期試験がない。どんな授業をするかはそれぞれの教師にまかされている。課題解決型学習(Project Based Learning)が中心になっており、生徒たちはチームを作り、保護者などが見学に来る学期末の展示会に向け、作品を制作する。

例えば「古代文明」のテーマでは、なぜその文明が興り、滅びたのか。傾向や共通点などを探りながら表現方法を探し、成果を作品としてつくりあげる。映画では、生徒や保護者は従来とは異なる教育方法にとまどいながらも成長する姿が描かれる。 

映画「Most Likely To Succeed」より

驚くのは、テスト準備のための授業がないのに、州の標準テストの成績は平均を上回っていることだ。大学進学率も98%と高かった。しかも「High Tech High」は、裕福な家庭が子どもを通わせる私立校ではない。特別な認可を得た公立のチャータースクールで、低所得層の子どもが5割を占める。

映画はサンダンス映画祭などにも出品され、世界35カ国で上映されている。同名の著書も英語と中国語で10万部を売り上げるなど、大きな反響を呼んでいる。

 暗記型の授業は「ひどく悪い準備」

――映画で伝えたかったことは何ですか。

これまでの教育は、子どもに知識を暗記させて、低いレベルの手順の訓練をし、教師の指導に従わせることに重点が置かれてきました。20世紀には社会に出るための準備としてはすばらしかったのですが、今の子供たちの未来を考えると、ひどく悪い(terrible)準備といえます。

1997年には、チェスの世界王者だったカスパロフを、コンピュータのディープ・ブルーが破りました。また、米国のクイズ番組「ジェパディ!」でも、コンピュータが人間の「クイズ王」を破りました。コンピュータは、コンテンツの面で人間よりも優れています。

インタビューを受けるディンタースミス氏=千代田区立麴町中学校で、山脇岳志撮影

そういった状況の中で、映画の中で、今までと全く違った学校がありうることを見せたいと思いました。生徒たちは、チームでプロジェクトに取り組み、試行錯誤をしながら、何かを成し遂げるために必要なことを学びます。

エッセイや講演だけでは十分に伝えられないけれど、ビジュアル化すれば、映画を見た人が「これは子どもたちにとって今より良い環境かもしれない」と考え始めることになります。 

――もともとあなたは成功したベンチャーキャピタリストでした。今はなぜ教育について関心を持っているのでしょうか。

将来がどうなるかについてベストの大局観があるとは言いませんが、知識はあると思います。私は3分間の「仕事の未来」という動画を作りました。今は製造ラインの仕事だけでなく、あらゆるカテゴリーの仕事、何百万人の仕事が失われています。あらゆる分野で、決まり切ったパターンで進むような仕事は、10年後、20年後なくなってしまうでしょう。そうした未来では、決まり切った一定のパターンを暗記して学ぶような教育を受けた子供たちは、社会に出たら行き場がなくなります。

ディンタースミス氏の「仕事の未来」(Youtube、英語)

トランプ氏は米国史上最悪の大統領だと思いますが、彼が大統領になったのは偶然ではありません。多くの人々が経済や社会において軽んじられ、周辺に追いやられ、「投票所で仕返ししてやろう」「先がみえないから、トランプのような人物で試してみよう」と思ったのです。これは一時的な現象ではないのではないか、と懸念しています。

AIの能力は進化しつづけ、退化することはありません。新しい仕事が生まれるから大丈夫だという議論もありますが、新しい仕事が果たして十分な人数分生まれるのか、疑問です。もし学校が、子どもたちをただ教師の指導に従わせて、創造性や発見する能力、大胆さを消し去るような教育をしたら、大きな問題になるでしょう。 

テストの準備をせずとも

――映画の中では、「High Tech High」の高校生が、プロジェクトベースの授業を受け、試験準備をしていないにもかかわらず、標準テストで州平均以上の点数を取ります。なぜそのようなことが起きるのでしょうか。

生徒たちはやっていることが面白いから、早いスピードで学んでいくのです。先生にたくさんの質問を投げかけ、楽しいから学びも深くなり、そこで得た知識も保持できる。試験のための勉強をしなくても、テストの点数が上がります。

会場には200人近い学校関係者らが集まり、ディンタースミス氏の講演に聴き入った=千代田区立麴町中学校で、山脇岳志撮影

もし、生徒たちが標準化されたカリキュラムに沿って、単に座って授業を聞いているだけなら、本当の学びとはいえないでしょう。多くの生徒は、試験のために知識を詰め込み、一時的に記憶するだけです。素早く情報を思い出せる生徒は、試験で良い点を取れるかもしれない。しかし、それは真の学びではないと思います。 

もしオリンピックが1種目しかなかったら

――日本でも今、教育制度改革が進み、新しい教育方法の模索が続いています。そもそも、なぜ、学習を課題解決型にすべきなのでしょうか。

人生とは、何でしょう。

大人は、原稿の執筆、歴史分析、新技術にしても何にしても、何かを創造したり、作ったりしています。それが仕事なら、なぜそれを学校で教えないのでしょうか。それが課題解決型にすべき第一の理由です。

第二の理由は、プロジェクトは生徒が違ったスキルで輝く機会を与えることができるからです。

今の多くの学校は、知識をよく覚え、解答をまね、先生の指導に従う生徒を高く評価している。しかし、課題を実施する中では、手作業が得意な子、理論が得意な子、リーダーシップを取れる子、聴衆への説明が上手な子、それぞれが違う形で貢献できます。幅広い分野で、物事を良くしていくなかで、自信がつき、得意なことを伸ばすことができます。

オリンピックが一つの種目だけだったら、と想像してください。たとえばベンチプレスだけだったとしたら、ほかの種目のすばらしい選手たちははじかれてしまう。知識の習得というのは一つの狭い種目であり、しかもそれは次第にAIによって吸収されてしまうものなのです。

三番目の理由は、生徒は、課題の中で自分の仕事を自ら見つけ、誇りを持てるからです。さらに、その内容を人に示して説明し、世の中に貢献することもできます。テストでよい点をとれば満足できるかもしれませんが、それが世の中を良くしているという満足感につながるでしょうか。

学校のすべての教育を課題解決型にすべきとはいいませんが、多くの授業でそうするべきです。学校で学ぶことを、大人になった時に必要になることに、なるべく近づけていけばいくほど良いと思います。

4歳の時、好奇心に満ちあふれていた子供たちが、高校生になるころには、勉強に興味や情熱をなくし、何がテストに出るかだけを気にするようになる。こうした生徒たちはこの先、失業者になってしまうのではないか、という危機感を持っています。

映画の上映会や講演のあと、ディンタースミス氏(左から4人目)を囲んで分科会も開かれた。司会は竹村詠美氏(同3人目)=千代田区立麴町中学校で、山脇岳志撮影

課題解決型は教師にとっても楽しい

――プロジェクトベースの授業は、教師にとっては、カリキュラムに沿って教えるより難しいのではないでしょうか。

試したことがなければ、心配になるでしょうね。でも実際にやってみると、多くの教師は、「あれあれ、これって面白いね」となるんです。少なからぬ生徒が居眠りをしているようなところで教えるのって、楽しいでしょうか。テーマに関心を示さない生徒に対して、一日に何回も同じようなことを話すのって、楽しいでしょうか。私も教えた経験がありますが、あまり楽しくないものです。

問題は、教師たちがダイナミックで、正解がなくとも生徒と深くかかわるような授業をしようとすれば、不愉快に思う教育行政の官僚たちがいるということです。彼らは、決められた順序で、カリキュラム通りの授業をすることが大事だと考えがちなのです。

ただ、何百万人もの生徒たちの今後の人生が危機にさらされているときに、生徒や生徒と深くかかわる先生がやりたいことに配慮すべきか、それとも、生徒がどんな順番で何を暗記するかについて決めるのが仕事だと思っている官僚に配慮するべきか、どちらでしょうか。

試験中心の教育文化は改革を

――初めて訪れた日本で、さまざまな人と意見交換をしたと思います。どういう印象ですか。

お互いに敬意を持ち、高い勤労倫理と奉仕精神をもつ日本の方々に出会えて、とてもうれしく思います。ただ、決まり切った仕事がAIに吸収されていくということについて、まだ、主流の学校で理解されているようには見えません。

日本の政府が、新たな包括的なカリキュラムを作って、それをすべての生徒にやらせることが正しい解決法だと考えているのなら、これ以上の誤りはないでしょう。学校教育が固定化され、試験中心の教育文化になっているように見え、憂慮しています。学校を訪ねた時、「私をしばる義務的なカリキュラムは何もありません」と先生たちが言えるような環境がよいと思いますが、日本はそうなっていないようです。

経済にイノベーションを起こすセクターが日本の経済にあればあるほど良いのです。同様に、学校に独創的でイノベーティブな生徒がいればいるほどよいのです。日本の経済は過去20年、ほとんど成長しておらず、イノベーションを起こせる独創的なセクターの規模はかなり小さい。これまで日本経済を支えてきた仕事は、これからの10年、20年の間にどんどんAIやロボットによって置き換わられていき、津波のような変化が起きるでしょう。

ディケンズの小説「二都物語」は、「あれは最良の時代であり、最悪の時代だった」という言葉で始まります。学校教育も、優先順位をどこに置くかで、生徒たち、コミュニティー、そして一つの国全体が「最良の時代」になるか、「最悪の時代」になるかが決まると思っています。

招いたのはFutureEdu Tokyoの竹村詠美さんら

今回、ディンタースミス氏を日本に招いたのは、教育NPOの「FutureEdu Tokyo」。共同代表の竹村詠美氏は、イベント管理サービス「Peatix」の共同創業者で、自ら子育てをするなかで学び方の選択肢を広げたいと感じ、学童保育施設「環優舎」を経営する吉川まりえ氏とともに2016年5月、団体を立ち上げた。翌月から全国各地で、ディンタースミス氏の映画の自主上映会を主催したり上映を支援したりし、教育関係者や保護者、学生らと意見交換を重ねてきた。

FutureEdu Tokyo共同代表の竹村詠美さん=千代田区立麴町中学校で、フェスラー千酉氏撮影

今回のディンタースミス氏の講演も、映画の上映とセットで行われた。69日に早稲田大学、10日には、千代田区立麴町中学校で上映会があり、その後、集まった教育関係者らと討論があった。非常に興味深かったこの討論の中身、また開催会場となった麴町中学が取り組んでいるさまざまな学校改革については、別の機会に改めて紹介したい。

◇次回は教育熱すさまじい韓国で、カリスマ予備校講師から教育評論家に転じたイ・ボム氏を取り上げます。韓国でも、試験中心の教育でよいのか、模索が始まっています。7月28日(土)公開の予定です。