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私の実験室は家のガレージ ここまでカジュアルになった遺伝子改変

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実験室で遺伝子改変について話すデビッド・イシー=米ミシシッピー州、宋光祐撮影
実験室で遺伝子改変について話すデビッド・イシー=米ミシシッピー州、宋光祐撮影

■技術のハードル下がり、「バイオ・ハッカー」急増

天井までアサガオがツルを伸ばす廊下をくぐり抜けると、部屋の中には実験機器や試薬の小瓶が整然と並んでいた。窓の外には、エンパイアステートビルが見える。「ようこそ、僕の研究室へ」。セバスチャン・コチョバ(27)が笑顔で迎えてくれた。ジーンズ姿で靴下もはかず、くつろいだ様子だ。

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自宅の一室を実験室として使うセバスチャン・コチョバ=米ニューヨーク、宋光祐撮影

米国ニューヨーク市のマンハッタンに近いロングアイランドシティ。コチョバは約7年前から、両親と暮らすマンションの一室で植物の遺伝子改変を研究してきた。

子どもの頃から植物に興味があり、大学でも生物学を専攻した。しかし、「自分の思うように研究ができない」と感じて中退。以降、主にインターネットを通じて遺伝子改変の知識を習得してきた。中古の実験機器や試薬もネットオークションで買いそろえた。

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コチョバが自宅の窓際につくった遺伝子改変のための実験スペース=米ニューヨーク、宋光祐撮影

研究成果をフェイスブックにアップすると、関心を持った企業や美術館が、医薬品研究用の種子や展覧会用の花など、さまざまな遺伝子改変のプロジェクトを持ち込んでくるようになった。ここ2年は「フルタイム」で働いている。

将来は、ゲノム編集技術「クリスパー・キャス9(ナイン)」CRISPRCas9)を使って自然界にない青色のバラなどを作るつもりだ。「誰も見たことのない花を作りたい。花そのものを生み出せるフラワーデザイナーになりたいんだ」

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クリスパー・キャス9を使って遺伝子を改変したペチュニア。自然のペチュニア(写真奥)より大きくなった=米ニューヨーク、宋光祐撮影

大学の実験室でやるような遺伝子改変に自宅の一室やガレージで挑む、コチョバのような者たちは「バイオハッカー」と呼ばれ、米国を中心に世界中で増えている。背景には、必要な知識がネットから手に入るようになり、DNA解析など実験にかかるコストも劇的に下がったことがある。さらに「高校生でも使える」と言われるほど扱いやすいクリスパーの登場。米国では自宅でのゲノム編集実験に規制はなく、試薬が買えるサイトも現れて、日曜大工のような感覚の「DIYバイオロジー」が流行した。

■分からないことはネットで仲間に聞く

ミシシッピ州に住むデビッド・イシー(32)は3年前から、庭に建てた作業小屋で、飼っている大型犬マスティフの遺伝子改変を試みている。家は代々ブリーダーで、以前から犬種に特有の遺伝子疾患にかからない犬を作りたいと考えていた。

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ピペットでDNAを扱うデビッド・イシー=米ミシシッピー州、宋光祐撮影

学校に通ったのは小学校まで。自宅学習で高校卒業資格を得たものの大学には進んでいない。分からないことはネットで他のバイオハッカーに尋ねている。

早ければ秋にも遺伝子を改変した初めての犬が生まれる。ただ米国食品医薬品局は、安全性が確認されるまで遺伝子改変をした犬を売ったり、譲ったりすることを認めていない。それでも、イシーにめげる気配はない。「僕がやりたいのは、どんなブリーダーでも健康な犬を作れるように技術を共有することだ」 

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生まれて間もない子犬を抱くデビッド・イシー。秋を目標に遺伝子改変した子犬の誕生に取り組んでいる=米ミシシッピー州、宋光祐撮影

■遺伝子を民主化する「弁当箱」

DIYバイオロジー」はこの先、何をもたらすのか。

流行の発信地ニューヨーク市南部のブルックリン地区には、会費を払えば誰でも使える「コミュニティーラボ」がある。NPO「ジェンスペース」が2010年、DNAや遺伝子配列を操作する分子生物学の知識を広めようと運営を始めた。設立者のダニエル・グラシュケン(40)は、「バイオテクノロジーは人間の暮らし方を左右する。だからこそ、普通の人たちも知識を持つべきだ」と話す。一般向けにも生物学の歴史から初歩的な実験技術までを学べる「バイオハッカー・ブートキャンプ」を開いている。

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講師役の専門家(写真左)からDNAを扱う実験方法を学ぶ「バイオハッカー・ブートキャンプ」の参加者=米ニューヨーク、宋光祐撮影

誰でも遺伝子を扱えるようにする──。そんな取り組みは英国でも始まっている。ロンドンに住むフィリップ・ボーイング(28)はコンピューターサイエンスを学んでいた大学時代に、生物学専攻のベタン・ウルフェンダン(27)と知り合い、DNA分析装置「ベントーラボ」を開発した。

遠心分離器など三つの必要な機能をA4サイズに収めて価格は約2000ドル。機器を別々に買うよりも大幅に安く、持ち運びできる点が画期的だ。親しみやすいようにと名前は日本の「弁当箱」から。世界で約400台売れた。研究者の屋外調査から自家製ビール酵母の分析まで用途は様々だ。

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ベントーラボを開発したフィリップ・ボーイング=ロンドン、宋光祐撮影

ウルフェンダンによると、ハーバード大学教授の遺伝学者ジョージ・チャーチはベントーラボを「現代のアップルⅡだ」と称賛した。スティーブ・ジョブズらが開発・発売したパソコンは、大学の研究者や企業だけのものだったコンピューターを普通の人びとに開放した。ボーイングは言う。「遺伝子や分子生物学を誰にでもアクセスできるようにしたい。これは遺伝子の民主化だよ」(宋光祐)

■分析装置の世界にも価格破壊

髪の毛や目の色、あるいは筋肉や血液の作りかた。私たちが親から受け継ぐ遺伝子(遺伝情報)は、DNAという物質に保存されている。そこに書かれた生命の設計図を読みとくのがDNAシーケンサーと呼ばれる分析装置だ。
生物の遺伝子を自在に改変するゲノム編集技術が急速な進化をとげるなか、この分析装置も、それを上回るピッチで技術革新が進み、科学やビジネスのあり方を根底から変えつつある。
大きな変化が起きたのは、2000年代後半。「超加速度的」(ニューヨーク大学教授ジェフ・ブーケ)といえるピッチでコストが下落しはじめたのだ。言ってみれば、資産家の特権だった高級プライベートジェットが、だれでも手に入れられるような状態になった。
DNAの構造は、ヒトだけでなく、ほかの動物も、植物も、微生物や細菌も、みな同じ。革命的な価格破壊にともなって、DNA解析は、生命がかかわる様々な分野に広がりだした。古代人骨からDNAを抽出する技法が発展し、ネアンデルタール人のDNAが解読されたのは2010年のこと。これにより、現代人がネアンデルタール人の遺伝子を引き継いでいることが明らかになった。英国の図書館が保管する中世の書物に付着したDNAを採取して、当時の地球環境などを調べようという試みも始まった。
DNA解析で調べるのは2重らせんの鎖状構造の真ん中をつなぐ四つの塩基の配列。アデニン(A)、グアニン(G)、シトシン(C)、チミン(T)がどう連なっているか、いわば4文字のデジタル情報を読んでいく形で、コンピューターとの親和性が非常に高いのも特徴だ。
分析装置の用途が広がった結果、生成されるDNA情報は分野も分量も急拡大して、一大ビッグデータ群となりつつある。4文字が連なるデータから意味ある情報を引き出すには、ビッグデータ解析にたけた人工知能(AI)が不可欠になりつつあり、新たな遺伝子機能の発見や新薬の開発などを目指すベンチャー企業の設立も相次いでいる。(田中郁也)

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