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デジタルと子どもをつなぐ 21世紀の新たな学びをつくる仕掛け人

Breakthrough 突破する力
秋の夕日を背景に、生まれ育った地元の「谷中ぎんざ」で。CANVASの現在の事務所もこの近くにある=東京都台東区
Photo:Semba Satoru
秋の夕日を背景に、生まれ育った地元の「谷中ぎんざ」で。CANVASの現在の事務所もこの近くにある=東京都台東区 Photo:Semba Satoru

「教育にデジタルを」新風吹き込む

「人工知能(AI)や様々なものがインターネットとつながるIoTの時代。子どもたちに重要な学びとは、デジタルを使いこなしてコミュニケーションや創造力を育むことです」

石戸はさらにこう続けた。「子どもにとって粘土やクレヨンがあるように、プログラミングもある。プログラミング『を』学ぶのではなく、プログラミング『で』学ぶのです」。プログラムを作成する技術を学ぶのではなく、論理的な思考や独自の表現を培う手段の一つとして、プログラミングがあるというわけだ。

日本の教育現場は2020年度から、本格的なデジタル時代を迎える。小学校でプログラミングが必修となり、紙の教科書の内容を電子データ化した「デジタル教科書」も使えるようになる。デジタルの補助教材と組み合わせれば、英語の発音を聞いたり、関連する動画を見たり、学びの幅が広がると期待されている。石戸は、日本の教育界にデジタルの新風を吹き込もうとする仕掛け人の一人だ。

子どもたちがパソコンやネットを使って独自の表現をしたり、世界中の子どもたちとつながって新たな創造力を生み出したり――。石戸が理事長を務めるNPO法人「CANVAS」は、そんなデジタルの世界と子どもをつなぐ活動を続けてきた。02年の立ち上げ時に石戸を誘った、慶応大大学院メディアデザイン研究科教授の中村伊知哉(56)は、彼女をこう評する。「突進力がある。でも、何かぼやーんとした、ある種の緩さもある。みんなの声を聞いてから調整して進めるタイプだから、業界のおじさん連中が集まっても何となく彼女に動かされる」

だが、石戸がCANVASにたどり着くまでには、本人も予想しなかった道筋と出会いを経ることになる。

行き先は宇宙ではなく、メディアラボ

生まれは、東京の下町・荒川区日暮里。JR日暮里駅を挟んで反対側は台東区谷中で、谷中霊園が幼い頃のかっこうの遊び場だった。そんな下町情緒が漂う町で、石戸はプラスチック工場を営む父とプログラマーの母に育てられた。「ものづくり」と「デジタル」が、物心ついたときからそばにあった。

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下町の雰囲気が好きで、草履を愛用。足袋は冬にはニーハイソックスのタイプや、毛糸でモコモコのものも Photo: Semba Satoru

科学好きの兄に連れられ、石戸は毎週末、近所の国立科学博物館をはじめ様々な科学館に通った。お気に入りはプラネタリウム。しだいに天体や宇宙への憧れを抱くようになり、大学進学時には「航空宇宙工学科がある」という理由で東大に進んだ。しかし、大学3年のときに最初の転機が訪れる。
宇宙への狭き門を前に、学生の多くが重工産業に就職を決めていた。抱き続けた宇宙への思いが揺らいでいた時、たまたま授業で米マサチューセッツ工科大学(MIT)メディアラボの存在を知る。1985年に創設された世界最先端の研究拠点は、電子ペーパー「Eインク」などデジタル分野で様々な技術革新を生み出していた。「迷いがすっと晴れた。宇宙は『ある世界』を探求していくが、デジタルは『ない世界』をつくっていく。私が行くのは宇宙ではなく、メディアラボだ」。小さな頃から石戸に根付いていた「ものづくり」への憧れが呼び覚まされた。

02年に東大を卒業すると、メディアラボの客員研究員に。全てが新鮮で刺激的だったという理想の環境で、石戸は教育に新たな可能性を見いだす。「ITで最も恩恵を受けるのは、途上国とその子どもたち」というラボの基本理念にひかれ、欧米など十数カ国のチルドレンズ・ミュージアムを視察もした。

世界最先端の動きや情報を吸収した石戸の視線は、日本に向かう。「日本で新しい学びの場をつくるために時間を使いたい」。半年でラボを後にして、日本で実践に移った。

デジタルで変える学び、想像して創造する

帰国後すぐに立ち上げに携わったCANVASは、当初4年で活動を終える計画だった。その間に、デジタル教育を実際に子どもたちに体験してもらう「ワークショップ」を全国で展開し、同じような組織が各地に生まれ、育っていく。そんなシナリオを描いていたからだ。だが、ネットがようやく一般にも普及しつつあった当時の日本では、デジタルへの視線は今よりずっと厳しかった。子どもの視力や脳に悪影響はないか。教師の職が奪われるのではないか。そんなデジタルに対する世間の不安は予想以上に強く、活動の輪はなかなか広がらない。石戸は日本に腰を落ちつけて、地道に活動を続けていく道を選んだ。

04年からは年1回、アートやアニメ制作、実験、プログラミングといった全国100以上のワークショップを一堂に紹介する「ワークショップコレクション」をスタート。これだけ大規模な子ども関連のイベントで、大きな事故やクレームは命取りになる。石戸は裏方のスタッフらと計画を練り、企業や自治体などと交渉を重ねた。その苦労が実を結び、開催2日間で10万人の来場を記録。世界最大級の子ども向け創作イベントとして注目を集めるようになる。草の根的に全国で展開してきたワークショップも、これまでに計3千回、参加人数はのべ約50万人に達した。

デジタル教育の「本丸」となる学校現場でも、10年ごろから追い風が吹き始めた。当時の民主党政権が教育の情報化に力を入れたのに加え、iPadやスマホなど新たなデバイスが広まると、親たちの世代の意識も変わり始めた。おのずとデジタル教科書やプログラミングを導入する議論が加速した。
石戸自身も役所の有識者会議や審議会の委員として積極的に身をさらして、教育界に変化を促すことに力を注いだ。とくに、小学校でのデジタル教科書とプログラミング教育の早期導入に、石戸はこだわった。「ワークショップの参加者はのべ50万人だが、日本には約1千万人の小中学生がいる。学校にプログラミングなどの学びが入ることは、私の悲願だった」 

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プログラミング教育に関するシンポジウムのパネル討議で司会する=東京都文京区の東京大学 Photo:Semba Satoru

しかし、20年度の導入に向けた準備は遅々として進んでいない。デジタル教育には新たな技術やシステムの導入が欠かせない。教育現場で劇的な変化が起きることを望まない団体などとの攻防が続くなか、そうした団体の勢いに押されて石戸らが運営する一般社団法人「デジタル教科書教材協議会(DiTT)」が組織存続の危機に立たされたこともあった。追い詰められた石戸を救ったのは、デジタル教育に理解を示す民間の人びとだった。「自分の子どものことを考えても、これからの教育にデジタルはなくてはならない」「石戸さんたちの活動は必要だ」。総会で口々に励まされ、人前で愚痴や弱音を吐くことがめったにない石戸の目に涙があふれた。

石戸らに頼まれてDiTT会長に就いた、元東大総長の小宮山宏(73)は言う。「日本には新しいことには動かないという構造がある。石戸さんには、その構造を変える先べんをつけてほしい。信じるところをやれ、妥協するな。彼女にはそう言っている」

期待を背に石戸は言う。「日本の学校はソーシャル化どころか、その前段のデジタル化で苦労している。でもこれからは、その先のAI時代の学びのあり方についても、子どもたちと議論しながら提示していきたい」(文中敬称略)

■Profile

  • 1979 東京・日暮里生まれ
  • 1998 東京大入学。米航空宇宙局(NASA)に強く憧れる。3年生の時にMITメディアラボを見学
  • 2002 東大工学部システム創成学科を首席で卒業、メディアラボ客員研究員に。11月、子ども向け創造・表現活動を推進するCANVAS発足
  • 2010 長男を出産
  • 2011 株式会社「デジタルえほん」を立ち上げ、えほんアプリを制作
  • 2013 総務省情報通信審議会委員に就任
  • 2014 慶応大大学院メディアデザイン研究科准教授に就任
  • 2015 経済産業省産業構造審議会新産業構造部会委員
  • 2016 文部科学省の小学校段階における論理的思考力や創造性、問題解決能力等の育成とプログラミング教育に関する有識者会議委員に
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Memo

息抜きは子どもとの時間…「できるだけ子どもと過ごす時間を大事にしている」と言う。長男の宙(そら)君と30分ひたすらしりとりをしたり、カードゲームをつくったりして遊んでいることも。アプリを作る時には、宙君に実際に遊んでもらい、意見や感想をとりいれることもあるという。

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石戸奈々子さんと宙君=本人提供

仕事は徹底してデジタル化…子どもとの時間を生み出すため、基本的に会議や打ち合わせは昼間。そのため、隙間時間にも仕事ができるよう徹底的にデジタル化、クラウド化してスマホで対応するようにしている。「イエスかノーだけのすごく簡単なメールしか出さないけど、返事ができない環境だけは困るから」