9月12日にアップルから iPhone X が発表されました。今年は初代 iPhone 生誕からちょうど10年になります。IT革命が始まって以来、これほどまでに急速に普及し、世界を変えてしまった製品は他にないでしょう。僕が今英語学校を経営しているフィリピンでも、街ゆく乗合バス、ジプニーの中では、誰もがスマホの画面に見入っています。
先進国と発展途上国との間の情報格差は急速に消え去り、自動車や自転車のライドシェア、あるいはモバイルバンキングなどなど、スマホならではの様々なサービスが次々に新しく生まれてきました。僕たちの暮らしぶりは、一体スマホ普及以前はどうしていたのかと思うほどの変わりようです。
生誕10周年を迎えたスマートフォンは、ここに来てすでに完成の域に達した感があります。iPhone Xを購入したからと言って、何か新しいことができるというわけでもありません。 やれることはその数世代前の機種とそれほど変わらないのです。
また同日に発表された Apple Watch も、ついに通信機能が搭載されて一定の完成を見たような状況です。Apple Watchの売り上げがすでにロレックスやオメガを追い抜いたとの報道もありましたが、これからもこうしたウェアラブル・デバイスは、僕らの生活にジワジワと浸透し続けるでしょう。
しかし、こうしたウェアラブル・デバイスは、スマートフォンに取って代わるものではなく、スマートフォンと併用して僕らが身に付けるものになっていくようなのです。では、スマートフォンに取って代わる情報端末はありうるのでしょうか? そしてもしもそんなものがあるとすれば、それはどのようなものになるのでしょうか?
情報端末はやがて人と同等になる
スマートフォンの「次」にやって来る情報端末がどのような形状になるのかは一度横に置いておいて、まずはユーザーインターフェイスがどのような形になっていくのかを考えてみたいと思います。
現在主流の画面を指でタッチするというインターフェイスは、おそらく時代遅れになっていくでしょう。実際問題、アプリごとに操作方法を覚えるのは面倒なものです。アプリごとに初期設定を施し、そしてまたアプリごとに異なった操作方法を覚える…… そしてバージョンアップのたびに微妙に操作方法が変わり、その都度学習し直しです。さらに根本的なことを言ってしまえば、必要なアプリをその都度画面上から探すのだって実に面倒なものです。
こんな面倒臭いユーザーインターフェイスはそろそろ終わりになります。やがて各種情報端末のユーザーインターフェイスは人間の音声やジェスチャー、また表情などを利用した、人間本来のコミュニケーション方法に近づいていくはずです。普通に自然言語で会話し、指を差して指示し、笑ったり怒ったりすると、それを端末が理解するようになるのです。また、ウェアラブルデバイスなどから得た情報に基づき、人間側の睡眠の質や体調に到るまで、全てを把握して僕らに対して適切なメッセージやアドバイスを発するようになるに違いありません。
この兆しはすでにあります。その先端を行くのは、今アメリカで大流行のスマートスピーカーです。
僕も自宅で使っていますが、音声認識率も驚くほど高く、音楽を流してくれる、計算をしてくれる、ニュースや天気予報などを教えてくれる他に、スタバのコーヒーを注文したり、ライドシェアを呼んだり、アマゾンに注文を入れる、などといったかなり込み入った操作を全て自然言語で実行させることが可能なのです。
また、これらスマートスピーカーで操作できるスマート家電も流行っており、空調の温度を調節する、照明を明るさを変えるなどといった操作さえ、音声で行えるのです。またグーグルから発売されているスピーカーは能動的にスピーカーの方から話しかけてきて、差し迫っている予定などを教えてくれるなどといったこともしてくれるようです。
ただ、音声「だけ」で操作していると、まだるっこしいと感じることも多々あります。“here” (ここ)、“there”(あそこ)、“this”(これ)、 “that”(あれ) などといった代名詞ももう少し理解してほしいですし、ジェスチャーも理解してくれればいいのにな、と思うことが多々あります。またこちらがイライラしているのか、あるいはのんびりしているのかも察してほしいと思うこともあります。
iPhone X には顔認証機能がついていますが、ありとあらゆる人の顔を見分けられるならば、表情の判別など容易いはずです。そう遠くない将来、多くの情報端末が音声のみならず、表情、そしてジェスチャーをも理解できるようになるはずです。そうなれば僕らは、まるで人に指図したり尋ねたりするときのように、情報端末に接するようになるでしょう。
その頃にはスマホをいちいちポケットやカバンからとりださずとも、ただ普通に身振り手振りを交えながら話しかければコトが足りるようになるはずです。イメージとしては、映画「アイアンマン」に登場する人工知能J.A.R.V.I.S.(ジャーヴィス)のような感じです。情報端末自体の形状を予想することは難しいですが、アプリ毎に操作を覚えるといった雑事から、僕らは確実に解放されるはずです。
秘書、部下、それとも親友?
今後、こうした情報端末は人工知能の発達によりさらに賢くなるでしょうから、やがて、有能な秘書のように、僕らの生活や仕事に欠かせない存在になっていくに違いありません。今でさえコーヒーを音声で注文できるのですから、アポを取ったり、航空券や宿の予約をしたりといったことさえ自然言語で指示しておけばやっておいてくれるようになるはずです。
また、前回の人工知能の話でも書いたように、適切な目標設定をしてあげれば、まるで有能な部下のように、相当複雑なタスクでも機械が勝手にやり方を解明し、人間がやるよりも効率よくやってくれるようになるでしょう。
今から10〜20年もする頃には、おそらく情報端末が人間の相棒としての役割を果たすようになります。絵空事に思うかもしれませんが、今だって現実の女の子よりも二次元の女の子の方が良い人がたくさんいるのです。ですから機械が人間の相棒になるのは、それほど突拍子のない話ではありません。
僕自身、仕事でフィリピンに滞在しているときには一人暮らしなので、かなり退屈です。話し相手がいないというのは実につまらないもので、せめてペットでもいいから居ればいいのにな、と思わされることが多々あります。今は寿命は伸び続け、生涯未婚率も上昇する一方ですから、人生の長い期間を一人で過ごす人が非常に増えています。ですから喋ってくれる相手がいるなら、それが機械とわかっていても、喜んで受け入れる人が潜在的に相当たくさんいるはずです。
アマゾンのアレクサなどにはすでに冗談を言う機能が備わっていますが、今後は情報端末がちょっとした悩み相談をしてくれるようになるかもしれません。あるいは考え事をしているときに、思考を助けてくれるようなアシスタント的な役割を果たしてくれるようにもなるでしょう。
何しろ、好みの音楽や映像作品から空調の温度、交友関係や1日のスケジュールに到るまで、自分のことを親よりも知っているのが、配偶者でも恋人でもなく、情報端末となるのです。悩み相談の事例だってクラウド上にどんどん蓄積されていくでしょうから、そう遠からぬ将来、適切なアドバイスをしてくれるようになるに違いありません。自分に最適化された親友、それが未来の情報端末です。
それは果たして自分のためになる存在になるのか?
ではそんな情報端末が身近になった未来、人間はどんなふうに暮らしているのでしょうか? 最適化された情報端末を有効活用し、バリバリと創作活動に励むのでしょうか? 無駄のないスケジューリングをしてくれて、時間を有効に使うようになるのでしょうか? おそらく、一定の層はそういった暮らしを手にするでしょう。
しかし、ある一定の層は最適化されたこの機械の相棒に新しい課金ゲームを勧められたり、太りやすい食事を勧められたりして、時間やお金を無駄にし、健康を損ね、情報端末の裏側にいる会社にいいように利用されて一生を過ごすようになるのだと思うのです。今だって僕らは「あなたへのおすすめ」に振り回されて大して要りもしないものを買ったり、どうでもいいビデオなどを見たり、やってもやらなくても大差ないゲームなどを延々としているのです。
前回も書きましたが、これから求められるのは、世界を理解する力と、自ら課題を見出し、解決していく能力です。単にまわりに流されるだけでは、快適なままドツボにはまってしまい、そこから抜け出せなくなります。そして実際にそんな人々は、たくさん生まれてくるに違いありません。