【アメリカIT業界で働く③】億万長者になっても働く? 米ITエンジニアたちのFIREと「リタイアビリティ」の正体
ここ15年ほどにわたるIT業界の好景気の副産物として、多くのエンジニアが「お金持ち」になった。
だが、貯蓄額が増えても特に生活レベルを変えないエンジニアは多い。相変わらず社員に配られるTシャツやパーカーを着て、カジュアルな短パンにサンダルを履いた、見た目からは一般人とまったく区別がつかない「億万長者」が量産されている。
IT業界でお金持ちになる、昔からよく知られているやり方は、スタートアップ企業を創業するか、早いうちに参画する方法である。株式公開(IPO)や大手企業に買収されることによって持ち株を多額の資産に化けさせる。
それに加えて、ここ最近の好景気で増えてきた新しい方法として、上場企業に数年勤務して自社株でもうけるという道も出てきた。大企業に勤めると、現金での基本給とは別に、かなりの割合の給与が自社株、Restricted Stock Units(譲渡制限付き株式報酬)の形で支払われる。運が良ければ、その株価が上昇することで大きな資産になるのだ。
資産運用の常識として、一つの会社の株だけを持つことはリスクが大きすぎる。自社株を手にしたらすぐに売却して、インデックスファンド(市場全体の動きを表す指標に連動した投資信託のこと。リスク分散の効果があるとされる)などに分散投資するのが王道である。
ところが、ここで珍現象が起こってしまった。IT業界の大企業の株が軒並み高騰したため、資産運用に興味がなく、自動的にもらった株をそのまま放置していた人の方が資産額が大きくなってしまったのだ。
いわば、本人が知らないうちに単独株でギャンブルをしたことになっていて、知らないうちにそのギャンブルに勝ってしまったという皮肉な状況である。
こうした事情から数億円規模の、いわば「上がりの資産」を手に入れてしまったエンジニアたちが存在している。しかし、彼らの大部分は相変わらず地道に好きな仕事を続ける。
一部は、40代や50代、早い人は30代で「FIRE」(Financial Independence, Retire Early :経済的自立と早期リタイア)と称して引退していく。若くして経済的な心配をせずに悠々自適な生活を送るのは非常に良い話に聞こえるが、彼らを見ていて興味深いことに気がついた。
FIREした人の半数ほどが、半年から1年ぐらい経つとまた働き始めるのだ。
そんな友人たちに仕事に復帰した理由を尋ねると、だいたい同じような答えが返ってくる。「退屈」なのだそうだ。
計画的にFIREした人たちは、たいてい「引退したらやりたいことリスト」を作っている。世界一周旅行とか、豪華客船クルーズとか、一度きりの体験のリストは、真面目に取り組んだら半年かそこらで達成できてしまう。その後、自宅に戻って「何ものにも縛られない生活」を送っていると、毎日が非常に単調になる。
そして、適度な難しさの課題があって、日々小さな成功や失敗を経験させてくれ、仲間とのインタラクションや喜びとストレスをいい具合に与えてくれたかつての「仕事」のありがたさが、身に染みて分かってくるのだ。
また、「仕事を通じて自分が社会に貢献しているという感覚」が、自分の存在意義、心のよりどころになっていることに気づいたという人も多い。ネットミーム(ネット空間の定番ネタ)でいうところのただの「食物を摂取して排泄(はいせつ)するだけの機械」に自分がなってしまったということが耐えられない。「自分が人の役に立っている」という感覚を失ってから、それが大事だったことに気づく人は多い。
いっぽう、引退後の生活を心から楽しんでいる友人たちもいる。趣味に多くの時間を使い、それ以外にもいろいろなことがあって退屈しない。社会への貢献など気にしない、または今まで十分以上に貢献したんだからもういいだろうと考えることができる。
有りあまる自由時間の一部を使って、投資活動やボランティア活動で社会にインパクトを与えることもある。いちど自由を経験した後にまた不自由な状態に戻ろうという気持ちが理解できないとまで言う人もいる。
そういう話をいろいろな人から聞いているうちに、数年前、私は「リタイアビリティ(Retirability)」という言葉に思い至った。「リタイア」と「アビリティ(能力)」をくっつけた私独自の造語で、辞書に載っていないことも確認した。日本語で言うと「リタイア能力」とか「引退力」とも言えるかもしれない。
リタイアビリティが高い人は、引退後の生活を楽しみ、仕事に復帰したいとは思わない。低い人は引退生活を続けることが難しく、早晩仕事に復帰することになる。
ここで強調したいのが、リタイアビリティが高い人は日々の生活を楽しめる素晴らしい人であり、低い人は社会に貢献し続ける素晴らしい人であるということだ。まだ働くことができる年齢なら、どちらが良い、悪いというものではない。
ただ、自主的にしろ、強制的にしろ、自分が実際に引退することになるまでには、リタイアビリティを上げておいた方が後の生活は楽しいものになるだろう。
40代、50代の周りの友人にこの話をすると、ほとんどの人が興味を持ってくれて、自分のリタイアビリティは高いか低いか、どういう要素でリタイアビリティの高低が決まるのかという議論になる。
いずれ来るであろう引退への不安と憧れ、そしてそれが自分にもやってくる時期はけっこう近づいてきているかもしれないという当事者感覚がまざった、複雑な年代なのだ。
いろいろ議論した結果、私としては、リタイアビリティの高低は以下の要素で決まるのだろうと考えている。
かく言う私は、この話をするたびに「自分のリタイアビリティは高いか低いかよく分からない」と語っていた。そして実際に2025年9月に退職した後、しばらくの間わざと生産的でない生活を送ってみた。自分のリタイアビリティを測る「人体実験」である。
最初の半年ほどは社会貢献なしの「消費ばかり」の生活でも存外平気なことが分かり、リタイアビリティはそんなに低くないかもしれないと思うようになった。
しかし、9カ月ほど経ったところで転職活動を始め、引退生活を10カ月で終わりにして、AIスタートアップ企業Yoodliで働き始めることになった。前述の「半年から1年ぐらい経つとまた働き始める」人に完璧に当てはまってしまったわけで、はたから見たら「リタイアビリティの低い人」ということになるのは否定できない。
転職活動を始めたのには、いくつか理由がある。
まず、昨今のAIエージェントを使ったソフトウェア開発環境の変化の話を見聞きして、「これは個人プロジェクトレベルではなく会社組織の仕事環境で経験してみないと分からないのではないか」と感じたこと。そして、転職先のYoodliが掲げる「AIを相手に面接や商談を練習する」「AIを道具にして人間のコミュニケーション能力を上げる」というビジョンが面白いと感じたこと。
さらに、「大企業勤務では経験できないスタートアップ企業の急成長というものを、自分はまだ経験したことがない。経験してみたい」という思いがわき上がってきたこともある。
しかし、もしかすると、「経験してみたい」はただの言い訳で、以前は必要ないと思っていた「社会貢献」への渇望が自分にはまだ残っていて、これからもできる限り働きたいと思い始めているのかもしれない。
それとも、なんだかんだ言いながら、AIを使った新しい仕事スタイルに飽きて好奇心がしぼんだら、辞めてまたリタイア生活に入ろうと考えてしまうのかもしれない。
つまり、自分で本当に何がしたいのか、時間をかけて考えてみたもののまだよく分かっていないというのが正直なところだ。どちらにしても、今後のためにも、徐々に意識的にリタイアビリティを上げていこうと思っている。
銀行口座の数字を増やすスキルも大事だが、豊かさに耐えうる心のスキルも鍛えて、これまでに築いた有形無形の資産を有効活用できるようになることが最も大事な「資産運用」なのかもしれない。