私たちも昔「移民」だった アニメ映画「ニホンジン」上映へ
物語の起点は1980年代のブラジル。10歳の日系3世の少年ノボルは、小学校で自分の文化的アイデンティティーを調べてくるように宿題を出される。祖父のヒデオを訪ね、聞かされたのは、船に乗って日本を出て新天地に活路を求めた家族の歴史だった。
コーヒー農園での厳しい労働環境や、家族の命と向き合いながら暮らしをつくることに苦労したこと。第2次世界大戦で祖国が敵国とされたこと。日本の勝利を信じた人と、そうでない人で日系人のコミュニティーが「負け組」と「勝ち組」に分断されたこと……。普段は寡黙な祖父から、初めて3世代にわたる家族の物語が紡ぎ出される。
原作は、日系人作家オスカール・ナカザト氏の著作「ニホンジン」。ブラジル出版界の最高権威とされる「ジャブチ賞」を2012年に受賞した。
アニメ映画としては、ブラジルで2025年10月に劇場公開され、ロングラン興行となったという。世界各国の映画祭に出品されており、今年5月のイタリアのアニメーション・フェスティバル「カートゥーンズ・オン・ザ・ベイ」では、脚本とサウンド・トラックで、審査員特別賞を受賞した。
実際にブラジルで暮らす日系人たちが声で出演しているのも特色だ。ヒデオ役は、1960年代にブラジルにわたった横浜出身の日系1世、ケン・カネコさん。孫のノボル役のピエトロ・タケダさんは父方が奈良出身の日系4世だ。
流暢な日本語に、ときどきポルトガル語が交ざる1世の語り。母語はポルトガル語でも祖父には「じっちゃーん」と呼びかける3世の口調……。
「本当に自然で、あの通りなんですよ」と長野県駒ケ根市に住む日系ブラジル人で、8歳までブラジルで過ごした宮ケ迫ナンシー理沙さんは語る。
「黒人の子が、自分のルーツについて史料がないと語る場面など、日系人以外の子どもたちについても立体的に描かれているんです」
自身は1991年、日系人を広く受け入れるようになった入管法改正直後に日本に「デカセギ」に来た父親を追いかけ、母親とともに8歳のときに来日した。神奈川県で小学校から高校まで過ごした。
大学院まで進学し、主に海外にルーツのある子どもの教育やメディア関係の仕事をしてきたが、「日系移民の話をしても、わかってくれる人が本当に少ない」と感じてきた。
「たった半世紀前まで移民を送り出していたというのに、その記憶はどこに行ったのか。私たちは日本の歴史の一部なのに、忘れられているのではないか」
だからこそ、ブラジルでつくられたこの映画を見て「日系人へのリスペクト」を感じ、日本で多くの人に見てほしいと広報役を引き受けた。
日本の映画館には行く機会の少ない日系人コミュニティーにも足を運んでほしいと、日本に住むさまざまな外国ルーツのインフルエンサーらにもSNS投稿を依頼するなど、奔走してきた。「この映画のテーマは私たち。ポルトガル語をそのまま上映するから、ぜひ見てほしい」と呼びかけている。
日本語の字幕を手掛けた宮下ケレコンえりかさんにも、日系人との忘れられない思い出がある。小学4年生の頃、当時住んでいた長野県上田市の山間の地域に、来日した日系ブラジル人の女の子が転校してきたのだ。
山間の暮らしで、外国への憧れや、広い世界をもっと知りたいと思っていた宮下さんは、目が合うと、にっこり笑ってくれた少女の姿に「仲良くなりたい」と感じ、話しかけた。互いの家を行き来するようになり、日系ブラジル人コミュニティーの「人の温かさと明るさに魅了された」という。
少女の家族と関わり合うなかで、ブラジル人たちの日本社会での生活しづらさを子ども心に感じとる一方で、ブラジルにひかれ、日本とブラジルをつなぐ仕事がしたいと思うようになった。大学でポルトガル語を学び、卒業後はブラジル映画祭を運営する会社で働いた。
「映画のノボルくんは、いま日本に暮らす日系人かもしれない」。そんな思いをはせながら訳した。
ブラジルでの上映では、映画のタイトルは「僕とニホンジンのおじいちゃん」だったが、日本での公開にあたっては「ニホンジン」と原作本に合わせた形だ。
「カタカナにすることで、ブラジルで受け継がれてきた日本人移民の歴史や文化、『日本人であり、ブラジル人である』という重層的なアイデンティティーが表現された」という。
ブラジルの事情に詳しい宮下さんは「ブラジルにわたった日本人移民にとって『ニホンジン』という言葉は、単に国籍を表すものではなかった。異国の地で生きるから、日本人であることをより強く意識し、その誇りが暮らしの支えとなっていた」とコメントした。