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山梨の団地、住人の半数超が外国人 訪ねたら「亀裂」と「共生の糸」両方が見えた

World Now 更新日: 公開日:
住民と話す日系ブラジル人の志垣パウロさん(右)と自治会長の大塚信矢さん(左)=2020年11月、山梨県中央市

片面に日本語、反対側にポルトガル語が書かれた団地の「自治会だより」がパイプいすの上に置かれていた。役員会に出席した12人が1枚ずつ手に取る。最後列に並んで座ったのが日系ブラジル人女性の3人の組長。数世帯ごとでつくる組のまとめ役だ。その隣にパーカーを着た男性が立ち、ときどきポルトガル語でささやく声が聞こえた。

10月下旬の夜、山梨県中央市の県営「山王団地」で開かれた自治会の役員会を訪ねた。200人を超す住人のうち半数以上が日系人を中心とした外国人。日本的な組織の代表例にも挙げられる自治会には外国人も参加している。

山王団地の自治会の役員会。毎月1回、開かれる=2020年10月、山梨県中央市

男性は日系ブラジル人の志垣パウロさん(34)。日本語が堪能で、5年前まで自治会の「外国人代表」の役職にあった。団地から引っ越して辞めたが、後任が見つからなかった。いまもわずかな報酬で自治会の文書を翻訳し、毎月の役員会にも通訳として出席。外国人とのトラブルがあれば駆けつけ、日本人との間を取り持つ。「団地がふるさとみたいになった。誰もやる人がいないなら、僕がやらないといけない」

5階建ての6棟が連なる県営山王団地。約45年前にできた

日本に日系ブラジル人が増えた始めたのは1990年代。出入国管理法の改正により日系2世や3世らの就労が認められ、南米から多くの人が出稼ぎに来た。近年の日本への労働移民の先駆けと言える。

志垣さんは5歳の頃、日系2世の父に続いて家族とともに来日。最初に山王団地で暮らしたのは13歳の時だ。周辺には食品工場などの働き口があった。まだ外国人は少なく、両親らが日本のルールを守ろうと努力していた姿が記憶に残っている。「日本語も覚え、なんとか日本になじまなきゃという気持ちが強かった」

団地内の掲示にはポルトガル語も目立つ=2020年10月、山梨県中央市

そんな関係に亀裂が生まれたのは2008年のリーマン・ショック後だ。多くの日系人が失業し、日本政府が費用を支給して帰国を後押しした。代わりに再入国が制限され、「よそ者を切るのか」といった反発が生まれた。

団地でも苦しい生活の中、半ば強制的に徴収される月2000円の自治会費への疑問が膨らんだ。日本人による横領も発覚し、支払い拒否が始まった。自治会の仕組みはブラジルにはない。外国人が多数派になるにつれ、「自分たちのルールで暮らしたい」と考える人が増えていった。

日本人側も「共生」の心構えができていなかった。自治会は除草や下水管の清掃、電球の交換など管理会社がやるような業務も担い、自治会費が貴重な収入源となっている。未納が積み上がると、自治会運営そのものが成り立たなくなる。次第に両者の溝は深まり、いまも日本人と外国人のトラブルは絶えない。

日本人男性の住人は「違反駐車だらけで、救急車が入れないこともあった」と憤る。女性は「外国人がゴミを持ち込む。注意したら、車やポストをへこまされた」と不満を言う。一方、日系人の女性も「うるさい日本人は無視する」と反発する。「何かあれば警察に通報される。音楽や声がうるさい、けんか、ゴミの出し方……。いつも外国人のせいになる」

山王団地(左側)。周囲には田畑も広がる=2020年10月、山梨県中央市

日系人社会にもひびが入った。苦情への対応をめぐり、不満の矛先が、自治会で間に立つ外国人に向かった。後任の外国人代表が見つからない理由の一つでもある。

「分断」の影響は次の世代にも及んでいる。近くの田富小学校は日本語が話せない児童が2割に上る。校長の藤巻稔さん(60)は「派遣など親の仕事の都合で急な転校も珍しくない。まずは、おなかが痛い、困っているなどと伝えられるように、『サバイバル日本語』から教えている」と話す。

小学校で通訳をしていた日系3世の森越アロマさん(50)は、日本とつながりを持てず、「別世界」で孤立する子どもを大勢見てきた。親も日本語を話せず、家での会話やテレビもポルトガル語だけ。勉強についていけず、友達もできない。「親のように日本社会になじめないまま大人になっていく」。そんな流れを断ち切ろうと、自宅で学習支援に取り組む。

森越アロマさん。中央市国際交流協会の日本語教室でも外国人に日本語を教えている=2020年10月

団地でも、4月に会長に就いた大塚信矢さん(42)を中心に新たな取り組みが始まった。月に500円の自治会費と1500円の共益費に分けて透明化し、経費削減にも努力。業者に支払っていた支出を抑えるため、休日は自ら下水管の清掃にもあたる。

積極的に清掃に参加する外国人もいる。11月初旬の早朝、自治会内の各組が順番で担う、ごみ収集所での分別作業を訪ねると、組長を務める日系ブラジル人コガ・ケイコさん(25)が率先して働いていた。「自治会に入りたくないというブラジル人もいるが、人によって考えは違う。私は、やらなきゃいけないと思っている」。

早朝、団地の自治会が行っているごみ収集所での分別作業に参加する日系ブラジル人のコガ・ケイコさん(右)=2020年11月、山梨県中央市

大塚会長は言う。「日本人でも未納する人はいて、『外国人だから』ではない」。自身、別の地域で生まれ育ったが、団地に来るまでは自治会に積極的に参加したことはなかったという。だが、一部の外国人が一生懸命働く姿を見て、「日本人として恥ずかしくなった」と話す。来年度の自治会役員の公募は外国人にも呼びかける考えだ。応募はまだない。それでも次につながればと考えている。「同じ住民として協力していきたい」(中村靖三郎)

日系人のいま

日系人が大半を占める在留ブラジル人はピークだった2007年の約31万人からは減ったが、いまも約21万人。日系人に詳しい武蔵大学教授のアンジェロ・イシ(53)は「仕事を時給や日給ベースでしか考えられなくなる『時給制症候群』にはまってしまった」という。

日本語に不慣れな日系人が派遣で働くことは、低賃金の労働力を求める企業にも、「いつかブラジルに戻る」と思ってきた日系人のニーズにも短期的には合った。「定住者」の在留資格を持つこともあり、「学歴や職歴が過小評価され、ホワイトカラーへの転職も進まなかった」。(藤崎麻里)