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先人たちの努力に感謝する日々@サンタナデパルナイバ (ブラジル)

私の海外サバイバル 更新日: 公開日:
サンタナデパルナイバ中心部の公園。まわりには古い街並みが残る=豊福さん提供

豊福勉 京セラドキュメントソリューションズブラジルGM

日本を離れ、世界で活躍するビジネスパーソンのONOFFを聞く「私の海外サバイバル」。ブラジルをはじめ南米市場の開拓を手がけてきた複写機メーカーのゼネラルマネジャーに伺います。

私のON

ブラジルに赴任したのは、2005年のことでした。大学を卒業した後、コピー機などを製造する三田工業(現・京セラドキュメントソリューションズ)に入り、その翌年の1979年に米国に赴任。80年代前半からは米国から中南米への輸出を担当するようになりました。ブラジルを初めて訪れたのは80年代後半です。

その後、ブラジルに販売子会社を立ち上げることになり、移り住みました。海外生活はもう38年ほどになります。

官庁とのやりとりをへて会社を設立しましたが、その後も半年ぐらいは事業を始められませんでした。なんと許認可が複雑で時間がかかる国なのだろう、というのが最初の印象でした。これはどの業界も同じようです。いま思えばそれも良い経験でした。リオデジャネイロ五輪を前にして、競技会場の設営が間に合わないのではないかという報道は日本でもあったようですが、そうした非効率な部分は確かにあります。日本や米国のようにはいきません。

当初の従業員は4人。私たちの商品を扱う販売代理店になってくれる事業者を探してブラジル全土を回りました。今では26州・連邦区の全地域に代理店をおくことができ、コピーやファクスなどの機能を併せ持つ複合機を中心とした事務機器を販売しています。ブラジル経済は激しいアップダウンがあるものの、長期的には右肩上がりできており、可能性は大きいと感じています。

販売網を一からつくっていく中で強く感じたのが、日系人・日本人に対する信頼の高さです。どこへ行っても「日系人なら大丈夫」「日本人なら問題ない」と言ってもらえる。おかげで苦労なく、すっと仕事に入っていくことができました。その信用を積み重ねてきた日系人社会のみなさんの努力が本当に大きかったのだろうと、ありがたく思っています。

ブラジルのビジネスでは、個人対個人のつきあいが大事にされます。取引先の家に招かれて夕食を取ることは珍しくありませんし、代理店オーナーの息子さんの誕生日とか、結婚式といった席に招待されることもあります。

従業員のほとんどはブラジル人だ=豊福さん提供

従業員は日本人3人を含めて39人になりました。みんなまじめで一生懸命です。同時に明るく、おしゃべりも大好きです。私からもしょっちゅう声をかけています。日系の先人たちのご苦労があって、いまこうしてここで仕事をさせてもらっている。そういう思いで、上から目線にならないようなコミュニケーションを心がけています。

おしゃべり好きというのは、ブラジル人に共通しているようで、スーパーなどに行くとレジ係の店員と客とが話し込み始めることも。後ろに並んでいる人たちも特に文句を言わないので、こういうものなんでしょう。

お祭りやサンバも大好きです。年に2回、6月祭りとクリスマスの時期に会社でパーティーを開きます。倉庫などを会場にするのですが、深夜まで踊りが続きます。私も終宴近くまで残るようにしていますが、踊りは苦手で「踊ろう、踊ろう」と誘われるのが困りものです。

私のOFF

単身赴任ですので、この23年はストレス解消と体力維持のためにジョギングをしています。平日は5km、週末は10kmほど家の近くを走ります。雨の日はジムにも行きます。

ポルトガル語の勉強にもなるので、映画もよく見ています。ポルトガル語の吹き替えや字幕のある米国の映画が多く上映されています。私は大学でスペイン語を学び、仕事でも使ってきましたが、ポルトガル語は難しいと感じます。文法や単語はスペイン語によく似ているのに、発音が異なるために通じないことがあります。まだまだ勉強中です。

サンパウロの日本人街「リベルダージ」

海外生活が長くなり、「日本食がないと生きていけない」ということはないのですが、それでもやはり食べたくなることがあります。この街の日本料理店は「もどき」がほとんどなので、週末にバスと地下鉄を乗り継ぎ、1時間ほどかけてサンパウロ市内の日本人街「リベルダージ」に出かけます。日本食材を買いだめするためです。ここにはなんでもあります。納豆などは、ブラジル産もあります。

地元の市場でのお気に入りは果物ですね。日本では見たこともない、名前も知らないフルーツがたくさんあります。買う時には、店の人に食べ方を教わるようにしています。

バス停には行き先が書いてないし、時刻表もありません。30分ぐらい待っていると、バスが来るのでとりあえずそれに乗る。そんな感じです。そういうものだと思ってしまえばどうということはありません。逆に言うと、そういう風に思えないと、ブラジルではやっていけないのかもしれません。(構成・西村宏治)

Tsutomu Toyofuku

とよふく・つとむ/1956年、福岡県生まれ。米国勤務などを経て、2005年に京セラドキュメントソリューションズブラジルを立ち上げてゼネラルマネージャーに。

サンタナデパルナイバ

サンパウロ市から西北に約40キロほど離れた近郊都市。中心部には古い街並みが残る静かで美しい街だ。