地球環境の危機に立ち向かうため、司法の場で闘う潮流が世界で広がっている。気候変動のしわ寄せが、グローバルサウスの国々や、次世代に及ぶ不公平をただす「気候正義」の訴訟や、川などの自然や動物などを「原告」として訴える自然の権利訴訟が、提起されている。国や大企業などを動かそうとする新しい試みだが、その課題と意義はどこにあるのだろうか。
産業革命以降、人間の活動による地球環境の破壊は加速度的に進む。ドイツの化学者でノーベル賞受賞者の故パウル・クルッツェン氏は、人間によって地球環境が大きく変えられた時代だとして、現代を「人新世」と呼んだ。
地球が回復可能かどうかの限界を示す「プラネタリー・バウンダリー」という考え方では、生物多様性や気候変動、化学物質による汚染が、持続可能な範囲を大きく超えている。
米ハワイ州最高裁判所のマイケル・ウィルソン元裁判官は「気候変動の緊急性は、世界の判事が直面している最も重要な問題だ」と強調する。国際機関や国、企業が気候変動を食い止めるのに失敗している現状で、法律の力に訴える動きは、最後の望みとなる。
京都大の一原雅子特定助教は「気候変動は、時間的、地理的なスケールの大きさがこれまでの公害訴訟とは全く違う」と話す。
被害が、その原因が起きてまもなく生じ、狭い地域に限られれば、因果関係を比較的簡単に認定できる。しかし、気候変動の影響は国境を越え、将来の世代に続く。「悪影響は全人類に及び、潜在的な原告は無数にいる」
このことが世界の気候訴訟で壁となってきた。①原告だけが被害を受けているわけではない②世界全体の排出に比べれば、被告となる企業などの排出は「大海の一滴」にすぎない③気候変動は政治の問題だ、といった反論がなされ、門前払いされるケースも多い。
強い日差しの下、東京・銀座の歩行者天国を歩く人たち=2025年8月3日、竹花徹朗撮影
さらに日本には、法や政策の違法性を直接争える憲法裁判所がない。良好な環境で暮らすための「環境権」が、憲法などに規定されていない。人の健康や生活環境を守るために訴えられるのは、大気や水、土壌などの汚染による公害に限られるとされてきた。
一方で国連総会は2022年、「清浄で健康的かつ持続可能な環境に対する権利(環境権)」を人権と認める決議を採択。日本弁護士連合会は昨年、環境権の法制化を関係閣僚らに求めた。
法的な限界は、日本の自然の権利訴訟でも直面する課題だ。関連する法律は、環境基本法のほか、種の保存法などもあるが、自然の権利を認める法律はない。「原告」となった動物の自然の権利を認める判決はこれまでに出ていない。
多くの環境関連の訴訟を担当していた籠橋隆明弁護士は「日本の自然保護法は経済活動優先だ」と指摘する。
しかし、多くの壁があろうとも、世界の法律家は、工夫を凝らし、新しく緻密(ちみつ)な法理論と戦略で判例を積み上げて、その壁をこじ開けようとしている。
アマミノクロウサギなども原告に加えた裁判の弁論終了後の報告集会で「野生生物を守ろう」と発言する原告たち=1995年7月3日、鹿児島市山下町の鹿児島県教育会館で、朝日新聞社
籠橋弁護士は「(被告の主張の)非科学的な実態を明らかにしていくことができる。(社会への)インパクトもあり、表現行為としての意味もある。裁判という土俵に乗る価値は大きい」と話す。