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「私は絶対に屈しない」 暴政にもひるまず  草の根のアメリカはここに

World Now 更新日: 公開日:
グランドセントラル駅で開催された「ディア・ニューヨーク」のインスタレーション=2025年10月、ニューヨーク、福田宏樹撮影
グランドセントラル駅で開催された「ディア・ニューヨーク」のインスタレーション=2025年10月、ニューヨーク、福田宏樹撮影

11月のニューヨーク市長選は、イスラム教徒にして社会民主主義者を名乗るゾーラン・マムダニ氏が初当選して大きな話題になりました。筆者は選挙戦のさなかにマムダニ氏の集会をのぞきに出かけ、アメリカならではの堂に入った演説の数々に舌を巻きます。
グランドセントラル駅にも足を延ばし、開催中の大がかりな催しに「草の根のアメリカ」を見たのでした。

冷たい雨の朝、旧知のアメリカ人からメールが届いた。お前の宿から遠くないところでゾーラン・マムダニ氏の集会が今夜あるからのぞいてみるといい、という。

11月のニューヨーク市長選で当選した新星は、その頃まだ選挙戦の最中だった。民主党の州議会議員だったマムダニ氏は、党の予備選挙でアンドリュー・クオモ氏を破って驚かせていた。ウガンダ生まれのインド系でイスラム教徒、反トランプの姿勢は鮮明で、こういう人物が躍り出てくるとはさすがニューヨークだなと思っていたところでもある。

では、と事前登録を済ませると、主催団体から会場はユナイテッド・パレスという大きな劇場だと知らせが来た。

        マムダニ氏の集会に詰めかけた人たちが長蛇の列を成していた=2025年10月、ニューヨーク、福田宏樹撮影

マムダニ氏の集会に詰めかけた人たちが長蛇の列を成していた=2025年10月、ニューヨーク、福田宏樹撮影

 

早めに会場に着くと、悪天候のなか、二つのブロックを超えて参加者の列が続いているのに驚く。当たり前だが人種は雑多である。この日の集会は、トランプ大統領に目の敵にされているニューヨーク州司法長官レティシア・ジェームズ氏が登壇することでも注目を集めていた。ジェームズ氏はトランプ氏に不正な蓄財があったとして提訴、これに怒ったトランプ氏はジェームズ氏こそ銀行詐欺をしていると起訴に及んでいた。それから彼女が公の場に出るのは初めてになる。

マムダニ氏の集会で支援の缶バッジを選ぶ人たち=2025年10月、ニューヨーク、福田宏樹
マムダニ氏の集会で支援の缶バッジを選ぶ人たち=2025年10月、ニューヨーク、福田宏樹

持ち物検査を終えて中に入ると、大音量でダンス音楽が流れている。ほとんどパーティーの乗りで、司会進行はスタンダップ・コメディアンの青年が務め、軽妙な小話を挟んで会場を沸かせていく。ステージには派手な電飾、支持者たちも初めから盛り上がるつもりで来ているのだった。「我々の時は来た」と大書されたフライヤーがあちこちで揺れる。

タクシー組合の幹部やニューヨーク州の上院議員、市議らが次々に演説し、高齢者と高校生という組み合わせもあった。とにかくみんな話がうまい。人前で自分の意見を言う、という所作の鍛え方が小さい頃から日本とは全く違うことがよくわかる。日本の政治集会もだいぶ変わってきたとはいえ、このテンポの良さと高揚感はちょっとない。

ジェームズ氏が登壇した。大歓声に、黒人女性の司法長官は感極まった顔で会場を眺め渡し、手を合わせ、礼の言葉を小さく繰り返す。そのしぐさや表情、拍手が終わるのを待って話を切り出すタイミングは、やはり見事なものだなと感じ入る。本題に入ると迫力に圧倒された。

私たちは民主主義、統治システムの崩壊を目の前にしている、権利、保障、制度、移民を守るために立ち上がろう、あらゆる規範と法の支配を守るのだ、私は絶対に折れない、絶対に屈しない━━。

これはもう戦闘宣言、こぶしを突き上げて鼓舞する司法長官に参加者は椅子から躍り上がっている。「マムダニ氏が当選したらトランプ大統領が何をしてくるかわからない」と案じる声も聞いていたが、こうしてひるまぬ人々が大勢いるのだった。

マムダニ氏の集会に詰めかけた聴衆=2025年10月、ニューヨーク
マムダニ氏の集会に詰めかけた聴衆=2025年10月、ニューヨーク、福田宏樹撮影

最後にマムダニ氏が登場した。評判通りの弁舌で、バス無料化や廉価な住宅確保といった身近な問題を語りながらも、端々でのトランプ批判は容赦ない。政治的暗黒時代だが屈することはない、とジェームズ氏に呼応した。

「あなたが移民でもトランスジェンダーでも、トランプによって職を解雇された多くの黒人女性だろうと食料品値下げを待ち続けるシングルマザーだろうと、あなたの闘いは私たちの闘いなのだ」

今がその時だ、と締めくくった33歳(当時)に万雷の拍手を浴びせて、参加者は雨上がりの帰路についた。     

雨に煙るマンハッタンの街並みをホテルの窓越しに見る=2025年10月、ニューヨーク、福田宏樹撮影
雨に煙るマンハッタンの街並みをホテルの窓越しに見る=2025年10月、ニューヨーク、福田宏樹撮影

異議申し立てにはいろんな方法があると思わせたのが、私の滞在中にグランドセントラル駅で開かれていた「ディア・ニューヨーク」という催しである。コロンビア大学で会ったキャロル・グラック教授に「あれが草の根のアメリカ」と見るよう勧められていた。

44のプラットホームに67路線の巨大な駅は、中央の広々としたコンコースで知られ、行き交う旅行者たちを2階から眺めれば実に人種の交差点の感がある。そのコンコース両脇の巨大な柱に、ニューヨークで暮らす老若男女さまざまな人たちの表情や日常の何げない言葉が、代わる代わる大映しになっていく。ニューヨークの写真家・クリエーターのブランドン・スタントン氏が手がけたという。

グランドセントラル駅で開催された「ディア・ニューヨーク」のインスタレーション=2025年10月、ニューヨーク、福田宏樹撮影
グランドセントラル駅で開催された「ディア・ニューヨーク」のインスタレーション=2025年10月、ニューヨーク、福田宏樹撮影

女の子の写真が映し出されると、横に文字が現れて、父の言葉か母の言葉か、「私には世界で一番美しい子なんですよ」。男の子が映って「電気は何度か止まったことがある。でも僕たちにはいつも行くところがあった。ママはいつだって助けてくれた」、葉巻をくわえた男性は「お金がある時は誰もがあなたの友人です。失ったとたん過去の話になるでしょう」。

隣のホールではプロの写真家やニューヨークの公立学校の子どもたちから募った作品が並ぶ。そればかりか、通路を含め、駅構内の広告を全部取り払って大小のポートレートが至るところに展示されていた。肌の色も髪の色も、出自も仕事も顔かたちも体形も、およそ違う人たちがここに集まっている。

「ディア・ニューヨーク」で展示された写真を見つめる人たち=2025年10月、ニューヨークのグランドセントラル駅
「ディア・ニューヨーク」で展示された写真を見つめる人たち=2025年10月、ニューヨークのグランドセントラル駅、福田宏樹撮影

この多様性こそニューヨークだ、という強烈なメッセージは、そうとはどこにも書かれていないが、「トランプのアメリカ」へのアンチテーゼだろう。社会は個人が集まってつくられる。これだけ背景の異なる「個人」が共同体を構成しようとすれば法しか頼るものはなく、その法をつくるには皆で議論するしかない。議論するには学び、考え、言葉にするしかなく、米国はそれが日本にはまねできないほど徹底していたはずだった。

なのに困るではないか、と思う。日本はアメリカに先導されて民主主義を実践すべく80年やってきた。「お上社会」と「世間」が幅を利かせ、「個人」は肩身が狭い日本で、手本だったアメリカが民主主義を反故(ほご)にしてしまえば、なんだそれでいいのかということになりかねない。