増える世界の日本米作り タイでは「あきたこまち」、政府幹部「日本人にも通用する味」
世界有数の「米作り大国」、タイ。香り高い長粒米を世界に売ってきた国が、今度は、粒の短い日本米の輸出にも力を入れようとしている。
タイ北部チェンライ。ひざ上ほどの高さの稲が、水田に青々と茂っている。8月下旬、カセアム・サマナさん(68)が、生育の具合を確認していた。
水の量は十分か、農薬の散布は適切か、カニなどの生き物に稲が荒らされていないか……。
農業歴56年で、きめ細かい栽培の手腕に定評がある。サマナさんが作っているのは「あきたこまち」だ。30年前に日本米作りを始め、この地域の日本米の農家を指導する立場でもある。
タイは農業大国で、米輸出でもインド、ベトナムと並んで世界上位3位に入る。日本では、1993年の「平成の米騒動(米不足)」でタイの長粒米を輸入した記憶が残るが、日本米の生産の蓄積もある。
サマナさんの米を扱うのは、チェンライで精米所を経営するサナン・スパーワさん(56)。これまで、タイ国内で販売してきた。ニッチな市場でタイ米より高く売れるからだが、最近、日本米の輸出に必要な免許をとった。日本を含む外国の市場を狙う。
「毎年、新米がとれると、バンコクの日本料理店向けに買い付ける日本人のバイヤーがやってきて、味見をする。高い評価をもらっている」
こう自信を見せる背景には、ITも使った生産の取り組みがある。
チェンライの日本米の生産農家の間では今年8月、スマートフォンの通信アプリ「LINE」の投稿が、稲の一部が赤くなる被害を示す写真であふれた。
タイ政府や大学が連携して試験的に作ったチェンライ地方の米農家の相談サービス(LINEボット)だ。農家が稲の被害の様子を写真で投稿すると、人工知能(AI)がどんな症状かを判断し、対策を教えてくれる。米農家、政策担当者、研究者ら400人以上が参加している。
この地域では、同じような症状が相次いで報告されていた。これにより、被害の広がりも把握でき、地域として対策がとれるようになりだしているという。
政府系機関のチェンライ米研究所によると、温暖化により、日本米でも病害が発生しやすくなっている。2年ほどLINEボットを使っている、日本米農家のサマート・コンサワットさん(45)は言う。「日本米はタイ米より、栽培に手がかかる。こうやって稲の症状を相談できるのは安心感がある」
効率的な栽培も進む。タイは、日本に似て零細農家が多く、高齢化が進んで、生産者の平均年齢は約60歳。精米所経営者らが契約農家を束ねて、外部の企業にドローンを使った農薬散布を発注したり、農業機械を共同購入したりするやり方も広がる。
チェンライ米研究所によると、タイが日本米の生産に乗り出したのは、60年ほど前にさかのぼる。温暖で、二期作ができる土地で、「あきたこまち」と「ササニシキ」を作り、品種改良を重ねた。
約10年前から、日本米にも国の研究予算が付くようになった。米国農務省によれば、2023〜24年のタイの米生産量は、2000万トン。タイ農業・協同組合省米局によると、日本米の生産は20万トン程度だが、病気や害虫への抵抗力を高め、生産量を増やせるよう研究を続けている。
背景にあるのは、タイの日本食人気だ。日本貿易振興機構(JETRO)の24年度の調査によれば、日本食レストランは、タイ国内で過去17年間で右肩上がりに増え、約8倍の5916店になった。
チェンライには、木造のおしゃれなカフェがあった。軒先に掲げられた布製の看板には女の子の絵が描かれ、日本語で「マイちゃん」とある。
「日本米作りに取り組んでいるので、漢字の米(の音読み)から『マイ』ちゃんというキャラクターを作っています」
このカフェを展開する精米所経営のクルク・コントンさん(35)はそう語る。現在、契約する米農家は200~300戸で、4割が日本米を栽培する。カフェでは日本米の米粉でつくったトムヤムうどんが人気メニューで、日本米を使った日本のカレーライスを提供することもある。マイちゃんブランドで日本米のせんべいの販売に乗り出している。
日本では、昨今の米不足を受けて、政府が生産性を高め、一部を輸出して海外に売り出す方針を打ち出している。
今年4月に閣議決定した食料・農業・農村基本計画では、米と米加工品の輸出量を24年の4万6000トンから、30年は8倍近い35万トンに増やす目標を掲げた。
輸出量はこの5年で、アジアのほか、北米や欧州向けも伸びて約2.6倍になっていた。さらに、中東やオーストラリアなどへの輸出を増やしたいとしている。
日本政府が米の輸出を推進するなかで、タイ農水省も、主力輸出品のタイ米に加えて、日本米に期待を寄せる。タイ米局のチッヌチャー・ブッダーブン前次長は「日本産より安い価格で提供できる」。タイ米より高いタイ産の日本米だが、タイのスーパーでは、日本産日本米の3分の1程度の価格帯で売られていた。
ブッダーブン前次長は、同時にこう言う。「日本人にも通用する味や品質かどうかも重視するし、タイの温暖な環境で育てるときの課題や対策も探っています」
世界の米をめぐる環境は、変化している。もともとインディカ米(長粒種)が多かった世界の米生産だが、日本米を含むジャポニカ米(短粒種)の生産が、じわりと増えている。
経済協力開発機構(OECD)によれば、世界におけるジャポニカ米の生産は03年、約4733万トンだったが、年平均で3%増え、17年には約7126万トンに。インディカ米の6分の1程度だが、増加率はより大きかった。米国や中国、韓国、欧州、エジプトなどでも生産されている。
東南アジアでは近年、ベトナムでも日本米の生産が始まった。タイでは、多くの飲食店で、労働コストが安いために、より低価格のベトナム産のササニシキなどが使われ、競争が始まっている。
日本からの輸出米は、変貌する世界の米生産と市場で、販売競争に挑むことになる。
昨年から続く米不足の背景には、政府が続けてきた、米余りを防ぐ政策の失敗がある。
パンや麺を好むようになった食生活の変化や人口減により、国内の主食用米の需要は、1963年産の1341万トンをピークに減少傾向が続く。2024年産は711万トンにまで落ち込んだ。
1970年代以降、国は米が余って米価が下がらないように、予想する需要に見合う量に生産を抑える減反政策を続けてきた。2018年に廃止するとしたが、補助金を出して麦、大豆、家畜用の米などに転作を促す仕組みは残り、減反政策を事実上続けている。
だが、近年は猛暑で想定ほど米がとれず、需要は、訪日観光客が増えて好調で逆に上ぶれた。農林水産省が需給を読み間違い、スーパーから米が消え、価格が急騰する事態に陥った。
政府は、価格高騰の原因は生産量の不足にあると認め、今後は、農業経営の大規模化による生産性の向上を通じて増産する方針を示した。増産で米が余った場合は、輸出に回す考えだ。