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守るべきは湿地か人の生活か インドネシア・スマトラ島で揺れるパーム油農家の選択

World Now 更新日: 公開日:
伐採を巡り地元民と当局の間で対立が絶えないアチェの泥炭地を案内するタンブリンさん=2025年5月、スマトラ島北部アチェ州スブルサラン市、今村優莉撮影

日本列島がすっぽり入る大きさのインドネシア・スマトラ島は、広大な泥炭地を抱え、熱帯雨林に生息する希少な動物もいる。世界最大のパーム油生産国でもあるこの地では、生活の糧を求めて農家がアブラヤシ栽培のために湿地を開発し、それが温室効果ガスの放出や希少動物の生息地喪失につながっている。

世界一消費される植物油パーム油の生産地

守るべきは地元の生活か、自然か。両方を成立させたいけど一筋縄ではいかない。そんな現場が、インドネシア・スマトラ島にあった。

世界一消費されている植物油のパーム油。加工食品や洗剤にも使われる生活に欠かせない油だ。世界最大の生産国インドネシアでは、原料のアブラヤシの農園にするため、広大な湿地が失われている。

スマトラ島中部ジャンビ州の「ベルバク国立公園」はラムサール条約登録湿地だ。東南アジア最大級の泥炭湿地林で、広さは東京23区の2倍を超える。国際NGO「コンサベーション・インターナショナル(CI)」によると、破壊されて温室効果ガスとして放出されると、再び自然に貯蔵されたり吸収されたりする見込みがない「回収不能な炭素」を貯蔵している場所だ。

国立公園の外側にあるシンパン村にも泥炭地が広がる。道は舗装されておらず、激しく揺れる車窓から道の両側にアブラヤシ農園が見えた。収穫されたアブラヤシの実を山積みにしたトラックと時折すれ違う。

アブラヤシ農園で、収穫された実の積み込む作業をする作業者たち=2025年6月、スマトラ島ジャンビ州のシンパン村、今村優莉撮影

地元農家をまとめる組合長のサイさん(56)の農園を訪ねた。

1974年にジャワ島から移ってきた両親は、国から2ヘクタールの土地を譲り受け、コメ農家を始めた。サイさんも結婚を機に2007年から3ヘクタールの農地でコメ栽培を始めた。年間約1800万ルピア(約16万円)の収入があったが、それも「運が良ければ」だ。近くを流れるバタンハリ川が雨で増水すると水田が水につかり、収入がゼロになったこともある。

「3人の子どもを食べさせなくてはならない」。10年前、4ヘクタール分を新たにアブラヤシ農園として開拓した。湿地に水路をつくって排水して乾燥させる必要があるため、水田のときは保たれていた湿地が失われる。

泥炭地で開拓したアブラヤシ農園の前にたつサイさん=2025年6月、スマトラ島ジャンビ州のシンパン村、今村優莉撮影

実をつけるのに5年かかったが、その後は2週間に1度のペースで収穫できるようになり、収入は10倍に増えた。サイさんによると、約540人の農家のうち、実に9割がコメからアブラヤシに「転職」した。「政府がアブラヤシに転じることを禁止しているところもあるが、やめるわけにはいかない」

「効率を求めても、子孫に負債を残す」

話を聞いていると突然、チェーンソーの音が鳴り響いた。近隣の農家が、農園を広げるために木々を伐採していた。「ここでは、違法じゃない」

すでに伐採が終わっている泥炭地をサイさんが案内してくれた。ベルバク国立公園との境界で、黒く、ぬかるんだ土を踏むと足がズボッと沈んだ。これから水抜きをして乾燥させ、アブラヤシを植える。雨風にさらされないように設置された屋根の下、プラスチックの入れ物に小さな苗がずらりと並んでいた。

収穫が終わると、農家による野焼きの煙が周囲を覆う。近くに住むスンタリさん(54)は「除草を手作業でやっていたら収穫のペースが遅れてしまう。焼いた方が手っ取り早い」と気にする様子はない。

スマトラ島北部にあるグヌン・ルセル国立公園はオランウータンの生息地として有名だ。写真は野生のオランウータンの母親(右)とこども(左)=2025年5月、インドネシア北スマトラ州ブキッラワン、今村優莉撮影

日本列島がすっぽり入る大きさのスマトラ島は、約15%を泥炭地が占め、熱帯雨林に生息する希少な動物もいる。絶滅危惧種に指定されているスマトラオランウータンは、森林伐採の影響で減り続けている。21年に英国であった国連気候変動枠組み条約締約国会議(COP26)では、30年までに森林破壊を止め、回復させるとする宣言にインドネシアを含む100カ国以上が署名した。インドネシア政府が希少生物の保護や、生息地の回復に力を入れていることは確かだ。

だが、野生のスマトラオランウータンの生息地として知られるアチェ州の「ラワシンキル野生生物保護区」周辺では、いまだに違法な伐採が行われ、土地所有者と当局とのいさかいが絶えない。

地元住民「何のメリットももたらしてくれない」

周囲のスブラワン市の泥炭地では、農家の7割以上がアブラヤシ農園を経営している。2000年ごろ地元政府が突然、ラワシンキル保護区と、周囲のアブラヤシ農園とのあいだに「線引き」を始めた。だが、場所によっては境界線があいまいなため、自身の土地だと主張する地元住民と当局との間で対立が起きるという。

「ここは先祖代々、私たちの土地だったんだ」。1995年からアブラヤシ農家として生計を立ててきたタンブリンさん(51)は憤る。「保護区にされたことで収入が減った。他に仕事をもらえるわけでもない。我々には何のメリットももたらしてくれない」

インドネシア・スマトラ島アチェ州上空からみた広大なアブラヤシの農園。もとは川も流れていた湿地だが、地元NGOによると川は干上がってしまった(写真左)=2025年5月、今村優莉撮影

地元のNGO「アチェ・ウェットランド・フォーラム(AWF)」代表のユスマディさん(44)は言う。「スマトラ島の多くの湿地は保護の対象外になっていて、大企業には開発をさせている。一方で、突然境界線を引かれた農家に対しては補償もない。最大の問題は、政府が農家に寄り添った政策をしていないことだ」

同行してくれたアチェ出身の環境学者ラヘンドラさん(41)もこう話す。「僕が小さい頃はあたり一帯が湖で、小さなボートに乗って魚を釣っていた。珍しい鳥もたくさん飛んでいたし、オランウータンだってそこら中にいた。地元の生活を守ると同時に、僕らの子どもの世代、その次の世代のインドネシアのことをどうすれば考えてもらえるのか、本当に難しい」

恩恵を実感できない人々に、泥炭地を守る大切さをいくら説いても難しいと実感している。