「地獄の訓練」で管理職は生まれ変わる? 富士山麓で挑む“限界突破”の13日間

JR新富士駅から車で約50分。雪化粧した富士山が見下ろす山道を進んでいくと、山林の奥に2階建ての合宿所が見えてきた。
この日は「地獄の訓練」で最も人気があるという、12泊13日の「管理者養成基礎コース」の初日だった。
朝9時半。この道30年、指導部長の堀口素文氏に案内され、合宿所2階の大広間におもむく。すでに10人ほどの研修生たちが神妙な顔つきで整列していた。
見たところ20代から40代の男性たち。その全員が、独特のデザインの白い上着を身につけている。堀口氏や他の教官たちも同じいでたちだ。
「かつて日本海軍の下士官が着用していた作業服をモデルにつくった訓練服です。合宿中はずっとこれを着て研修を受けてもらいます」と、堀口氏が教えてくれた。
ぴーんと張り詰めた空気が漂うなか、入校式が始まった。
研修生たちが順番に「決意表明」のスピーチをする。教官に指名された1人が、緊張した面持ちで大声を張り上げた。
「私は、今まで部下に対する態度が甘く、納期や提出期限の遅れに対して適切な注意をしていませんでした。そのため全社的な決定事項に遅れを発生させてしまい……」
発言を遮るように、目つきの鋭い教官が突っ込みを入れる。
「視線が泳いでる! 声が小さい! 後でやり直し。はい、次の方!」
腹から響くようなその声に、傍らで聞いている私までビクッとしてしまう。言葉遣いは丁寧なのだが、とにかく声量がとても大きく、罵倒されているように感じてしまう。
速いテンポで、スピーチが続く。少しでも言いよどんだり、理屈に合わない説明をしたりすると容赦なく教官に指摘され、何度もやり直しをさせられる。大声を出しすぎて、顔が真っ赤になっている研修生もいた。
次は社会人の基本、「あいさつ」の訓練だ。
発声練習に続いて、お辞儀の角度、声の出し方まで細かく指導される。合宿中、研修生は施設のどの部屋に入るときも必ず「入ります!」、退出する時は「失礼します」と大きな声であいさつし一礼しなくてはならない。そんな基本動作の繰り返しが15分近く続いた。
研修生たちは入校すると、訓練服に安全ピンで14個の小さなリボンを付けられる。同校独特のシステムで、研修中に成し遂げるべきタスクや、克服すべき欠点と対応している。課題をクリアするごとにリボンを一つずつ外していき、すべてなくなれば晴れて「卒業」となるのだ。
「スケジュール通りに卒業できない方には、3日間の補講を受けていただきます。予定通りに卒業できる人は2~3割というところですね」と堀口氏。
見せてもらった13日間のカリキュラム表には、学校の時間割よろしく、分刻みでびっしりと訓練が並んでいた。最大15人のグループに分かれて受講する。その大半は男性だが、最近は女性も増えつつあり、「1割程度はいる」という。
堀口氏いわく、研修の主な目的は、管理職に必要な能力を実践的に身につけることにあり、そのために、「話す」「考える」「行動する」の三つを柱とした訓練に重点を置いている。
例えば、「40の質問」という訓練では、与えられた三つのテーマについて、自分の考えを短時間に5段階で掘り下げ、約7分間のスピーチにまとめて暗記、教官の前で発表しなくてはならない。
自分の考えや意図が正しく相手に伝わるように表現力を強化するのが狙いだから、教官が合格点を出すまで何度も繰り返しやらされる。スピーチの途中でアタマが真っ白になってしまったり、声が小さくなってしまったりしたら即やり直しだ。
何度やっても合格できず、ようやく成功しうれし涙を流す研修生もいる。
「管理者の条件訓練」と題したカリキュラムでは、管理職は「どのような基準で選ばれるか」「何を期待されるか」「任務とは何か」などについて自分の考えをまとめ、グループの仲間と議論を闘わせる。最終的に「真の管理職像」を自分なりに導き出し、自らの指針にするという。
こうした座学の訓練に加え、創設者が作った訓練歌を「表現豊かに一生懸命全力」で歌う歌唱訓練や、40キロの夜間行進などかなり体力を使う訓練もある。
どんな訓練でも、声を発するときは常に大きな声を求められ続けるため、数日もすると、ほとんどの研修生がかすれ声に。施設のあちこちで大声が響き渡り、合宿所全体につねに独特の緊張感が漂う。
片時も気が休まらない状況が約2週間も続く。
業務連絡でどうしても必要なとき以外、スマホもパソコンも取りあげられる。
午後9時以降、合宿所に備え付けの自動販売機でビールやジュースを買うことは許されているけれど、近くのコンビニにおつまみを買いに行く、なんてことはできない。そもそも山奥すぎて、歩いて行ける距離にコンビニがないのだ。
まさに外の世界とシャットダウン。会社が義務づけた研修とはいえ、ここまでやる必要があるのかな?
私の素朴な質問に、指導部長の堀口氏は言う。「日常の雑事から切り離され、ある意味で極限状態に身を置くことで、集中力が研ぎ澄まされ、通常の研修とは比較にならないほど高い効果を引き出すことができます。いわば、自己の限界への挑戦なのです」
「管理者養成基礎コース」の受講料は1人あたり約41万円。他にも会社幹部向けの「上級訓練」(10泊11日、1人約43万円)や新入社員向けの「フレッシュマン颯爽研修」(7泊8日、同約25万円)など定例6コースを提供している。
そんな管理者養成学校の歴史は、高度経済成長期にさかのぼる。
もともと社員教育用のテープ教材を販売していた創業者らが、第2次世界大戦中の兵士育成プログラム「新兵教育」(ブートキャンプ)からヒントを得て、ビジネスマンのための基本教育のあり方を研究したのが始まりだ。
1967年には、母体である「社員教育研究所」を設立。1979年に現在の合宿スタイルを確立すると、社員教育を必要とする企業側の要請もあって全国各地に事業を拡大していく。
1981年、現在の場所に240人収容の本校施設が建設された。最盛期の1980年代後半から1990年代には1回の研修に100人以上が参加。本校施設が満員になり、キャンセル待ちの状態も珍しくなかったという。
当時、5000万円以上をかけて全社員に研修を受けさせた企業もあったというから驚きだ。
「当時、厳しい訓練に耐えきれずコース途中で『脱走』する研修生もいました。ただ、派遣した会社は管理職になるために、このコースの修了を課しているので、それは出世からの脱落を意味していました」と堀口氏。
日本経済の成長が飛ぶ鳥を落とす勢いで、「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と言われた当時、「地獄の訓練」は海外からも注目された。1980年代後半以降、短期間ではあったものの、米ロサンゼルスや台湾などにフランチャイズ展開したこともあった。
だが、時代は変わる。バブル崩壊後の不況に加え、少子化による人手不足で就職事情は売り手市場に。
「ハラスメント対応」「コンプライアンス重視」から厳しい社員研修を敬遠する企業が増えていった。コロナ禍を経て、受講者数は「最盛期の約10分の1」になったという。
こうした変化に伴い、研修スタイルも進化していった、と堀口氏は言う。「基本的な理念を維持しつつ、時代の変化に合わせて一部のプログラムをマイルド化しました。また、企業の要望に応じて訓練内容をカスタマイズし、プログラムの短縮版をつくったり、ホテルを会場にした地方開催を行ったりしています」
そして、令和の時代。参加人数こそ最盛期に比べれば減少しているが、年間数百人が受講する人気プログラムとして存続している。その理由は何か?
はたで見ていただけの私でさえ、この研修に参加したいかと問われば躊躇(ちゅうちょ)してしまう。
ましてや、実際に「地獄の訓練」をくぐり抜けた研修生たちは、さぞつらかっただろうと思ったのだが、会社に戻った彼らに率直に振り返ってもらうと、意外にも前向きに捉えていた。
30代の男性会社員は、研修前はとにかく不安でしかたなかったと話した。事前にネットで研修について調べると、「洗脳」などとネガティブな情報が多かったからだ。長期間家を空けることへの抵抗感もあった。
「でも、実際に参加してみると、違和感は少なく、むしろ楽しむ余裕もありました。スピーチの暗記は多少苦労しましたが、それも乗り越えられる範囲でした。大学時代までスポーツ経験が長く、体育会系の環境に慣れていたのがよかったのかもしれません」
男性はそれまで上司からの厳しい言葉をマイナスに受け取る傾向があったという。だが、研修を通じて「自分のためを思ってくれている」と前向きに捉えられるようになった。
現在は職場で後輩や同期を指導する立場にある。「研修を通じて、人に『意図を伝える』ことの重要性が認識できました。これまでは単に指示を出すだけでしたが、『なぜその指示が必要なのか』という背景や意図も含めて伝えるようになり、コミュニケーションが円滑になりました」と男性。
管理職についても「積極的になりたい」とまでは思わないが、「嫌ではない」と前向きな姿勢を持つことはできるようになったと話す。
同じく研修を受けた20代の男性社員は、研修中の最も印象的なエピソードとして「風呂の時間」を挙げた。「自分の会社では平社員ですが、一緒に研修を受けた他社の課長や部長など目上の人たちと肩を並べて話すことができたのが貴重な体験でした」
以前は上司に従う方が楽だと感じていたが、今では自分が引っ張ることで会社をより良くしたいという考えに変わったという。「偉くならないと言いたいことも言えないという気づきから、責任ある立場への意欲が高まりました」
指導部長の堀口氏は30年近く研修を指導してきた経験から、最近の管理職の候補となる若手社員の傾向として、自発的に考えて行動する力が弱く、正解を求めすぎる傾向があると考えている。
堀口氏は言う。「マニュアルがあって当然の社会で生きてきたため、イレギュラーな状況に対応する力が不足しているように感じています。時代が変わっても、人間の本質的な部分は変わりません。厳しい研修かもしれませんが、それを通じて、一人ひとりの中に眠っている管理職にとって重要な力を呼びおこしているのです」