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「志望動機は何でもいい」人事部長と元陸将はなぜ断言したのか 仕事と人生の意味

桃野泰徳の「話は変わるが」~歴史と経験に学ぶリーダー論 更新日: 公開日:
履歴書の志望動機欄のイメージ写真
写真はイメージです=gettyimages

リーダーのあり方について持論を語る筆者の桃野泰徳氏

もうずいぶんと前の話だが、人事部の責任者を務める知人と飲んだ時にこんな質問をしたことがある。

「見え透いたキレイな志望動機の学生さんって、どう思います?あまり魅力を感じないんですよね…」

「桃野さん、意外に思われるかもしれませんが私、学生の志望動機なんて何だって良いと思ってるんです」

就職志望ランキングで上位に入ることもある人事部長の、意外な答えだ。

採用活動が佳境の時期のためか、水割りのグラスを見つめながら自分に言い聞かせるように、話を続ける。

「もちろん私も、志望動機で学生さんを判断したことがあります。しかし長年この仕事をやって、何でも良いという結論に落ち着いたんです」

そして大事にする価値観、最終面接でぜひ欲しいと思える学生像などを熱心に話す。

志望動機なんてものが無意味という想いは、概ね同じなのだろう。

しかし彼の話は少しニュアンスが違うようなので、さらに深掘りする。

「無意味とは、少し違う?」

「無意味とは思いません。むしろとても大事です。でも、何だっていいんです」

まるで禅問答のような話だが、一体何を言おうとしているのだろうか。

「なぜ勉強をしないとダメなのですか?」

話は変わるが、昭和の頃、中学1年生の時のことだ。

生来モノグサな私は、進学を機に全く授業についていけなくなっていた。

というよりも、初代ドラゴンクエストが発売されたばかりということもあり、初めて目にする冒険の世界をプレイするのが楽しくて仕方がない。

なのになぜ、面倒くさくておもしろくもない英語や数学を学ばなければならないのか。

全く理解できなかったので、学校をずる休みさえしてゲームに明け暮れていたということだ。

しかしそんなことをしていると当然、成績は落ちる一方になる。

夏休み明けの実力テストでは、420人中300番以下にまで成績が落ちていただろうか。

確か数学では13点を取ってしまい、クラス最下位までやらかしたように記憶している。

そうなると親が呼び出され、担任や教頭先生まで加わった説教大会が始まることになる。

「もっと勉強を頑張らないと、大変なことになるぞ!」

しかし子供心に、必要のないものはどんだけ言われても要らんのである。

そのため必ず、こういったイベントではこう返すと決めていた。

「わかりました、なぜ勉強をしなければダメなのか教えてください。理解できたらします」

「勉強しないと、おとなになった時に困るのは自分だぞ!」
(おとな…?10年後なんて、ドラえもんのいるはるか未来じゃん…)

「立派なおとなになれないぞ!」
(勉強頑張った立派なオトナが先生なのか~(笑))

「勉強頑張らないと、ご飯が食べられなくなるよ?」
(あ、ゲームさえできればアルバイトで大丈夫です)

どれもこれも納得ができない。

そのうち大人たちがみな諦めた時、最後まで説教をし続けてくれたのが数学のトモコ先生だった。

「桃野!お前、こんな成績で恥ずかしくないんか!」

「お前の顔のほうが恥ずかしいわ!バーカ!」

トモコ先生は大学を卒業したばかりの23歳で、新任の数学教師だった。

年齢が近い分、距離も近かったのだろう。

メチャクチャなことを言い返していたが、彼女も華奢な体に似合わず詰め襟の学生服を締め上げるなど、たくましい反撃をする。

しかしこんなことが続くと、せめて数学だけでも頑張らないとトモコ先生に申し訳ない気持ちになってくる。

そして中間テストの前、一夜漬けで机に向かっていたある晩、思いがけない事が起きた。

「珍しく勉強頑張ってるね。はいこれ、夜食」

母親がカップヌードルを作って、持ってきてくれたのだ。

たいしたことないと思われるかもしれないが、昭和の子供にとって夜中に食べるカップヌードルなど、表現しようがない大ごちそうである。

あまりに嬉しく、その日は2時間ほど数学を頑張っただろうか。

すると、奇跡が起きてしまった。その中間テストで私は、数学でなんと53点も取れたのである。
(あれ…?なんか結果が出るのって楽しいかも)

そう思ったら、ゲームよりも机に向かう時間が長くなるのに、それほど時間はかからなかった。

次のテストでは、結果の出やすい歴史で詰め込みをして80点も取れてしまう。

数学の問題を板書で解く子どものイメージ写真
写真はイメージです=gettyimages

すると今度は、女子生徒たちがテスト前になると、私に勉強を教わりに来るではないか!

「桃野くん、わからないことがあるんだけど教えてくれない?」
(あれ…?もしかして勉強ができると、女の子にモテるのか?)

そうなるともう、モテるためなら何でもする年頃男子の“勉強欲”は止まらなかった。

ゲームなどとっくに打ち捨て、勉強にのめり込むと、やがて全科目でバランスよく90点以上を取れるようになる。

するとその頃から、少しずつ心境の変化が起き始める。

(なるほど…歴史って俯瞰すると、必然の流れなんだな)
(へー、数学の公式って難しいようだけど、単純な仕組みなんだな)

学びのおもしろさと奥深さにハマると、もはや勉強そのものが目的に変わっていき、休み時間すら惜しんで参考書を広げはじめた。

そして卒業、地域最難関校に進学することになる。

卒業式の日、私は職員室にトモコ先生を訪ねると頭を下げ、数々の無礼をお詫びした。

「トモコ先生、先生からは本当にたくさんのことを学びました。心から感謝しています。バーカ!」

「桃野!お前は本当にどうしようもないクソガキやったけど、立派なおとなになったなぁ…!」

そう言って、ハグしながら泣いてくれた先生と一緒に撮った記念写真は今も、一生の宝ものだ。

トモコ先生が“最初のきっかけ”をくれなかったら、私は今も堕落の先で、ゲームの中にいたのかもしれない。

何年経っても、いつまでも心から感謝している。

「なぜ働かなくてはいけないのですか?」

話は冒頭の、人気企業の人事部長のことだ。

「志望動機はとても大事。でも何でもいい」とは、一体どういうことなのか。

「桃野さん、志望動機っていうのは会社へのラブレターなんです。例えば女性や子供から好きと言われて、『その理由は気に入らない』なんて、思わないじゃないですか」

「…なるほど」

「好きになってくれるきっかけなんて、大したことじゃなくて良いんです。愛はお互いの努力で育てるものですから」

話はそれからだいぶ後年のことだが、実は全く同じ話を聞くことがあった。

陸上自衛隊でナンバーツーにまで昇った、敬愛する元陸将にお会いした時のことだ。

「陸将、どんな志望動機であれば大部隊を率いる、自衛隊の幹部としてふさわしいものなのでしょう」

「桃野さん、意外に思われるかもしれませんが、志望動機なんてものは大した問題じゃありません」

「…大したものじゃない、のですか?」

「はい。志望動機なんてものは、極めて一面的なものです。仕事の本当の魅力なんてものは、どんな職業でもやってみなければわかりません」

「…はい」

「仕事をしながら、自衛官の社会的使命に目覚めて本人も初めて、そのことに気が付きます。それでいいんです。きっかけなんて極論、なんでも構いません」

全く違う世界に生きた2人、しかしどちらも、それぞれの立場で地位を極めた2人の一致した”人事観”だ。

就職活動の面接のイメージ写真
写真はイメージです=gettyimages

色々な考え方はあると思うが、「志望動機」なんてものはそれでよいのではないだろうか。

そして話は、私の中学時代のことについてだ。

「きっかけなんて、なんでもいい」ということ、実は自分自身、よく知っていたではないか。

可能性なんてものはやってみなければわからないし、いちばん大事なことは「きっかけそのもの」であって、きっかけの内容などではないのだから。

それは中学生の勉強であっても仕事であっても、何も違いなど無いということだ。

しかしここで一つ、思うことがある。

日本では今もその価値観が根強いが、志望動機が幻想であったとしても多くの人は離職せず、日々の仕事を消化し続ける。

では、「もう我慢し続けるべきではない」というポイントは、どこに置くべきなのだろう。

それはきっと、「なぜ働かなくてはいけないのですか?」という問いに、自分自身で答えを出せなくなった時なのではないだろうか。

ただし社会に出たら、もうこの質問に答えてくれる親も担任も、教頭先生もいない。

決めるのは自分自身だ。

しかし中学生と違い、大人には目的と手段を分けて考える、知恵と自由がある。

趣味のアニメを思う存分楽しむために、昼間はクソ上司にへつらうという選択肢も完全に正解だろう。

収入を失えば、アニメどころかメシも食べられなくなるのだから。

家族と生活のために我慢するという選択肢も、もちろんアリのはずだ。

しかし誰しも、叶うならば心熱くなれる何かで生きがいを感じつつ、

“自分は何者なのか”

というアイデンティティを立ち上げながら、人生を送りたいはずだ。

であれば、「本当はどんな自分になりたいのか」という“志望動機”を、持ち続けるべきだ。

志望動機なんてものは多くの場合、極めて一面的で的外れなことは、間違いないだろう。

でも、それでいい。

大事なことは、最初の一歩を踏み出してみようという好奇心や想いであって、きっかけなんてなんでもいいのだから。

「あれ?これもしかしてキモチイイかも」

と思えるなにかに、迷わず頭から飛び込んでみること。

そうすればきっと何歳からでも、その日が思い出深い記念日になるはずだ。