社員投票で決める管理職、2年で廃止 現場が学んだ“理想のリーダー像”

投票の対象となったポストは、部門長(部長)3人とチームリーダー(課長)3人の計6ポスト。新人社員も含め誰でも立候補することができ、同じポストに複数人の手が挙がれば、全社員が1人1票を投じて最も多く得票した人に決める。
「理想の管理職とは、組織の成果を最大化できる人ではない。社員一人ひとりが互いを尊重し、個々の才能を最大限にいかせる環境を醸成できる人ではないか」
上意下達が少なくない商社勤務を経て2009年に社長に就任した吉田実氏(50)は、そんな思いをずっと抱いていたという。方針の違いなどから2018年に会社が分社し、社員が半減したのを機に、ひそかに温めていた「投票制」の導入に踏み切った。
社内から反対意見も出たが、最終的に吉田氏はこう社員を説得した。「社員に選ばれることでマネジャーになれるようにし、自分たちが組織をつくっていくという意識が持てる社風に作り直したい」
前例のない試みで、吉田氏自身も試行錯誤だった。まず、立候補した社員が社内のチャットツールに「所信表明」を発表する。それを参考に全社員が1週間後メールで誰に投票するか吉田氏に連絡する。
「棄権」「白票」は認めない。その人を選んだ理由は書いても、書かなくてもいい。ただし理由や得票数は非公開とし、吉田氏が結果のみを全社員に伝える。
もしそのポストに誰も手を挙げなければ経営陣が任命する。また、選ばれた新マネジャーの任期は1年。落選しても再びチャレンジできることにした。
2019年夏、社内に「告示」すると、前職を含めて多くの応募があり、複数人が立候補した部門長2席、チームリーダー3席で「選挙戦」になった。
社内は大いにざわついた。当時、新入社員で投票をすることになった村上由香理さん(28)はこう振り返る。「え、ベンチャー企業ってこういう感じなのって、戸惑いました。入ったばかりで候補者の人柄を深く知るわけもありません。直感的に選ぶのがすごく難しかった」
唯一人、得票数を知ることができる「選管」役の吉田氏がエクセルで票数を集計し、結果を社内サイトに発表した。
結局、立候補した「現職」は大半が「落選」した。その一人だった新井拓也氏(40)は、2018年の会社の分離という危機を部門長として立て直さなければと頑張ってきた。「正直、残念でした。自分がこれまで積み上げてきたものはどうなるのかという気持ちや、自分が外れてしまって大丈夫かと憂慮する気持ちが強かった」
そして、わき上がってきたのは投票制という仕組みへの疑問だった。「誰が誰に投票したのか、どれぐらい差がついたのかも知らされない。例えるなら、人事評価で『あなたはCですが、理由は伝えられません』と言われているようなもの。上司から直接『外れてくれ』と言われるよりも受け入れがたく、モヤモヤした気持ちが残ったのを覚えています」
自分が適任と思って配した管理職がことごとく投票で却下されたことに、吉田氏自身も複雑な心境だった。「それでも、いかなる結果であれ受け入れよう、忠実な番人でいようと心がけました」
翌2020年には、対象ポストを役員まで広げて再び実施した。
会社分離後の2018年にアルバイトを経て正社員になった秋山和香さん(47)は、このとき初めて部門長に立候補し「無投票当選」した。「一般社員と部門長では見える世界が変わって、自分自身の成長にすごくつながったと思います。『親と上司は選べない』と言いますが、管理職や組織を自分事化するのに投票制はとても良い仕組みだと感じました。運用を改善していけば、もっと続けてよかったと思っています」
そんな肯定的に捉える意見がある一方、ギクシャクした空気が社内に広がっているのを、吉田氏は感じ取っていた。投票制が直接の原因ではないかもしれないが、「落選者」の中にはその後、退社する人もいた。
2回目の投票後、全社アンケートをしたところ、否定的な意見が賛成を圧倒した。「何を基準に選んでいいかわからない」「候補者と一緒に仕事をしたことがない人もいて、単なる人気投票になってしまう」といった戸惑いの声から、「経営者が社員に人事面で責任転嫁しているのではないか」という厳しい批判も少なくなかったという。
吉田氏は投票制の取りやめを決断した。現在は本人の意思表明を前提に、経営陣が管理職を任命するスタイルをとる。
社内にしこりや軋轢を残したことを吉田氏も反省している。「落選した人への精神的なケアが不足していた。どうして落選したのか、その責任は誰にあるのかといった説明もあいまいになってしまい、課題が残りました」
それでも、と吉田氏は言う。「制度を通じてマネジャーの役割が、成果を出すことだけでなく、メンバーの主体性を引き出す役割への変化するきっかけになったと思います。大企業におけるマネジメント変革のヒントになるのではないでしょうか」
2年間の「投票制」は社内に何を残したのか、今も社員たちは考え続けている。
「落選」という苦い経験をした新井氏は、2020年の投票には立候補しなかった。この経験を通じて管理職に対する考え方が自分の中で大きく変わったからだという。「ポジションや役割に対するこだわりが消えていきました。管理職じゃなくても、やりたいことはできると気づきました」
新井氏は現在、経営陣の期待を受けて再びチームリーダーとしてマネジメントに携わっている。「マネジャーはあくまで役割にすぎないと割り切って、以前よりも柔軟な姿勢でチームをサポートできるようになったと感じています」