盗まれた美術品を取り戻す「美術探偵」 元泥棒とも協力する巧みな交渉術

美術探偵の仕事は、たいてい不意に届く1通のメールから始まる。
2022年6月半ば、自宅でパソコン仕事をしていた私は、見知らぬ差出人から送られてきたメールに苦笑した。
「ブラントさん、あなたの家に『プレシュー・サン』を持って行ってもいいですか?」
それは、フランス語で「貴重な血」を意味する聖遺物だった。
教会を模した金色の箱の中に二つの容器があり、十字架刑に処せられたイエス・キリストの血が中に収められている――。カトリック教徒の間でそう信じられ、1000年以上にわたり崇拝の対象となってきた、「最古の神聖な聖遺物」の一つである。
それが約2週間前、6月1日夜から2日未明にかけて、フランス北部ドーバー海峡沿いの町フェカンの修道院から盗まれ、行方不明になっていた。
報道で知ってカトリック教徒の私も心を痛めていたのだが、まさか、そのかけがえのない宝がアムステルダムの自宅アパートに届けられるなんて、にわかには信じがたい。
もしや、いつものジョークか?
こんな仕事をしていると、いたずら好きの友人が「ブラントさん、昨日モナリザが盗まれたんだけど、お宅にお持ちしましょうか?」なんてメールを送りつけてくることがある。
だが、今回の文面を読み進めるうちに、疑いは薄らいでいった。
送り主いわく、自分は聖遺物の窃盗に関わっていないが、実行犯から頼まれて私にコンタクトした。犯人は盗んだ品を修道院に戻そうと考えたが、監視カメラがたくさんあってできそうもない。警察にも捕まりたくない。だから、美術探偵の私を頼った、というのだ。
ゴッホやピカソの絵が戻ってくるのは、もちろんうれしい。でも、今回は芸術の域を超えている。この聖遺物を無事に取り返すことができれば、世界中のカトリック教徒が歓喜するだろう。たとえジョークだったとしても、捨て置くわけにはいかない。
まず状況を整理してみた。
修道院に侵入した犯人は、自分が何を盗んだのか分かっていなかったのだろう。聖遺物は銅製だが、金めっきが施されているため黄金と勘違いしたにちがいない。ところが、家に持ち帰ってニュースを見たら、自分がとんでもないものを盗んだと気づいて怖くなった、というところだろう。
もし犯人がカトリック教徒なら、聖遺物を盗み出し、手元に置くだけでも呪いをかけられると考えるかもしれない。
危ういのは犯人に信仰心がない場合だ。
美術品を盗んだ泥棒の多くは、それを高値で売ることを夢見る。だが闇市場では買いたたかれて実評価額の1割以下でしか売れないのが常だ。
著名な作品や文化的に価値の高い品ほど、買い手を探すのは難しくなる。処置に困って焼却してしまう者もいる。だから、盗難美術品の回収はとても難しく、これまでの経験から全体の10%に満たない、と私は考えている。
神聖な聖遺物を失う、最悪のシナリオだけは避けなくてはならない。
私はメールの送り主に、自宅の玄関の前に置いておいてくれたら、責任を持って回収すると伝えた。
問題は、相手がいつ届けに来るかだった。
美術探偵が警察と協力して仕事をしていることは彼らも知っているだろう。当然、警察の待ち伏せを警戒するから、無用な刺激をしないために私から日時の指定はしなかった。
やがて、2通目のメールが届いた。「数カ月以内にドアのベルを鳴らして、玄関先に置いておく」とあった。
数カ月以内。つまり、明日来るかもしれないし、2週間後かもしれない。もしかしたら、3カ月後かも……。これは警察の待ち伏せを避けるのに、賢いやり方である。
だが、正直これにはまいった。
届くのは宅配ピザではない。カトリック教徒にとって神聖な聖遺物なのだ。私が留守の間に玄関先に放置され、紛失してしまうようなことは避けなくてはならない。
ここは警察当局に協力をあおごう。オランダ警察の友人を通じて、フランスの警察に事の次第を伝えてもらった。
ところが、である。彼らは首を横に振った。夏のバカンスシーズンで人手を割く余裕がない。予算的にも何カ月も私の家に警官を待機させることはできない、というのだ。
そもそも彼らは、メールの信憑性に疑いを持っているようだった。
「たぶんジョークだと思うけど、そうでなかったら素晴らしいことだ」と警察の担当者は言った。
私は腹を決めた。
その日から一歩も外出せず、玄関のベルが鳴るのを待ち続けた。
世間には美術探偵で名が通っているが、これは半ば趣味で始めたボランティアのようなもので、本業は美術・骨董品の分野を専門とするコンサルタント会社を営んでいる。
コレクターが贋作をつかまされないように助言したり、所有権をめぐる争いの仲裁に入ったり、第2次世界大戦中にナチス・ドイツに略奪されたユダヤ人の美術品を捜索したりするのが主な仕事だ。
引きこもっている間、本業の打ち合わせなどは全てオンラインでしのいだ。食料品などの買い出しは、友人たちに助けてもらった。
相手はいつ来るか分からない。真夜中かもしれないし、早朝かもしれない。
シャワーを浴びていたら、呼び鈴が鳴った。「ついに来たか!」と半裸にタオルを巻いて玄関に駆けつけたら、なんのことはないピザの宅配、あるいは友人の不意な訪問……。そんなことが10回はあったと思う。
おこもり生活が1週間ほど続いた7月初旬、ついにその時が来た。
午後10時半ごろ、玄関のベルが鳴った。ドアを開けると、暗闇の中に段ボール箱が一つ、ぽつんと置かれていた。
月の出ていない晩だった。家の前の通りは真っ暗。遠くに通行人とおぼしき人影がいくつか見えたが、顔までは分からない。
もしかしたら、暗がりの中から誰かがこちらを見ていたかもしれない。でも、通りの端から端まで確認するつもりはなかった。
私は警察ではない。いま重要なのは箱の中身を確認することだ。
ひと抱えもある箱は持ち上げると、ずしりと重かった。10キロはあったろう。玄関の明かりの下で絵柄を確認すると、掃除機を梱包していた箱だった。
一時はジョークかもと思ったけれど、とにかく約束どおり箱は届いた。でも、ひょっとしたら爆弾かも?
心臓が高鳴る。落としたら一大事だ。慎重に階段を上って、2階のリビングに運びあげた。
おそるおそる蓋を開けると、白い紙の包みがいくつも出てきた。司祭が教会で使う儀礼用の品々だった。銀食器や聖人の絵など合わせて14、15点はあったと思う。
そして、箱のいちばん下にひときわ大きな包みを見つけた。教会を模した高さ約30センチほどの箱が黄金色に輝いていた。宝石をちりばめた装飾が施され、十字架のキリストや聖人の絵が描かれている。写真で見た形状と同じだった。
ああ、ついにやった。待ちわびた瞬間だった。
「警察に連絡しなくては」と携帯電話に手を伸ばして、やめた。万が一にもニセモノの可能性はないだろうか? 数日かけて実物を様々な角度から吟味し、ネットや書物の写真とつぶさに比較した。少なくとも数週間で偽造した代物ではないと納得し、警察に電話した。
彼らが喜んだことは言うまでもない。まもなく、フランス警察の担当者が聖遺物を引き取りにきた。
警察には、私のパソコンに送られたメールも提出した。フランスで起きた事件だが、文面はオランダ語で書かれていた。この送り主はオランダ語圏になるベルギー北部の人物かもしれない。やり取りをしている間、そんな印象を持った。
だが、メールは痕跡をたどれないよう暗号化された特殊なアドレスを使っていて、犯人逮捕には結びつかなかった。箱や盗品から指紋など犯人につながる情報も見つからなかった。
現在に至るまで、犯人は捕まっていない。
美術犯罪の捜査は通常、1、2カ月は犯人追跡に相応の人員をさくが、進展がないと縮小される。殺人や強盗などに注力するためだ。
今回は盗品が戻ってきたことで、警察の面目もいちおう保たれたから、捜査の手は緩むかもしれない。犯人が捕まる可能性はぐっと低くなったといえる。
犯人が悪いことをしたのは間違いない。でも最後には、盗んだものを無事に返すという「良い行い」をした。彼らは自分で自分を救ったのだ。
何より、何億人ものカトリック教徒にとって大きな意味がある。日本を含め、世界中のカトリック教徒からお礼のメールをいただいた。
そして、個人的にも非常にうれしいことがあった。世界的ベストセラー『ダ・ヴィンチ・コード』などで知られるカナダ出身の作家ダン・ブラウンが、聖遺物の奪還を知って「美術探偵は永遠にクールな職業だ」とSNSに投稿してくれたのだ。
大ファンの作家にそこまで言ってもらえるなんて、天にも昇る気持ちだった。
「この絵が頭痛のタネになっている。警察に捕まらず、うまく返す方法はないか」――。
美術盗難品を手に入れてしまった者は、たいていこんな風に私にコンタクトしてくる。
2023年9月、オランダ北部の海岸沿いの地方都市メーデムブリクで起きた事件もそうだった。
解体工事を控え立ち入り禁止になっていた旧市庁舎に何者かが忍び込み、移送を待っていた絵画6点を盗み出したのだ。
盗まれた6枚の時価総額は約10万ユーロ(約1600万円)といわれ、ゴッホやフェルメールといった著名な画家の作品に比べると高額ではない。だが、7世紀に地元を統治した王侯の肖像などが含まれており、歴史的な価値が高い品々だった。
その数週間前、オランダの美術館から盗まれて行方知れずになっていたゴッホの絵画「春のヌエネンの牧師館の庭」(1884年)の回収に成功し、私はちょっとした「時の人」になっていた。
メーデムブリクの事件が起きた翌日、地元マスコミがこぞって意見を求めにきた。
「この泥棒たちは愚か者だ。盗んだ絵画は有名な作品だから、どこに持って行っても売ることはできない。警察は(歴史的な価値のある作品を盗んだ)泥棒を必ず見つけ出そうとするだろう。どうせやるんなら、転売しやすい自転車を6台盗むべきだった」
冗談を交えた私のコメントが新聞やテレビで大きく取りあげられた。
いま思えば、こうした発言やゴッホの絵画を取り戻した一連の報道が、メーデムブリクで絵を盗んだ者たちを少なからず動揺させたのではないかと思う。
それから数週間たった10月13日夜、私の携帯電話にショートメールが届いた。差出人の番号に心当たりはなかった。
「メーデムブリクの絵を持っている。あなたの家に届けに行きたい」と記されていた。
「あなたが盗んだのか?」と尋ねると、それは否定した。
美術犯罪をめぐる世界には、二つのルールが存在する。警察と裏社会のルールだ。
私はその間にいる「仲介役」にすぎない。だから、美術探偵という仕事をするうえで、自らに決まりごとを課している。警察に対しては「法を守る」、犯罪者には「約束を守る」だ。
ショートメールを受け取ったのは金曜の午後10時半近くだった。
いまから警察に連絡してもこの時間では対応してくれないだろう。それが相手の狙いとすれば、「賢い」と思った。
こちらから「来週の月曜か火曜まで待ってくれないか」と提案すると、「それでは遅すぎる。もう、あなたの家の近くの通りまで来ている」と返答してきた。
え、そんなにすぐ? もしや、いたずらか?
半信半疑でリビングに戻り、サッカーのテレビ中継を見始めた。オランダがフランスに0対2で負けていた。退屈なゲームだった。
5分後、玄関のベルが鳴った。
ドアを開けると、家の前に止めた黒い大型バンの荷台から、男が大きな段ボール箱を二つ、三つと運び出している。
あっけにとられていると、荷物を下ろすのを手伝ってくれ、と男は言った。
「何を下ろすんだい?」
「メーデムブリクの絵だよ」
男は笑顔で答えると、玄関の前まで箱を運ぶ。それを私が2階のリビングに運びあげる。
ずしりと重い箱を運びながら、考えた。男は絵を盗んだ張本人ではないが、おそらく犯罪に関与している人物だろう。
とにかく、男を落ち着かせたかった。武装しているかもしれないし、下手なことを言ってパニックになったら銃で撃たれるかもしれない。
箱を運び終えた私は、冗談めかして言った。「いまサッカーの試合を見ているんだ。オランダの試合だから、もしよかったら2階にあがって最後まで見てもいいよ」
「いやいや、サッカーは見たくない」
男はただそう言い残して、車で走り去った。
後ろのナンバープレートは何かで隠してあった。警察が後にアムステルダム中の監視カメラを調べたけれど、足取りはつかめなかった。
オランダ警察の友人に事の次第を伝えた。彼は、いま時間がないから絵は来週受け取りに行く、それまで保管しておいてくれと言う。
お世辞にも広いとはいえないリビングが、6枚の絵画に占拠され、週末の間ソファにも座れなかった。
週が明けて、警察が絵を受け取りに来た。
おかしなことに、警察は絵画や箱から指紋を採取しなかった。その代わり、私に1枚の写真を見せて、夜にバンで訪れたのはこの男かと尋ねた。それは別人だった。
警察はすでに犯人の目星をつけていたのだ。
だが、半年間にわたる捜査にもかかわらず、現時点で検挙には至っていない。私が写真を見せられた男も証拠が足りず立件できなかったようだ。
その後、事件の背景を警察関係者が教えてくれた。
捜査の結果、解体を控えて半ば廃墟のようになっていたメーデムブリクの旧市庁舎に、馬鹿な連中が入りこみ夜な夜なパーティーをしていたことが分かった。どうやら、その連中が酔った勢いで、建物の中に残されていた貴重な絵画を持ち出してしまったらしい。
その話を聞いて私は、この連中のしたことは愚かだったが、絵を返す決断をしてくれたことには感謝したい気持ちになった。
美術品を盗んだ泥棒は、よほど腕の良いプロでない限り、盗品の売り先を見つけることができず行き詰まってしまう。捜査の網にかかることを恐れ、証拠を消すために燃やしてしまうケースすらある。
だから私は、盗品の扱いに悩んでいる犯罪者と交渉するとき、しばしばこう説得する。「モナリザを盗んで捕まったら懲役10年。絵を破損したら20年。でも無傷で返せば、あなたの罪は5年で済むかもしれない」
交渉のやり方は様々だが、重要なのはその絵を持っていても何の得にもならない、まして絵を傷つけようものならマイナスになりうる、と相手に理解させることだ。
ちなみに、メーデムブリクの市当局は事件が起きたとき、絵画の無事な返還に結びつく情報提供に対して1万ユーロ(約160万円)の報奨金を出すと発表していた。
当然、私は受け取る権利があったが、早々と辞退した。
お金に不自由していないから? いやいや、そんなことはない。
この仕事をしていると、「さぞや、もうかるでしょう」と言われるが、まったく逆だ。警察に協力しても、報酬は彼らの給料程度だし、事件解決に何年もかかって経費がかさむこともしばしばだ。私は豪邸に暮らしていないし、車も持っていない。そもそも運転免許がないから移動はいつも自転車だ。
経営する美術・骨董分野のコンサル会社の収入に加え、これまでの冒険談を本にしたり、講演したりした稼ぎを美術探偵としての活動費に充てている。
報奨金1万ユーロはありがたいが、私がやったことといえば、家の前に運ばれてきた段ボール箱を2階に運んで、居間に保管しただけだ。こんな金額は受け取れない。そんなことをしたら、母親が電話してきて強く叱られるだろう。
だから、市当局にはジョークも込めて、こうお願いした。
「図書券をいただけたら、うれしいです」
美術犯罪の中で、「窃盗」と並んで大きな部分を占めるのが「贋作」だ。
ひとくちに贋作といっても、いろいろなカテゴリーがある。
たとえば、17世紀のレンブラント作品があったとしよう。ひと儲けするためにゼロから作られた真っ赤なニセモノもあれば、同じ年代に描かれた無名の作品にレンブラントのサインを書き足したものもある。
あるいは、レンブラントの弟子が師の作品を模写した絵が、いつの間にかレンブラント作品として出回っているものもある。そういった全てをひっくるめて贋作に数えれば、主流の美術市場で公式に販売されている作品の「30%は贋作である」と私は考えている。
こう言うと一般の人々は驚くかもしれないが、捜査の現場にいる人たちはもっとシビアな見方をしている。贋作の割合は「40%」と見るドイツ警察の友人もいるほどだ。
たとえば、年老いたコレクターの女性が亡くなって、作者不明の17世紀の風景画が見つかったとする。本来は5000ユーロ程度の価値だったとして、もしそれがレンブラント作となれば価値が跳ね上がる。そうなれば遺族もうれしいし、その絵を買い取る画商も市場で高く売ることができる。購入した美術館も名のある作品と宣伝すれば、より多くの入場者が得られる。こうして贋作は世にあふれていくのだ。
じつは、私がこの世界に入ったのも贋作がきっかけだった。
もう20年ほど前になるが、大学を卒業したばかりの私は、スペイン語の通訳などの仕事をしながら、もともと興味のあった美術の世界にコレクターとして足を踏み入れた。
油断すれば、すぐにカモにされる世界。不覚にも贋作をつかまされ、大損をしてしまった。
それが悔しくて、贋作について調べているうちに古い新聞記事に出ていた「伝説の男」のことを知った。それがミシェル・ファインレインだった。
パリ生まれのオランダ人でロンドンに住んでいた彼は、かつて「美術犯罪の9割に関わる大悪党」と英警察に評された元犯罪者だった。1990年半ばに改心し、当局の要請を受けてその知識や人脈を美術犯罪の捜査に役立てていた。
私はファンレインにどうしても会いたくて、ロンドンまで訪ねていった。
彼はとんでもない変わり者だったが、なぜか私を気に入ってくれた。それから6年間、私は「弟子」のように彼の元に通い続け、驚くべき仕事ぶりを目の当たりにできた。また、警察関係者や美術界にはびこる
詐欺師、贋作師たちを師匠から紹介された。
2009年に独立した私はアムステルダムに幼なじみと共同で美術・骨董品の分野を専門とするコンサルタント会社を設立した。その傍ら、なかば趣味で始めたのが「美術探偵」の仕事である。以来、裏社会にネットワークを着々と築き、警察関係者に人脈を広げてきた。ロンドン時代に師匠から学んだことが大いに役立った。
美術探偵の本領は、警察と裏社会の双方に張り巡らせた情報網、そして、彼らの心理を知り尽くした交渉術だ。
美術犯罪をめぐる世界には、美術品を盗む泥棒、その盗品を買う者、そして、犯人と盗品の行方を追う捜査当局がいて、三者三様の事情を抱えている。
まず、泥棒が美術品を盗む動機は基本、金もうけのためだ。ほとんどはカメラであれ、高級車であれ、絵画であれ、見つけたものは何でも盗む。美術品を専門とする泥棒なんてほとんどいない。
私の大好きな映画「007」シリーズで、悪の組織を率いるドクター・ノオの部屋に置かれた絵画を見て、ジェームズ・ボンドが驚くシーンがある。この絵はゴヤの「ウェリントン公爵の肖像」で、実物は1961年(映画公開前年)、ロンドンのナショナルギャラリーから盗まれていた。映画ではドクター・ノオが犯人で、自室に飾って楽しんでいるという設定だった。
だが、現実世界でそんなことをする者はまずいない。
泥棒の多くは最初、盗んだ絵を自由に売りさばけると考えるが、盗品を買う者は非常に少ないことにショックを受ける。
たとえ買い手がついても、闇市場で売れる価格は実評価額の1割未満といわれる。オークションなら1000万ドルで売れる絵が、闇では100万ドルに買いたたかれてしまうのだ。
そうした盗品の買い手に多いのが、麻薬密売組織を率いるマフィアなどの犯罪者たちだ。
彼らは司法当局との取引材料にするため、「切り札」として盗難美術品を隠し持っている。
かつて私が交渉した服役中のマフィアのボスがそうだった。盗品を返す代わりに刑期の短縮を要求するのが常だが、そのマフィアが求めたのは、愛する孫と接見する回数を年1回から2回に増やすことだった。
結局このとき、交渉は成立しなかったが。
美術犯罪を捜査する側にも特有のジレンマがある。とにかく人手が足りないのだ。
たとえば、オランダは世界屈指の美術品大国なのに、専門に盗難事件を担当する刑事は数人しかいない。テロ対策や強盗事件など警察には他にもやることがある。美術犯罪の優先順位は高くない。だから、私のような民間人の「仲介者」が警察に重宝がられるというわけだ。
そんな美術探偵に、強力な助っ人が加わった。オランダ人の元泥棒、オクターブ・ドュルハム(53)である。
彼は2002年、仲間と共にゴッホ美術館から貴重なゴッホの絵画2枚を盗み出した。要した時間はわずか3分40秒。警察も舌を巻く早業で、「オランダのルパン」と呼ばれていた。
1年後に逮捕され、服役して罪を償った後、アムステルダムに暮らしていた。
私はずっと彼に会いたいと思っていたが、彼が私を敵視していることもうわさで知っていた。
6、7年前のことだったと思う。ゴッホ美術館の近くで誰かと食事をしていて、たまたま窓の外を見たら、通りを歩くドュルハムの姿が見えた。慌てて彼を追いかけ、声をかけた。
「私が誰か、分かるかい?」と尋ねると、彼はこう答えた。
「ああ、泥棒を敵にまわす、愚かな美術探偵だろ」
数カ月後に再会したとき、私は提案した。
「君はもう盗みを引退して、いま退屈してるんだろ? オッキー(ドュルハムの愛称)、私を助けてくれないか?」
オッキーは引退したとはいえ、裏社会や警察関係者も一目置く存在だった。犯罪の手口や犯人の心理を知り尽くしている。
美術品が盗まれたとき、裏社会の情報網から犯人の名前が浮上することはままあるが、コンタクト先を電話帳で探すことはできない。そんなとき、オッキーならたいてい連絡をつけることができる。
最初、警察には協力するつもりはないと彼は渋った。
でも、売るに売れない美術品を持っているのは犯人にとっても問題だ。盗品を返せば、警察の追跡が緩むかもしれない。それは犯人のためでもある。そう説得すると、分かってくれた。
オッキーは犯罪者をけっして裏切らない。それが裏社会の掟だ。だから、彼は絵を盗んだ犯人のところに行き、美術探偵がこう言っていたと伝えてくれるだけでいい。
そうやって一緒に仕事をするうちに、犯罪捜査の舞台裏を紹介するテレビ番組に2人で出演したり、動画で配信したりするようになった。
あるとき、オッキーがこんなことを言ったのを聞いて、私はうれしかった。
「アルテュール、オレが刑務所に入る前にあんたと話をしていたら良かったのになって、今さらながらに思うよ」
美術探偵の仕事をするうえで肝に銘じていることがある。それは、相手が犯罪者でも敬意をもって、誠実に接することだ。
犯罪者の中には悪いことをする者もいるが、全てが「悪人」とは限らない。私の言っている意味が分かるだろうか? 父親や兄弟が犯罪者だったから犯罪者になる人もいる。でも、彼らは必ずしも「悪魔」ではないのだ。
だから私は交渉でも、けっして説教はしない。犯人との絆を深めることを考える。盗んだ絵を返して欲しいと助けを求めるなら、まず人間として扱うべきなのだ。
私が生涯をかけて解決したいと願う事件がいくつかある。
その一つが、米ボストンのイザベラ・スチュワート・ガードナー美術館で1990年に起きた美術品強奪事件である。
警官を装った2人組が、レンブラントの「ガリラヤの海の嵐」やフェルメールの「合奏」など13点を奪ったこの事件は、少なくとも5億ドル(約770億円)相当の美術品が絡んでおり、米史上最大の美術品犯罪といわれている。犯人と作品の行方は今もつかめていない。
これまでに様々な説が取りざたされ、証拠隠滅のために犯人がすでに絵を焼却してしまったという人さえいる。
だが、2023年にゴッホの絵画を奪還したニュースを知ったという人物から、最近、私のもとに情報提供があった。進行中の案件なので詳しくは言えないが、「絵は燃やされてはいない。誰が持っているか知っている」と。そして、痕跡をたどれない特殊なアドレスのメールで、1枚の写真を送りつけてきた。「そこに写っている人物を探してみてくれ」
かなり確度が高い情報だと考えているが、もっと多くの情報を集めなくてはならない。
今後の行方を注目していただきたい。