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アート市場に歴史あり 拡大に伴い盗難や贋作も増加、「保税倉庫」が違法取引を助長?

World Now 更新日: 公開日:
神奈川県がオークションにかけたピカソの「顔」。県税滞納者から差し押さえ、2000万円で落札された=2005年5月25日、神奈川県庁、久松弘樹撮影

イタリア・ルネサンスの巨匠レオナルド・ダヴィンチ作とされる絵画「サルバトール・ムンディ」が2017年、美術品の競売で史上最高額となる4億5030万ドル(当時のレートで約510億円)で落札され、話題になりました。名画や貴重な美術品はその驚異的な価格ゆえに、犯罪の標的になることもあります。芸術作品が高額で取引されるようになった歴史とその仕組みとは?エラスムス大学(オランダ・ロッテルダム)でグローバル・アート市場を研究するフィリップ・フェルメイレン教授に聞きました。(聞き手・構成=玉川透)

人類が芸術作品をつくり始めたときから、アート市場は存在していたと考えられている。

例えば、2500年前の古代ギリシャでは彫刻がたくさん作られ、その後のローマ帝国でも複製が数多く生み出された。モノと交換したり、贈答品にしたり、美術品は常に市場の一部だったと考えられているが、当時の資料が乏しく実態は明らかになっていない。

現在のアート市場につながる起源は、少なくとも西洋ではルネサンス期にさかのぼることができる。

15世紀から16世紀にかけて各地で初期のアートフェアが開かれ、17世紀にはオークションが始まった。特にオランダでは、絵画や版画といった美術品の市場が急速に商業化され、国際的な取引も行われるようになった。驚くべきことに、その頃には私の故郷アントワープ(ベルギー)から大西洋を渡って、メキシコまでかなりの量の美術品が輸出された記録が残っている。

17世紀のアムステルダムに目を向けると、一般の人々が予想以上に美術品を購入していたことが分かる。17世紀半ばに家屋を持つ世帯で平均約24枚の絵画を所有していたことが我々の調査で明らかになっている。これらの絵画の多くは、額縁にも入れず紙に描かれただけの安価なものだった。約100枚を所有する裕福な商人もいたが、多くは石工やれんが職人、大工など様々な職業の人たちだった。

オークションが盛んになると、アート市場は国際的になっていく。

クリスティーズやサザビーズといった現在も名の知れたオークションハウスは、18世紀にロンドンで設立された。1800年ごろのフランドル(ベルギー西部を中心とした地域)やオランダの美術品の多くがロンドンやパリに運ばれ、そこの市場で売られていたのだ。

傑作を発掘する「仲介者」の存在

アート市場において、重要な役割を果たしたのが「仲介者」である。社会学的には「ゲートキーパー」と呼ばれ、画商やキュレーター、美術史家、新聞に寄稿する批評家などが含まれる。

美術品の傑作とは何か。どうして、ゴッホは偉大な画家といわれるのか。それは、多くの人がそう考えるからだが、一般の人すべてが美術の歴史や知識に精通しているわけではない。そんなとき仲介者や専門家が必要になる。

例えば、画商やギャラリーのオーナーは多くのアーティストの初期の作品を吟味し、どの画家に将来性があるのか、継続してコレクターにアピールする良作を生み出せるのかを判断する。そして、売り出すアーティストを選び、売り込む方法を見つけようとする。

芸術的な知識に乏しい一般の人々も、画商が「これは買う価値がある」と言えば、それが売り筋となる。どの画家の展覧会を催すか決める美術館の学芸員も同じだ。

これに似た仕組みは、出版業界にもみられる。ある出版社が100の小説の原稿を手に入れたとして、このうちどの小説家の作品を出版するかは、実際に原稿を読んで中身を吟味した彼らの手にゆだねられる。出版社はその業界のゲートキーパーだ。

スマートフォンであれば、素人でも品質の良しあしや使い勝手を判断するのは、それほど難しいことではない。接続は良いか、バッテリーは長持ちするか、こっちの機種は24時間もつけど、あっちは20時間しかもたないなど、消費者がある程度は比較できる。だが芸術の場合、なかなかそうはいかない。

オークションで8千万円がついたルノワールの絵画
オークションで8千万円がついたルノワールの絵画=2018年9月15日、東京・銀座のシンワオークション、伊藤進之介撮影

優れた芸術作品とは何か。それは結局のところ、伝統的に画商やオークションハウス、学芸員といった仲介者が、素人である一般の人々に代わって作品の価値を判断し、新たな才能を発掘・プロモーションする役割を担っているから成立するのだ。もちろん、最近はSNS上のインフルエンサーを通じて注目を集めることもある。

ここに投機的な要素が加わり、芸術作品が潜在的な投機対象と見なされるようになると、その価格は飛躍的に上昇する可能性がある。

同時に、仲介者の重要性も増していく。現在ニューヨークやロンドンにたくさんいるアートコンサルタントは、投機の対象として何を買えばいいのか、10年後にどの芸術家が大物になるか、を富裕層の顧客に代わって見極める手助けをする。

オークションハウスは、特定の芸術家を宣伝するために誇大広告をうつ。新しい才能を持つ芸術家を見いだし、うまく世に売り出せば、仲介者にも手数料の一部として大金が入る。まさに資本主義の世界がそこに展開されている。

いつかは暴落するアート市場

一方、芸術作品の価値は時と共に大きく変動する可能性がある。いま注目されているアーティストの中で、数十年後も同じように評価される人は限られている。ゴッホやレンブラントのように時代を超えて評価され続ける芸術家もいれば、一時的に人気を博しても後に忘れ去られる人もいる。その作品が後の世まで名作、傑作と呼ばれるようになるためには、「時の試練」をくぐりぬけなくてはならない。

だが、「時の試練」をくぐり抜けた芸術家の多くはすでにこの世になく、新作を描くことはあり得ないから、供給量は増えない。だからこそ、彼らは投資家やコレクターの興味をひくのだ。

投機筋のアート市場への参入は美術品の価格を押し上げる。1980年代、日本経済が活況を呈していた頃、日本企業が巨額の資金を投じて、ゴッホの「ひまわり」など名作を相次いで購入したのはその端的な例だろう。

アート市場では、このまま価格が上昇し続ける信じている人がいるが、そうではない。古くはオランダのチューリップ・バブル、住宅バブルなどに見られたのと同じ現象で、いつかは暴落する。こうした現象は美術市場の歴史の中で何度か起きている。

ロンドンの絵画オークションで安田火災海上保険が53億円で落札したゴッホの「ひまわり」が日本に到着、東京都江東区の運送会社でこん包が解かれ、報道陣に公開された
ロンドンの絵画オークションで安田火災海上保険が53億円で落札したゴッホの「ひまわり」が日本に到着、東京都江東区の運送会社で梱包(こんぽう)が解かれ、報道陣に公開された=1987年7月20日、朝日新聞社写真部

近年、アート市場はますますグローバル化している。

スイスのバーゼルで毎年開催される世界最大級の現代アートフェア「アート・バーゼル」の最新報告書によると、2023年の世界のアート取引額は約650億ドル(約10兆円)。前年から4%減少したものの、コロナ禍前の2019年の数字を上回った。

最大のプレーヤーが米国(42%)なのは変わらないが、中国(19%)が英国を抜いて世界2位の市場となった。インドや中東などアジアの富裕層も美術品の収集に熱心だ。

アート市場のグローバル化に伴い、盗難や贋作、マネーロンダリングなどの問題も深刻になっている。特に違法な美術品取引を助長する可能性があるのが、「フリーポート(保税倉庫)」だ。シンガポールや香港、ジュネーブ、ルクセンブルクなど国際空港周辺などにある保管施設で、外国から輸入した貴重な貨物を関税や付加価値税を留保したまま保管できるシステムだ。

例えば、スイスの展覧会に出品する美術品の場合、作品の所有者の国からイベントの数週間前にスイスに搬入。フリーポートで受け入れの検品などの手続きを行い、展示が終わった後に再度フリーポートで検品を経て所有者の国に戻される。

国際的な美術品の展示には有用なシステムだが、一方で盗品や贋作など犯罪にからむ美術品の隠し場所として使われ、闇市場の温床になっているとの指摘もある。

盗難と並んで美術犯罪の大きな部分を占めるのが贋作だ。レンブラントの絵画は19世紀には米国で広く収集されたが、その中には数多くの贋作が含まれていたといわれている。「レンブラントの絵画はこの世に800点ほどあるが、そのうち3000点が米国にある」というジョークがあるほどだ。

最近は科学技術の進歩により贋作の発見はだいぶ容易になってきたが、依然としてアート市場への影響は少なくない。世界各地の美術館が所蔵する作品の中にも贋作が多く含まれているといわれる。数年前、イタリアで行われた有名画家の展示会に出品された21作品のうちじつに20作品が専門家の鑑定でニセモノと判明し、その深刻さが浮き彫りになった。

ただ、芸術作品における「オリジナル」と「ニセモノ」の概念は、時代や地域によって異なるようだ。

たとえば、優れた彫刻家が輩出した古代ギリシャでは、多くに人々が傑作のレプリカを作成して一緒に楽しんだといわれている。中世の芸術家の工房では、信頼する弟子たちに作らせ、自分は最後に少し手を加えたり、サインを入れたりするだけで、自作として世に送り出していた芸術家が少なくなかった。

「天才画家」というのは、かなり最近の発明だ、と私は考えている。

オランダ・エラスムス大学のフィリップ・フェルメイレン教授
取材に応じる、オランダ・エラスムス大学のフィリップ・フェルメイレン教授=2024年11月、ユイキヨミ撮影

15世紀ごろ、芸術家の多くは、私やあなた方と同じように給料を定期的にもらって生活していた。だが、16、17世紀にアート市場に変化が生じ、彼らが作品の対価として高額の報酬を得るようになると、人とは違った優れた作品を生み出す芸術家たちは、「これは私の作品だ」と主張し始める。こうして、個々の芸術家の独自性が重視されるようになり、いわゆる「天才崇拝」が広まる契機になったのだろう。

こうした「オリジナル」への執着は特に西洋で強いが、他の文化圏ではそうでない場合もある、と考えている。

例えば、私が研究対象とするインドでは、伝統的な芸術様式であるマドゥバニ(ミティラー)絵画を描く人々は長い間、自分の作品にサインをするという慣行がなかった。作品のそのものが持つ価値が重要と考えられていたため、誰の手によるものなのかはさして問題ではなかったのだ。

ところが最近、市場がグローバル化してインドの芸術作品を西洋のバイヤーやインドの富裕層が取引するようになると、作者のサインが求められるようになった。これはアート市場のグローバル化の一側面であり、芸術の商品化だと言えるだろう。