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ウクライナ戦争で即時停戦言わず、世論煽った日本メディア 被爆地・広島で感じた怖さ

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原爆死没者慰霊碑に献花し、記念写真に納まるウクライナのゼレンスキー大統領と岸田文雄首相
原爆死没者慰霊碑に献花し、記念写真に納まるウクライナのゼレンスキー大統領(左)と岸田文雄首相(当時)=2023年5月、広島市中区の平和記念公園、代表撮影

ロシアのウクライナ侵攻から3年を迎える。この間、私は被爆地・広島に身を置きながら、この戦争が私たちに問いかけるものを見てきた。その中で最も痛感したのは、戦争というものの愚かさを知るはずの被爆国日本のマスメディアが率先して戦争を煽(あお)り、まるでゲームのように戦況に一喜一憂し、それに世論が熱く呼応していく危うさである。まさに「新しい戦前」とも言える異様な姿だった。

被爆80年の入り口で、日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)に2024年のノーベル平和賞が授与された。核戦争への切迫した危機感からである。だが、核戦争に発展するかもしれないウクライナ戦争が目の前で起きているにもかかわらず、それを一刻も早く止めるべきであるという主張が、なぜメディアの主流とはならなかったのか。2023年5月には広島で主要国首脳会議(G7サミット)が開かれたにもかかわらず、なぜそれを停戦に向けた機会として生かすべきだという思潮にならなかったのか。G7結束をうたうばかりで、むしろ即時停戦の声は押しつぶされてきたと言ってもいいだろう。

「戦え一択」を推し進めたメディアの期待に反して、現実の戦況はウクライナにとって苦しくなるばかりである。ウクライナが勝てないことが自明となる中、米ロは停戦に向けて動き始めた。

ウクライナ侵攻の集結をめぐり、サウジアラビアで交渉するアメリカの代表団とロシアの代表団
サウジアラビア代表団(奥)の同席のもと、ウクライナ侵攻の終結について交渉をスタートさせるアメリカの代表団(左)とロシアの代表団(右)=2月18日、サウジアラビアの首都リヤド、ロイター

振り返ってみるとこの3年間、被爆地・広島からは、あらゆる核とあらゆる戦争に反対する非核・非戦のヒロシマの精神が発信されてきた。しかし、好戦的なメディアに国内世論が動かされる危うさや、戦争のリアリティーというものに対する耐性のなさがあらわになったようにも思えた。最も大切なのは戦争回避に尽くすことであるのに、いつか日本は簡単に、ウクライナのように戦争に巻き込まれるのではないか。そんなことも真剣に考えた。

1年ほど前になる。「言いにくかった停戦 現実とズレ」という見出しで、作家・外務省元主任分析官の佐藤優氏にインタビューした内容が朝日新聞オピニオン面(2024年2月6日付)に掲載された。少し長くなるが、ほぼ現状を言い当てているので引用してみたい。

――開戦から2年。祖国を守るウクライナに対する支援の機運が最近は変わってきたように感じます。

「世論や西側の対応は現実的になってきました。『ウクライナの必勝を確信する』と頑張っていた軍事専門家と称する人たちも、ウクライナの苦戦で、どのラインで戦争を終わらせるべきなのか苦慮している。でも私に言わせると当初から明白な話じゃないかと」

――この間、即時停戦を言いにくい雰囲気を感じていましたか。

「言いにくいのは確かでした。でも早くやめないと、ウクライナの黒海に面した領域が全部ロシアにとられる可能性がある。米国の軍事支援が先細り、ウクライナは完全に弾切れを起こしています」

「今秋の米大統領選でトランプ前大統領が当選するような事態になれば、完全にはしごを外された形になる。ロシアは手加減しないでしょう。だから早く停戦に持っていかないと」

――それは可能ですか。

「変化が起きるとしたらウクライナの中からでしょう。ゼレンスキー政権である限り無理です。彼は4州だけでなくクリミアまでの解放を勝敗ラインにした。それを達成できないと敗北を認めたことになります」

――日本の報道や世論をどう見ますか。

「日本人は、この戦争についての報道を見て語る中で、熱気に包まれてしまった。でも、しょせん他人事だったのだと思います。戦争のリアリティーが欠如していた。ただ、ここから学ばなければならないのは、戦争での憎しみというものが我々にも感染してしまうと、我々の目も曇って、戦争をする心に同化してしまいやすいことです」

――ウクライナは勝たなければならないとの意識が現実との乖離を生んだと。

「そう思います。今は少し冷静になってきた。ウクライナが目標を達成できないことは相当の人がわかってきている。ならば一刻も早くこの戦争をやめるところに行くべきですが、そこはなかなかメディアが踏み込まない。今まで、さんざんあおってきたからです」

佐藤優氏
佐藤優氏=2022年7月、東京都千代田区

この記事が当時波紋を呼んだのは、批評家・東浩紀氏の雑誌アエラの巻頭コラム(2024年2月19日号)からもうかがえる。東氏はこう書く。

ロシア人が全て親プーチンではないし、ロシア語やロシア文化を学ぶことが即ち侵攻支持なわけでもない。それなのにSNSでは、ロシア理解を試みること自体が侵攻の正当化につながるといった乱暴な意見が幅を利かせている。最近もNHKや朝日新聞での佐藤優氏のインタビューをきっかけに反発が強まっている。

しかしそういった単純な善悪二元論は無知を加速するだけだ。プーチン政権の蛮行を終わらせるためにこそ、もっとロシアの多面性を知る必要があるのではないかと感じている。

東浩紀氏のコラム「eyes」(アエラ、2024年2月19日号)

東浩紀さん
東浩紀さん=2024年7月、東京都品川区

同じころ、毎日新聞の伊藤智永・専門編集委員は「土記」というコラム(2024年2月24日付朝刊)で、文頭をこう書き始めている。

ロシアのウクライナ侵攻が3年目に入った。出口は見えない。2年前、即時停戦論を「不正義だ」とののしった人たちの「正義」は今、どこを漂うか。

イスラエルのガザ侵攻は、自衛を超えた無差別虐殺をやめない。それでも、イスラム組織ハマスの奇襲を「許しがたい不正義」と憤った人たちが、法外な「正義」の過剰には沈黙する。

伊藤智永・専門編集委員の「土記」(毎日新聞、2024年2月24日付朝刊)

実は、即時停戦を求める声は早くから上がっていた。ゴルバチョフ財団(本部・モスクワ)は開戦から2日後の2022年2月26日、一刻も早い戦闘行為の停止と早急な平和交渉の開始を求める声明文を発表した。東京大名誉教授の和田春樹氏らは同年3月、「憂慮する日本の歴史家の訴え――ウクライナ戦争を一日でも早く止めるために日本政府は何をなすべきか」と題する停戦を呼び掛ける声明を出している。

ロシアによるウクライナ侵攻に対し、日本が停戦交渉の仲裁国となるよう求めて記者会見する和田春樹・東京大名誉教授
ロシアによるウクライナ侵攻に対し、日本が停戦交渉の仲裁国となるよう求めて記者会見する和田春樹・東京大名誉教授(右から2人目)ら=2023年4月、国会内

2023年5月のG7広島サミット前には、「今こそ停戦を」と訴える意見広告が東京新聞に掲載され、米国では「米国は世界の平和のための力であるべきだ」との反戦広告がニューヨーク・タイムズに掲載された。これは、かつてのイラク戦争に批判的な元軍人や国家安全保障関係者で構成する「アイゼンハワー・メディアネットワーク」という組織が広告費用を負担したものだ。

そのG7広島サミットでは核抑止論を正当化する広島ビジョンが出され、ゼレンスキー大統領が広島を電撃訪問した。停戦を願う被爆者や広島市民の間では、「広島が貸し舞台に使われた」「核の傘の下で戦争を煽るような会議になった」「広島で武器の供与を決めてほしくなかった」という反感や違和感が漂った。

平和記念公園を訪れたウクライナのゼレンスキー大統領と岸田文雄首相
平和記念公園を訪れたウクライナのゼレンスキー大統領(左)と岸田文雄首相(当時)=2023年5月、広島市中区、代表撮影

2024年3月には、ローマ・カトリック教会のフランシスコ教皇が「最も強いのは、状況を見て、国民のことを考え、白旗をあげる勇気を持って交渉する人だと思う」と述べたと報道され、ウクライナ側から非難された。この時、バチカン側は「敵対行為の停止、交渉する勇気によって達成される停戦」を支持すると述べている。

ウクライナ支援に水を差すな、ゼレンスキー大統領の「正義」の戦争を応援しろ、という好戦的な空気が支配的だった中で、2024年6月になると、こんな冷静な意見が載るようになった。和田氏とともに即時停戦の声を上げ続けてきた東京外国語大名誉教授で国際政治学者の伊勢崎賢治氏が、朝日新聞オピニオン面(2024年6月15日付)の「国のため死ぬ=道徳的?」の中で述べたものだ。

政治家の責務は、市民は戦う用意がない存在であることを明示することです。国際人道法を盾に自国の市民を守る行為です。逆に「我が国の市民はいつでも戦う用意がある」と言明したら、敵に無差別攻撃を正当化する機会を与えかねません。領土問題などの対立点を交渉によって平和的に解決する環境作りのためにも、政治家は動員強化に慎重であるべきです。

その意味で僕は、ウクライナ侵攻以降、国家が国民を戦争動員する行為への許容度が世界中で高まっていることを懸念しています。万一戦争が起きてしまったときに銃を取るのか逃げるのかは本来、各自が考えて決めるべきことです。徹底抗戦しているというイメージが広がっているウクライナの国民の中にも、徴兵拒否の動きはあります。

朝日新聞朝刊オピニオン面(2024年6月15日付)

伊勢崎賢治さん
伊勢崎賢治さん=2015年3月、東京都府中市

なぜメディアは、即時停戦を言えなかったのか。米バイデン政権が後押しし、西側が結束するウクライナ支援に、いささかでも水を差すべきではないという正義感からだろうか。

これは、ウクライナ戦争を「民主主義vs専制主義」という単純な図式でとらえ、ウクライナは勝たねばならないという価値観戦争にしてしまい、ロシアを悪魔視して憎悪をかき立て、ゼレンスキー大統領(正式な任期は2024年5月20日まで。ただし、戒厳令の導入や憲法の規定により、大統領職を継続)を英雄視してきたという背景がある。私も著書「ウクライナ戦争は問いかける――NATO東方拡大・核・広島」(朝日新聞出版)で書いたように、それが好戦的な熱気を生む原動力となり、「戦え一択」路線という形になって現れた。大切な人命が日々失われているにもかかわらず、である。

ウクライナのゼレンスキー大統領とアメリカのバイデン大統領、岸田文雄首相
G7による「ウクライナ支援に関する共同宣言」が発表された緊急式典に出席するウクライナのゼレンスキー大統領(右)、アメリカのバイデン大統領(当時、中央)、岸田文雄首相(同、左)=2023年7月、リトアニアの首都ビリニュスで開かれたNATO首脳会合、Beata Zawrzel via Reuters Connect

突き詰めていくと、この戦争の本質、不都合な事実から目をそらす、あるいは覆い隠そうとする姿勢があるのではないか。冷戦終結後も残った西側の軍事核同盟である北大西洋条約機構(NATO)の東方拡大は、今回の戦争に至る過程で大した問題ではないというような識者の意見には、開いた口が塞がらなかった。ウクライナの中立化こそウクライナ国民の命を守る大きな鍵だったのである。「NATO東方拡大をウクライナ戦争と結びつけるのはロシアのプロパガンダ」とみなす西側の支配的な言説があったのは確かだ。それは複眼的思考の欠如であり、停戦への道筋を模索していく上で大きな弊害となるだろう。

さらには、この戦争を主導したとも言われる米国のネオコン、いわゆるネオ・コンサーバティブ(新保守主義)への言及が、大手メディアで極めて少ないことだ。朝日新聞では2024年10月2日付オピニオン面に掲載された佐伯啓思・京都大名誉教授の「異論のススメ」で、「ネオコンからすれば『リベラルな価値』による世界秩序が実現するまで歴史に終わりはない」などと記され、2022年2月26日付読書面「ひもとく なぜウクライナか」では下斗米伸夫・法政大名誉教授の「米国務省に、ビクトリア・ヌーランド次官らロシア帝国移民系のネオコンが多いのは偶然だろうか」という言及があるが、ほぼ社外筆者による記述しか見当たらない。

読売新聞では2025年1月28日付文化面で、トランプ米大統領就任を受けた思想史家の会田弘継氏による寄稿の中で、「2016年大統領選挙中にトランプはネオコン知識人と激しく対立。以来ネオコンのほとんどが民主党支持に先祖返りした。ウクライナ戦争で積極関与を主張するのはネオコン知識人に多い」と記されている。これも一般記事ではない。

しかし、こうした問題に光を当てる著作も最近相次いでいる。ウクライナの敗北を予測したフランスの歴史人口学者エマニュエル・トッド氏の『西洋の敗北』(文芸春秋)が2024年11月に発刊され、ベストセラーになっている。NATO東方拡大については、英米きっての代表的なソ連・ロシア外交史家ジョナサン・ハスラム氏が2024年秋に出した著書『傲慢――ロシアの対ウクライナ戦争の米国起源』に、下斗米氏が注目している。この戦争の起源と責任が、ソ連崩壊後の米国の政策にあると指摘した本だ。

ウクライナ侵攻をめぐる停戦の仲介に乗り出したアメリカのトランプ大統領
ウクライナ侵攻をめぐる停戦の仲介に乗り出したアメリカのトランプ大統領=2025年2月7日、米ワシントンのホワイトハウス

筑波大名誉教授の進藤栄一氏は『月刊日本』の2025年1月号で「NATOの東方拡大は間違い」と指摘し、「日本もトランプ氏の停戦論をきっかけに、改めてウクライナ戦争とは何だったのかを考える必要があります。ようやく研究者たちも、その根源を理解し始めてきましたが、この戦争を主導したのは米国のネオコンです」と述べている。ネオコンを詳しく分析した『米国を戦争に導く二人の魔女 フロノイとヌーランド』(成沢宗男著、緑風出版)も2024年8月に出版された。

元外務次官の薮中三十二氏が2024年2月に上梓した『現実主義の避戦論 戦争を回避する外交の力』(PHP研究所)も示唆に富む。外交でウクライナ侵略を止める手立てはあったにもかかわらず、「米国は、ロシアの侵略を外交力でストップさせる努力を全く行わなかった」と記している。2025年1月に新外交イニシアチブ代表の猿田佐世氏らが出した『戦争を回避する「新しい外交」を切り拓く』(かもがわ出版)は、こう指摘している。

日本で安全保障の議論がなされる時には、もっぱら軍事力を背景とした「抑止」の視点からしか語られず、「抑止力」が日本を平和にするという言説があふれる。しかし、抑止力は万能ではない。それどころか、むしろ戦争を招く危険性もはらんでいる。

『戦争を回避する「新しい外交」を切り拓く』(かもがわ出版)

かつて非戦論を唱えた内村鑑三が「軍備は平和を保障しない、戦争を保証する」と言ったように、ウクライナ戦争は「安全保障のジレンマ」がもたらした戦争だ。それ以降、日本の世論も「軍事脳」になってしまい、一刻も早い停戦を後押しする動きが出てこないのに怖い気がした。遠いところの戦争でも、その戦争は社会をゆがめていく。こうした「戦え一択」の熱気が、被爆地に大きな禍根をもたらすことになる。

あらゆる国の核、あらゆる戦争に反対する非核・非戦の砦(とりで)であり、人類的視点に立つべき被爆地・広島が、8月6日の平和記念式典からロシア・ベラルーシを排除してしまった。そして、「我々の持つ核は正しい」と主張し、ゼレンスキー氏の英雄視を煽ったG7広島サミットに、貸し舞台として差し出されてしまったのである。

ゼレンスキー氏絶賛は当初からあり、日本の与野党含めてオンラインの国会演説に熱狂した。ロシアの軍事侵攻が国際法的にも人道的にも容認できないことは確かである。だが、これは発生を防げた戦争であるとの観点に立つと、国民の生命と財産を危険にさらし、国土荒廃を招いた指導者としての責任はどうなのか。

G7広島サミットの貸し舞台化は、後にノーベル平和賞を受賞する日本被団協の田中熙巳代表委員も直後から批判していた。被爆者や広島市民からは、違和感や反感という形で健全なシグナルが発せられていたのである。

ノーベル平和賞を受賞後、初めて公の場で発言した日本被団協の田中熙巳代表委員
ノーベル平和賞を受賞後、初めて公の場で発言した日本被団協の田中熙巳代表委員=2024年12月24日、東京都千代田区の日本記者クラブ

2022年から広島市も長崎市も夏の平和式典でロシア・ベラルーシを招待しなくなった問題は、2024年に長崎市がイスラエルの招待を見合わせたことで欧米のG6諸国が参加をボイコットする事態にまで深刻化した。だが、被爆地は、あらゆる国に被爆の実相を知ってもらうという原点に立ち返り、分け隔てなく招待する形に戻すべき時だろう。広島経済界の重鎮からも今、そんな声が上がっている。

最後に、2024年10月5日に広島平和記念資料館で開かれた市民フォーラムに触れておきたい。米ソ冷戦期に初の核軍縮を実現し、冷戦終結へと導いたゴルバチョフ元ソ連大統領の遺訓に基づく第2回「ゴルバチョフメモリアル 人間の安全保障フォーラム」である。作家で元外務省主任分析官の佐藤優氏が講演し、平岡敬・元広島市長と対談した。

「ゴルバチョフメモリアル 人間の安全保障フォーラム」で対談する佐藤優氏と平岡敬氏
「ゴルバチョフメモリアル 人間の安全保障フォーラム」で対談する佐藤優氏(右)と平岡敬氏(中央)=2024年10月、広島市、副島英樹撮影

佐藤氏が強調したのは、「国家の論理」と「民衆の論理」は違うという点だ。市民の平和運動は、国民や政治家の無意識レベルに働きかけるものだとし、「戦争の時代にこそ、あきらめず地道に活動していくことが大切だ」と述べた。考えが合わない相手との「壁」が厚い場合、「その向こうに心が通じる友だちをつくる」ことが重要だとも語り、1985年のレーガン米大統領との首脳会談で「核戦争に勝者はいない」と宣言し、核軍縮の流れをつくったゴルバチョフ氏を例に挙げた。「相手の心に働きかけて、お互いの心が動いた」と。

アメリカのレーガン大統領(右)とソ連のゴルバチョフ共産党書記長(肩書はいずれも当時)
アメリカのレーガン大統領(右)とソ連のゴルバチョフ共産党書記長(肩書はいずれも当時)=1987年12月、White House via Reuters

さらに、平和運動の当事者は自分たちの活動を過小評価してはならないとし、広島の平和運動にこうエールを送った。「『(子どもたちは)修学旅行の時だけ来て学ぶけれど、あとは忘れてしまう』と無力感があるかもしれないが、それは逆。人生の特別な時に訪れて、原爆体験者から聞いた話は一生心に残るのです」

続く対談では、戦前を知る平岡氏(現在97歳)は「私の遺言のようなものですが、今、戦争反対の声を上げておかなくてはならない」と強調した。この言葉は、元新聞記者として、マスコミの責任への自覚に裏打ちされたものだ。壇上で平岡氏は「私たちの先輩が戦時中、真実の報道ができずに大政翼賛の報道ばかりし、それが国民を塗炭の苦しみに追いやり、沖縄、広島、長崎といった悲劇につながった」と指摘した。ウクライナ戦争の衝撃で好戦的になった日本のメディアや世論も、似たような危うさをはらんでいなかったか。

この「人間の安全保障フォーラム」は、第1回が2024年1月に沖縄で開かれ、第2回が広島で開かれた。底流を貫くテーマは「命こそ宝」だ。フォーラムの最後には、司会を担ったNPO法人「ANT-Hiroshima」の渡部朋子理事長の呼びかけで、「戦争とテロを含むすべての暴力に反対する 核兵器は絶対に使ってはならない」との緊急アピールが採択された。

渡部朋子さん
渡部朋子さん=2024年1月=広島市中区

このフォーラムの6日後の10月11日。広島は日本被団協のノーベル平和賞受賞のニュースに沸くことになる。11月上旬には、前身校から数えて創立150年を迎えた広島大学の記念講演会に、体調不良で来日できなかったエマニュエル・トッド氏に代わって佐藤優氏が登壇し、「国際政治は価値の体系、利益の体系、力の体系で別々に見なければならないが、日本の新聞やテレビ、評論家の話を聞いていると、自由や民主主義といった価値の体系しか見ていない」と指摘。日本が米国と違って軍事へのコミットメントが低い理由の一つには広島の存在があるとし、「平和の重要性というのが教育でなされているところが、私たちの下意識・無意識の部分を作っているのかもしれない」と語った。

さらに、国連事務次長で軍縮担当上級代表の中満泉氏は日本被団協の折り鶴バッジを襟元につけて講演し、「平和な未来をつくるというのは、私たちが手と手を携えていくべき大きな共同作業です」と力を込めた。以来、核戦争への危機感が共有され、平和を求める機運は高まってきたように感じる。

広島大学の記念講演会で話す中満泉氏
広島大学の記念講演会で話す中満泉氏=2024年11月、広島県東広島市、副島英樹撮影

だが、ウクライナ戦争に煽られた熱気の裏で産み落とされたものがある。広島選出の岸田文雄首相時代に決められた防衛費の大幅増額である。この戦争から3年たった今、そのことを私たちは肝に銘じなければならない。と同時に、これまで西側目線で見続けてきた世界を複眼的に見つめる冷静さと戦略的慎重さ、そして、戦争は長引くほど悲惨さが増す故に、「命こそ宝」という原則を堅持することが求められている。