広島で5月19~21日に開催された主要7カ国首脳会議(G7サミット)の期間中、筆者がツイッターに投稿したツイートが「炎上」した。こんな内容だった。
〈当アカウントは、私的な感想を含めて抑制的に発信していますが、それでも「広島ビジョン」の中身は、広島で発する意味がないほど残念な内容だった、とは記しておきたいと思います〉
(当アカウントは、私的な感想を含めて抑制的に発信していますが、それでも「広島ビジョン」の中身は、広島で発する意味がないほど残念な内容だった、とは記しておきたいと思います)
— 武田 肇 / Hajimu Takeda (@hajimaru2) May 20, 2023
広島ビジョンは核廃絶への道筋示せたか 「防衛目的に」維持正当化も:朝日新聞デジタル https://t.co/CnIcV5l3Hf
「広島ビジョン」とは、広島サミットで発出された「核軍縮に関するG7首脳広島ビジョン」。米英仏の核保有3カ国を含めたG7首脳がこぞって平和記念公園を訪問し、原爆死没者慰霊碑に献花した5月19日夜に発表された。
G7が核軍縮をタイトルに関した政治的文書を出したのは初めてで、議長を務めた岸田文雄首相は「歴史的意義を感じる」と誇った。
筆者のアカウントは所属する社名も明示しているため、あえて控え目に表現したが、広島ビジョンを否定的に評価したことは間違いない。これに対して「サミットを失敗という結論に導きたいのか」といった批判が殺到した。
ユーザーに投稿が表示された回数を示す「インプレッション」は3日間で約188万回に達した。「残念」の理由を説明しなかったことが炎上を招いた面があり、反省すべき点があったと考えているが、広島サミットの成否が異例の関心事になっていることを肌で感じる機会となった。そして、1カ月が過ぎた今も、広島サミットとは何だったのか考えている。
筆者は四国の総局でデスクをしており、広島サミットの取材には直接携わっていない。一方で、2006~2008年に広島総局で勤務し、その後も長く原爆・平和報道にかかわり、100人以上の被爆者や戦争体験者を取材した。
岸田首相の外相時代には外務省取材を担当し、岸田氏が首相に就く約1年前に核軍縮をテーマにした単独インタビューを行った。こうした経緯から広島サミットに強い関心を寄せていたことが、所感をツイートした背景だ。
すでに多くの報道が出ているので要約的に記すと、「広島ビジョン」は、広島・長崎への原爆投下後、今日まで77年間核兵器が使用されなかった重要性をうたい、「核戦争に勝者はなく、また、核戦争は決して戦われてはならない」とする2022年1月の核保有国5カ国共同声明を再確認し、冷戦後、世界の核兵器数が減少してきた流れを逆行させてはならないとした。
こうした内容には新味はなく、核軍縮を進めるための具体性にも欠くが、ウクライナで核兵器が使われるリスクが消えない今、G7が一致して発した意義はあるだろう。
問題は、同じ文書で、米英仏が保有する核兵器については特別扱いし、「核兵器は、それが存在する限りにおいて、防衛目的のために役割を果たし、侵略を抑止し、戦争及び威圧を防止すべき」と核兵器を持ち続けることを正当化したことだ。
核保有国とその同盟国で構成されるG7が安全保障を核抑止力に依存する現実があるにしても、被爆地の地名を冠した文書で正当化することは「核兵器は絶対悪」と訴えてきた被爆者や被爆地の思いを踏みにじるものだ。
国連加盟国の半数近い92カ国が署名した核兵器禁止条約に全く触れなかったことにも疑問を感じた。
ただ、こうした文書の発出が予想外だったのかといえば、そうでない。伏線は、岸田首相が広島サミットの源流と位置づける、2016年4月開催のG7広島外相会合にあったと考えている。
筆者は外務省担当記者として7年前のG7広島外相会合を準備段階から取材した。今ふり返っても手に汗握るものだった。
同じ年の5月に開催される伊勢志摩サミットに先立ち、岸田氏の選挙区でもある広島市で外相会合を開くことは10カ月前に決まっていた。だが、米国のケリー国務長官(当時)らG7外相が平和記念公園を訪れるかどうかは直前まで不透明だったからだ。
G7外相が宿泊し、会合の会場となったのは、広島サミットと同じ広島市南区・宇品島にある「グランドプリンスホテル広島」。平和記念資料館や原爆死没者慰霊碑のある平和記念公園から約6キロ離れた広島湾沿いにある。
外務省幹部は直前まで「広島訪問=平和記念公園訪問ではない」と言葉を濁していた。米国では、原爆投下によって戦争が早期に終結し、多くの将兵の命が救われたとする原爆使用正当化論が根強く、ケリー氏の平和記念公園訪問が謝罪の意味と受け取られれば、選挙などに影響を与えかねないことが理由だった。
結果的にはケリー氏を含めたG7外相は、岸田氏の先導で初めて平和記念公園を訪問。原爆死没者慰霊碑に献花し、予定のなかった原爆ドームにも足を運んだ。このケリー氏の「勇気ある」訪問は、1カ月後のオバマ大統領の広島訪問実現に大きな影響を与えたとされる。
岸田氏の熱意が功を奏したことは間違いなく、G7広島外相会合が広島サミットの礎となったという説明は不正確とは言えない。
ただ、G7広島外相会合の「成功」は大きな代償を伴っていた。会合では、今回のサミットの「広島ビジョン」にあたる「核軍縮及び不拡散に関するG7外相広島宣言」が発表されたが、そこには日本政府が従来「唯一の被爆国」の立場から国際会議などで主張していた「核兵器の非人道性」という重要キーワードが欠落していた。
当時、グローバス・サウスと呼ばれる国々を中心に「核兵器の非人道性」を根拠に核兵器を禁止しようという動きが広がり、米英仏は「非人道性」という文言に過敏になっていた。議長国の日本が核保有国も容認できる程度に宣言を骨抜きにした結果だった。
当時の外務省幹部への取材によると、特にフランスが「核兵器の非人道性」という言葉に対して拒否反応が強かったのだという。核兵器の非人道性を認めれば、核兵器を維持し続けることは「博愛主義」の国是と矛盾することになりかねないのだという。
さらに、核の非人道性を強調すると、「核のボタン」を押す為政者が有事でも判断を留保するかもしれないとの印象を広げ、「自国や同盟国が攻撃を受ければ、必ず核で報復する可能性を示すことで攻撃を防ぐ」とする核抑止の信頼性が低下する、といった懸念も考慮されたと聞いた。
広島が「貸し舞台」となるリスク
この話にはおまけがある。日本政府は「広島宣言」に「核の非人道性」を盛らない代わりに、国内向けに、宣言の「human suffering」という英文を「非人間的な苦難」と邦訳して発表した。
翻訳家は「『人的苦痛』と訳すのが適切だ」と指摘し、反核団体は、被爆地の理解を得るため「強引に訳したのではないか」と疑念を向けたが、外務省は「被爆の実相と悲惨さを広く訴える宣言の趣旨を踏まえると訳は適切だ」と強弁した。
当時の日本政府は、それほどまでに被爆者の理解を得ることに腐心していたといえるかもしれない。
1発の爆弾で多数の命と暮らしを奪い、生きのびた人にも放射線被害を及ぼすのが核兵器だ。健康被害に苦しみ、結婚を周囲に反対されるなど差別と偏見に苦しんできた被爆者にとって、「非人道性」のキーワードが消されたのは、受け入れがたいことだった。
広島県原爆被害者団体協議会理事長の佐久間邦彦さんは、当時の取材に「世界の国々は『被爆地からの宣言なのになぜ』と首をひねるだろう。世界的な潮流を後退させてしまう」と語った。長崎の被爆者で元長崎大学長の土山秀夫さん(2017年に92歳で死去)は「核保有国の機嫌をとっているとみられても仕方がない」と危惧を表明した。
当時の被爆者の言葉をふりかえると、今回の「広島ビジョン」への被爆者の批判や憤りと似通っていることに気づく。
被爆者でつくる日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)は、1984年に発表した「原爆被害者の基本要求」で、被爆体験は「人間として『受忍』できるものではない」と表明した。当時、政府が戦後補償問題について打ち立てた「「戦争の犠牲は等しく受忍(我慢)しなければならない」とする「戦争被害受忍論」の考え方に対抗するものだったが、G7広島外相会合の開催によって、被爆者はさらなる「受忍」を強いられたように見えた。
G7広島外相会合の教訓の一つは、日本政府が核抑止に依存する中で被爆地が国際政治・外交の舞台となることは、核保有国や同盟国が結束をアピールする「貸し舞台」となるリスクを伴うということだった。
だが、そうした批判的な視点は、1カ月後に原爆投下当事国の大統領として初めて被爆地に足を踏み入れたオバマ米大統領の広島訪問の興奮にかき消された。
そして7年後に迎えた広島サミット。広島被爆者のひとりで、岸田首相の遠戚でもあるサーロー節子さん(91)=カナダ在住=は、3年半ぶりに訪れた故郷で「(G7首脳が)広島まで来てこれだけしか書けないかと思うと、胸がつぶれそうな思い。死者に対して侮辱。死者に対して大きな罪だった」と述べた。他の被爆者からも批判や失望の声が上がったのは、すでに報道された通りだ。
平均年齢84歳という被爆者の年齢を考えると、広島サミットは、原爆投下の記憶がある被爆者が生存するなかで被爆地が国際政治・外交の舞台になる最後の機会だった。
それだけに、筆者は広島サミットの成否は、G7首脳が被爆地を訪問し、被爆の実相に近づいた意義はあったとしても、それによって被爆者が「受忍」を強いられたことをどう考えるのか含めて評価されるべきだと考える。広島ビジョンがどんな話し合いを経てまとめられたのかも、今後明らかにされる必要があるだろう。
筆者は広島サミットをすべて否定的に見ているわけではない。G7首脳が原爆死没者慰霊碑の前で祈りを捧げる姿が世界に報じられ、芳名録に人間味のある言葉を残したことは、多少なりとも核兵器使用のハードルを高くすることにつながったはずだ。
核不拡散条約(NPT)の枠外で核兵器を持ち続ける招待国インドのモディ首相が平和記念公園を訪れた意味も大きい。とりわけ筆者は2017~2020にソウル特派員をしたことから、岸田首相と尹錫悦大統領が韓国人犠牲者慰霊碑にともに祈りを捧げた場面に、特別な思いを持った。
戦時中、日本が朝鮮半島を植民地支配した歴史を背景に、多数の朝鮮半島出身者が広島、長崎で原爆投下の犠牲になった。国の調査がないために不明だが、その数は数万人とも言われる。
生き残った人の多くは、やけどの後遺症や放射線障害を抱えながら故郷に帰り、韓国は日本以外では原爆被爆者が最も多い国だ。にもかかわらず、韓国内では原爆投下によって解放が早まったという歴史観が強く、韓国人被爆者の存在にはほとんど関心が払われてこなかった。
再び核が使われることはないよう、広島、長崎で何が起きたのかを知ってほしいという願いも、「日本が広島、長崎を強調するのは、自国が加害者であることを忘れさせる『被害者コスプレ』だ」といった声にかき消されがちだった。実際、韓国の主要メディアで被爆者の声はほとんど扱われてこなかった。
それが今回の広島サミットを機に、韓国主要紙も被爆者を取材し、記事にした。筆者も在京の韓国主要紙記者の依頼を受け、在韓被爆者取材の第一人者として知られる元中国新聞記者の平岡敬さん(元広島市長)の取材をとりついだ。
こうした変化によって、韓国社会で、広島、長崎への原爆投下を「自分事」ととらえる人がどれだけ増えたかわからないが、北朝鮮との緊張を背景に核武装論の支持世論が強い中で、被爆の実相が伝わった意味は大きい。
岸田首相も語っているように、広島サミットの真価が試されるのはこれからだ。「核兵器のない世界」に一歩でも近づくために日本、G7がこれから何をするか、核超大国のロシアや中国をどう巻き込むか、「同じ苦しみを誰にも味わわせたくない」と苦しい体験を語ってきた被爆者の願いに応えられるか。私自身を含めて、広島サミットへの関心が一過性で終わることがないよう肝に銘じたい。