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ノーベル平和賞に日本被団協 核兵器のない世界実現へ努力を評価 使用の脅威高まる中

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2023年11月27日に米ニューヨークで開幕した、核兵器禁止条約の第2回締約国会議。日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)の事務局長で被爆者の木戸季市(すえいち)さんも演説し、スクリーンに映し出された=朝日新聞社
2023年11月27日に米ニューヨークで開幕した、核兵器禁止条約の第2回締約国会議。日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)の事務局長で被爆者の木戸季市(すえいち)さんも演説し、スクリーンに映し出された=朝日新聞社

ノルウェーのノーベル委員会は10月11日、今年の平和賞を日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)に授与すると発表した。

授賞式は12月10日にノルウェー・オスロで行われる。日本からの平和賞受賞は1974年の佐藤栄作元首相以来、50年ぶりとなる。

来年2025年は、広島と長崎への原爆投下80年にあたる。

ノルウェー・ノーベル委員会のヨルゲン ・ヴァトネ・フリドネス委員長は、授与理由を「個人的な物語を引き合いに出し、自らの体験に基づく教育キャンペーンを展開し、核兵器の拡散と使用に対する緊急の警告を発することで、世界中で核兵器に対する広範な反対意見を醸成し、強化するのに貢献した」と述べた。

その上で、「ノーベル平和賞を日本被団協に授与することで、身体的苦痛と悲しい記憶にもかかわらず、貴重な経験を平和のための希望と関与を育むために使うことを選んだすべての生存者をたたえたい」とした。

日本被団協は、1945年8月に広島と長崎で原爆被害を受けた被爆者の全国組織で、1956年に長崎市で開かれた第2回原水爆禁止世界大会で結成された。

第2回原水爆禁止世界大会は1956年8月9日、長崎市の長崎東高校体育館で開幕した。参加者は3日間にわたって熱い討論を繰り広げるとともに、大会2日目の10日には、被爆者たちが「人類は私たちの犠牲と苦難をふたたび繰り返してはなりません」と訴え、日本原水爆被害者団体協議会を結成した=1956年8月9日、長崎県長崎市の長崎東高校体育館、朝日新聞社
第2回原水爆禁止世界大会は1956年8月9日、長崎市の長崎東高校体育館で開幕した。参加者は3日間にわたって熱い討論を繰り広げるとともに、大会2日目の10日には、被爆者たちが「人類は私たちの犠牲と苦難をふたたび繰り返してはなりません」と訴え、日本原水爆被害者団体協議会を結成した=1956年8月9日、長崎県長崎市の長崎東高校体育館、朝日新聞社

被爆者の高齢化が進む中でも、若い世代への教育や国際社会への働きかけを通じて、核兵器の非人道性を訴え続けてきた。被団協はこれまでも平和賞に推す動きが出ており、被爆70年の節目だった2015年には平和賞授賞式に被爆者2人が招待されていた。

フリドネス委員長は、受賞者発表後の会見で、「現在、世界中で起きている紛争を見ていると、(核兵器の使用を道徳的に許容できないものとして非難する国際規範)『核のタブー』を擁護すること、核兵器が二度と使われないようにすることが、いかに重要かが分かる。被団協と被爆者はその文脈で非常に重要であり、全ての国が核兵器を使用しないことに責任を持つべきだ」と述べた。

G7広島サミットに向けた岸田文雄首相への要請書を提出し、外務省の担当者の話を聞く日本被団協のメンバー
G7広島サミットに向けた岸田文雄首相への要請書を提出し、外務省の担当者の話を聞く日本被団協のメンバー=2023年4月14日、外務省、朝日新聞社

ロシアによる核兵器使用の脅威が今年の平和賞決定に影響を与えたかについて問われると、「非常に明らかに、核兵器使用の脅威が重要な国際規範である『核のタブー』に圧力を加えている。この脅威がいかに規範を損なっているかは憂慮しており、国際社会全体でこのタブーを守ることが人類すべてにとって非常に重要だ」と述べた。

平和賞の授賞式があったオスロ市庁舎を背に記念撮影する被爆者ら。中央はICANの川崎哲・国際運営委員=2017年12月12日、ノルウェー・オスロ、朝日新聞社
平和賞の授賞式があったオスロ市庁舎を背に記念撮影する被爆者ら。中央はICANの川崎哲・国際運営委員=2017年12月12日、ノルウェー・オスロ、朝日新聞社

核兵器廃絶に関連して、2017年にも核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN、本部スイス・ジュネーブ)が平和賞を授与されている。

フリドネス委員長は今年、歴代最年少の39歳で委員長に就任し、最初の平和賞の選定が注目されていた。

ノーベル委員会によると、2024年の平和賞には計286の個人と団体がノミネートされていたという。