長崎市は「平穏で厳粛な雰囲気の下で式典を円滑に実施したい」(鈴木史朗市長)という理由で、イスラエルの式典への招待を見送った。同様に招待されなかった国には、ウクライナに侵攻したロシアとその同盟国ベラルーシがある。
G6とEUは7月19日付で、イスラエルを招待しないことに懸念を示す書簡を長崎市に送った。英国のロングボトム駐日大使は8月6日、式典への欠席を表明。在日米大使館も同7日、エマニュエル駐日大使の欠席を明らかにした。
エマニュエル大使やロングボトム大使らは同9日、イスラエルのコーヘン大使とともに、東京・増上寺での長崎原爆殉難者追悼会に出席。エマニュエル氏は「私が(長崎での式典に)出席すれば、侵略をしたロシアとイスラエルを同列に扱うことになる。それはできなかった」と語った。
複数の関係者によれば、主要国大使の欠席の動きを主導したのはエマニュエル氏だった。
エマニュエル氏はユダヤ系でもあり、コーヘン氏とも親しい関係だった。イスラム組織ハマスがイスラエルを攻撃した直後の昨年10月、エマニュエル氏はコーヘン氏らとともに東京・渋谷でイスラエルへの支持を訴えた。エマニュエル氏は日本政府に対して繰り返し、長崎市がイスラエルを招待しない場合、自身も出席できなくなるという考えを伝えたという。
こうしたエマニュエル氏の強硬な姿勢に対し、英独仏など他の主要国から強い異論は出なかった。もともと、欧州諸国には「ホロコーストの経験から、イスラエルに歴史的な負い目がある」(関係者の一人)。
さらに、現実的な計算も働いたようだ。別の関係者は「米国が手を引けば、欧州のウクライナ支援は行き詰まる。ましてや、エマニュエル氏は(今秋の米大統領選で)カマラ・ハリス政権が誕生した場合に大統領補佐官になるという予想も出ている実力者だ。言葉は悪いが、長崎市ではなく米国を取ったということだろう」と話す。
かつて在日米国大使館に勤務した経験がある米政府の元外交官は「広島、長崎の式典についてはまず、本国に出席する人間がいるのか打診する。(適任者が)いなければ、大使館の裁量で誰が出席するか決めることになる」と語る。各国大使館も同じ事情とみられ、ますます在日米国大使館が強い影響力を発揮する格好になったようだ。
日本政府もこうしたエマニュエル大使の強硬な姿勢については繰り返し、長崎市の鈴木市長に伝えていたという。実際にG6とEUの大使が式典を欠席する可能性があることも説明した。ただ、長崎市側は日本政府に対しても、警備上の理由だと繰り返すばかりだったという。
長崎大の西田充教授(国際安全保障論)は「世界平和を訴える被爆地として、もっと正面から理由を言うべきだった。例えば、一時的にせよ、核使用に触れたイスラエルの閣僚がいたことや、『自衛権行使のやり方が国際法違反にあたる』などの主張があってもよかった」と語る。
西田教授は「(長崎市が正面から理由を言う場合、)イスラエルも正面から反論してくれれば、そこから対話が始まる。対話の機会が失われて警備の問題に矮小化され、そこに英米が加わって感情的な話になっているように見える」とも指摘する。実際、日本政府関係者の一人は「本来は自治体が決める問題だが、長崎市が本心を明かさないので、調整しようにもできなかった」と語る。
この事態は当然、岸田文雄首相の耳にも入っていた。だが、「式典は長崎市の主催行事」として岸田首相が長崎市と米国との間で仲裁や調整に入ることはなかった。関係者の一人は、岸田首相の真意はわからないとしつつ、「これが、地元の広島だったら、対応が異なっていたかもしれない」とも語る。
来年の被爆80年を前に、米国など、日本が日ごろ、「同盟国」「同志国」と頼みにする各国は自国の国益を優先させた。米国は近年、広島・長崎の被爆者に歩み寄る姿勢を見せているが、原爆投下の理由について「戦争を早期に終結させるため、仕方のない選択だった」という主張は変えていない。「それが国際政治の現実だ」と言ってしまえばそれまでだが、岸田首相は今年4月の米議会での演説で「米国は独りではありません。日本は米国と共にあります」と語ったのではなかったか。日本の世論が常に米国とともにあるよう、岸田首相には努力する義務があったはずだ。