台湾のパンダはなぜ中国に返還されない? 微妙な政治的関係を反映か

台湾の台北市立動物園。日本の植民地時代に、上野、京都、天王寺(大阪)などと並んで開園した。110年を超える歴史を持つ。
台湾で初めて生まれたパンダ、ユワンツァイ(円仔)は11歳。独り身だ。5歳前後で繁殖活動を始めるパンダが多い中では、異例である。
中国政府は国外に貸し出す場合、生まれた子は成熟が近づく2~4歳で中国へ戻す条件をつけている。上野生まれのシャンシャンは、コロナ禍の影響で遅れたものの、5歳で中国へ旅立った。国際自然保護連合によると、パンダは絶滅危惧種の認定から外れたが、その次の段階の危急種リストに入っている。繁殖は最上位の課題だ。
なぜ、台湾のパンダは大人になったのに、台北にとどまっているのだろうか。そもそも相手を探しているのか。
台湾では一部の人が長くパンダを誘致したがっていた。実現したのは、2008年。中国とより近しい国民党が政権を握り、受け入れを決めた。蜜月の象徴としてパンダが贈られた。中国は台湾を「国内」とみなし、貸し出しではなく、香港やマカオと同様にプレゼントした。
一方、台湾は「国内」扱いを嫌って、台湾希少種のシカなどと「交換」したと説明している。輸送にあたっては国際か国内扱いかをあいまいにできる体裁の証明書を発行し、運んだ。
白黒つけない玉虫色の決着。その初代パンダから生まれたのがユワンツァイだ。中台いずれの立場にしても所有権は台北市立動物園にある。送り返す必要はない。とはいえ、繁殖活動に入れないのでは、ただの展示となってしまう。彼女の妹もすでに4歳。父は死に、母も単身だ。
台北市立動物園でパンダ館長を務める陳玉燕(チェン・ユイイエン)さんを訪ねた。「中国と連絡はとりあっている。近親婚にならないよう配慮しながら、最適の相手を探している。(ユワンツァイは)順番待ちをしているところだ」。冷凍精子を大陸から運ぶ方法も検討された。
『中国パンダ外交史』の著者で、中国近現代史に詳しい東京女子大学の家永真幸教授は言う。「パンダを動かすとなると、中国と台湾の間の亀裂が顕在化する可能性がある」。パートナーを探して台湾から中国へ渡るにせよ、パートナーを中国から連れてくるにせよ、中台とも台湾の位置付けについて向き合わざるを得なくなるからだ。
台湾では2016年から中国と距離を置く民進党が政権を握る。中国もかつてより強硬になった。「台湾が国内扱いでパンダを受け取ることはあり得ないが、中国も譲歩できない。そのままにするのは、トラブルを避けるためでもあるのではないか」
台北のパンダ舎の前には、台湾にすむ希少動物のクロクマに対して、かしずくようなパンダの像があった。中に入ると、壁にはクロクマがパンダをよそ者として出迎えて案内するイラストが描かれている。園内にもクロクマの像が点在する。クロクマは2014年から台湾観光局のキャラクターとして本格的に始動。熊本のくまモンにちょっと似たイラストやぬいぐるみを、台湾の空港や地下鉄などで見かける。
陳館長は振りかえる。「パンダが来て早々、台湾社会にはこんな批判もあった。『なぜパンダにばかりお金をかけるのか。台湾の希少動物にももっと関心を持つべきだ』。クロクマへの関心は、パンダに刺激された面もあると言える」
台湾の政治大学選挙研究センターの調査によれば、パンダが来た前年の2007年には自分を「台湾人」と認識する人と「台湾人・中国人両方」と認識する人の割合がいずれも4割強で、拮抗(きっこう)していた。「中国人」も4%いた。ところが、それ以降、「台湾人」との認識がぐんぐん強まり、いまや6割を超えている。台湾人アイデンティティーが強まる過程とクロクマへの関心は足並みをそろえている。
パンダ舎の前で、一眼レフのカメラを携えた熱心なファンに出会った。「パンダはパンダ。政治とは関係ない」。そう、口をそろえる。陳館長も「専門家どうしは当然、動物のことを第一に考えて行動している」。
看板に目がとまった。「そういえば、台湾では『大猫熊』なんですね」。中国語でジャイアントパンダは「大熊猫」。ここでは猫と熊が入れ替わっている。
陳館長は言った。「パンダはネコの種類ではない。クマ科の動物だ。ネコのようにかわいいクマだし、漢字の順で言えば、猫熊が適切。私たちはそう考えている」