パンダを8年早く中国に返還 フィンランドの動物園「政治的な理由ではなく……」

――なぜ、パンダを中国へ返したのですか?
パンダを養うお金を工面できなかった。政治的な理由は全くありません。まずは資金を支援してくれる会社を探しましたが、見つからなかった。
続いて、フィンランド農林省に支援を仰ぎ、最大630万ユーロ(約10億円)を出してくれる話があったのですが、市民から反対の声が上がったのです。フィンランドの行政システムとして、市民は政策決定にあたり意見を言うことができます。政府の支援に対する否定的な報道も続きました。高価なパンダを養うには、町が小さすぎる、とも。反中国というよりも、財政上の批判です。この財政支援があれば、パンダはまだここにいたでしょう。
――中国企業から50万ユーロの寄付を受けましたね。
私たちはパンダの受け入れにあたって、中国側とすばらしい協力ができました。駐フィンランドの中国大使や(資金支援をしてくれた)中国企業には、とても感謝しています。彼らも(パンダを飼い続けるため)私たちが資金を得ることを期待していましたが、かないませんでした。
――パンダのレンタル料に加えてオランダから輸入する竹などの飼育費をあわせると150万ユーロ、豪華なパンダ舎の建設費は800万ユーロと聞きました。そもそもなぜ、パンダは人口約5千人のアフタリ市にやって来たのでしょうか。首都ヘルシンキから約300キロ離れていて、列車で約5時間かかりました。車でも3時間以上かかります。
我々の動物園は1974年に設立され、51年の歴史があります。アフタリ市が所有しており、私も直近は市で財政を担当していました。ここはフィンランド有数の動物園なのです。ヘルシンキ動物園は狭すぎて、パンダのための特別な空間をつくれません。それに、パンダが来た最初の年、2018年は状況が全く違っていました。28万人の見学者を記録しました。
それが2020年、コロナ禍で何カ月も閉鎖を強いられて激減し、2021年以降は20万人を割り込むようになりました。そうこうするうち、2022年にウクライナ戦争が起きて、物価は上がり、燃料費など動物園の費用は増えるし、お客さんたちも旅行や観光にお金を使うことに慎重になりました。予想もしなかったことがあまりにも続きすぎました。
――中国がパンダを貸し出す名目は繁殖研究です。
赤ちゃんが生まれていたら、ちょっと(客足の)状況も違ったかもしれません。コロナ禍で中国政府は外国への渡航を許さず、専門家を呼べなかった。
もちろん彼らからオンラインで意見を聞いたり、パンダの出産経験があるドイツのベルリン動物園から応援が来てくれたりし、人工授精にも取り組みましたが、うまくいきませんでした。
――この巨大なパンダハウス(獣舎)は今後、どうするのですか。
まだ決まっていません。中国の専門家の要請に沿って、湿度や温度をしっかり管理でき、パンダ用の小さな病院もある施設です。パンダと似た大きさのクマのような動物の住まいにするのがよいという意見もありますが、運営資金の調達を含めて検討中です。
――パンダはいつ帰国したのですか?
2024年11月23日です。かわいくて、みんな大好きでした。とても寂しい。私たちは正式な移送時期を事前には公表しませんでした。パンダは注目を集めやすい動物です。国際的に重要なシンボルでもあり、政治にも結びついている。10歳を過ぎた彼らに新たなストレスを与えず、穏やかに安全に旅立ってほしかったからです。
出発前に園内で隔離した最後の1カ月は、静かだったせいか、彼らものびのびしていました。私たちと一緒に濃密な時間を過ごしました。中国機での帰国にあたって我々の飼育員も付き添い、向こうで3日間は一緒にいました。パンダたちには、元気でいてほしいと心から願っています。四川省にいつか会いにいきたいです。