フィンランドがパンダを返還、ウクライナ侵攻が関係?専門家「中国が一番いやなこと」

カチューシャ。中国語でも音を写してそのまま「喀秋莎」と書く。
モスクワ動物園で初めて生まれた赤ちゃんパンダの名前だ。旧ソ連軍のミサイル兵器の通称であり、ロシア民謡で戦地へ赴く恋人を見送る若い女性の名前でもある。日本のパンダに「さくら」や「はなこ」とは名付けない。カチューシャを命名したロシア、すんなり受け入れた中国。両国はやはり、特別な関係かもしれない。
カチューシャは2019年にやって来たつがいの子供だ。ロシアによる侵攻で始まったウクライナ戦争のさなか、2023年8月に生まれた。私が訪ねたのは翌年3月。公開されたばかりだった。少し汚れたような茶色の毛をしていた。長期飼育のパンダの復活は約50年ぶり、旧ソ連崩壊後初めて。習近平国家主席とプーチン大統領が「親友」と呼び合う中ロ蜜月の象徴と言える。
中国が第2次世界大戦後、初めてパンダを贈ったのは旧ソ連。1957年にピンピン(平平)、1959年にはアンアン(安安)と続いた。アンアンは1972年10月、ニクソン米大統領や日本の田中角栄首相の訪中と同じ年に病死。「心残りは冷戦? 失恋?」。そんな見出しで伝える朝日新聞朝刊(1972年10月18日)は、「米中、日中関係の緊密化を象徴するような」死と書く。
プーチン氏は2019年6月、モスクワを訪問中の習氏に対して、こう言った。「(パンダの到着は)ロシアに対する特別な尊敬と信頼の意思を示すものだ。パンダの話をすると、いつも笑顔になってしまう。大いなる敬意と感謝を持って受け取る」。2人は肩を寄せ合ってパンダ舎の前を歩いた。
その約3年後、ロシアはウクライナに侵攻した。プーチン氏の蛮行は、北極開発も目指す習政権が北欧に初めて送ったパンダにも影響を及ぼすことになる。
単線の鉄路を緑のラインの車両がゆっくりと走る。ヘルシンキから北へ330キロ、列車を乗り継いで5時間。フィンランド中部アフタリを2024年12月、1年ぶりに訪ねた。人口5200人。無人駅だ。急がなければ日が暮れる。半年近く続くという冬の日は短い。午後3時には動物園も閉まってしまう。
「パンダハウス閉鎖」。貼り紙があった。北欧初のパンダ、ルミ(雪)とピュリュ(吹雪)はいない。フィンランド語の愛称は捨てた。チンパオパオ(金宝宝)とホワパオ(華豹)に戻り、契約を8年も残して前月末に故郷へ中国機で帰った。ウクライナ戦争に絡んで対ロ制裁に参加していない中国の航空機は、シベリア上空を飛べるので飛行時間が短いのだ。
わずか6年あまりの滞在だった。日本の小学校の体育館の2倍はありそうな巨大なパンダ舎はからっぽだ。サッカー場より大きい遊び場では、よじ登っていたゴムタイヤが寒風に揺れている。自然の地形を生かした静かな林の中にある動物園で、あるじが去った建物だけが異彩を放つ。
「パンダを養うお金の工面ができなかった。政治的な理由は全くない。予想もしなかったことが続きすぎた」。取材に応じた動物園のアーリヤ・バリアポCEO(最高経営責任者)は嘆いた。
コロナ禍で客足がめっきり減った。ウクライナ戦争の影響で物価が上がり、さまざま費用が膨らんだ。市民も生活を守るため財布のひもを締め、客足が伸び悩んだ。パンダを借りる費用やオランダから輸入する竹代など飼育費をあわせると年150万ユーロ。空調がゆきとどいたパンダ舎の建築費は800万ユーロかかっていた。
数年前から政府に支援を仰ぎ、農林相が500万ユーロの支援を提案したが、むだな財政支出として市民から反対の声が上がった。動物園が頼みにしていた提案は却下された。中国大使館が音頭をとって中国企業が50万ユーロを支援してくれたこともあったが、続かなかった。
「赤ちゃんが生まれていたら、ちょっと(客足の)状況も違ったかもしれない」とバリアポCEO。人工授精にも取り組んだが、子宝には恵まれなかった。「かわいくて、みんな大好きだった。寂しい。出発前に園内で隔離した最後の1カ月は、彼らものびのびしていた。元気でいてほしい」。そう言って、涙ぐんだ。
2024年夏に就任したばかりのペルトゥ・ソンニネン市長を市庁舎に訪ねた。中国から贈られたパンダの水墨画が壁に飾ってある。日本各地で相次ぐパンダ誘致について話すと、「人口600万人のフィンランドに比べて日本は人口が多いので一概に言えないが、コストとメリットをしっかりと計算して計画を進めることが大切だ。アフタリには雄大な自然や人なつこい住民たち、たくさんの魅力がある。日本のみなさん、ぜひ遊びに来て下さい」。パンダなき後、市にとって観光振興は大きな課題だ。
習氏がパンダの派遣を伝えたのは2017年4月。国家主席就任後初の北欧訪問だった。フィンランドがロシアから独立して100周年を両首脳は祝った。北極の共同開発に向けて議論し、フィンランドからの木材の輸入増に合意した。翌年、パンダはアフタリに姿を現した。
動物園がパンダの返還を発表した翌月の2024年10月。フィンランドのストゥブ大統領は北京にいた。習氏との会談の内容を伝える双方の発表文には「パンダ」の文字は見当たらない。
だが、ヘルシンキ大学のユイウェン・チェン教授は指摘する。「パンダは首脳会談とともにやって来て、首脳会談の直後に去った。この事実が示すのは、パンダはトップ案件であること。返還は習氏のメンツにかかわる。大国中国との関係悪化を避けたいフィンランド政府は、返還の伝え方を慎重に考えたはずだ」。中国のパンダ外交は、欲しがる国があってこそ成立する。「中国政府が一番いやなのは、パンダはいらないという国が増えることだろう」とチェン教授。
欧州の他の国々と同様、フィンランド政府は中国への経済依存度を下げる方針に転換している。ヘルシンキ大学にあった、中国語を広めるために中国政府が世界で展開する孔子学院も2023年1月、契約終了を待って閉鎖した。フィンランド側の判断だ。
院長を務めていたチェン教授は言う。「ウクライナ戦争でフィンランド社会は大きく変わった」。非同盟を捨て、ロシアの脅威に備えて北大西洋条約機構(NATO)に入り、国際社会を驚かせた。「防衛費は増えている。大学予算も圧迫するほど。限られた財政で何にお金をかけるか。それはパンダではない。ウクライナ侵攻後もロシア側に立つ中国に対して、良くない感情を持つ人もいる。動物園への財政支援を却下した判断を、多くは支持しているはずだ」。市民の間には「フィンランドにすむ希少な動物のホッキョクギツネの保護には年10万ユーロしか使っていないのに」という声もあった。
中国へパンダを返還する動きは、コロナ禍のさなか、カナダが口火を切った。竹を調達できないことを理由に期限前に返した。イギリス・エディンバラ動物園は、契約期限が来た時点で返し、更新しなかった。他の希少動物の保護に力を注ぐ方針に転換している。