羽鳥氏によれば、ウズベキスタンの首都タシケントには、古ぼけた旧ソ連時代のアパートに混じって近代的な高層ビルが次々と建設されている。ケンタッキーフライドチキンやペプシ・コーラなども店を出している。西側のブランドショップが多数入店したショッピングモールもある。2016年に第2代大統領に就任したミルジヨエフ大統領が、外国資本の投資規制を大幅に緩和したおかげだという。
街並みが近代化すると同時に、目立つのが「英雄の置き換え」だ。
タシケント・新市街の中心部にある広場の中央にはアミール・ティムールの像が立つ。1917年のロシア革命後、1991年のウズベキスタン独立までは、ここには、入れ替わり、レーニン、スターリン、マルクスの像があった。ウズベキスタンは国家のアイデンティティーとして、モンゴルのチンギス・ハンに蹂躙された国土を復興し、14世紀に中央から西アジアにかけた大帝国を建設したティムールを国家の英雄として強調している。
シルクロードの古都として栄え、ユネスコ(国連教育科学文化機関)の世界遺産にも登録されたウズベキスタン第2の都市、サマルカンドにも有名なレギスタン広場のほか、ティムールとその一族の霊廟「グーリ・アミール廟」やティムールの妻の名前をつけた「ビビハニム・モスク」などがある。旧ソ連時代にイスラム教が抑圧されていた名残なのか、街中のレストランには、ウズベキスタン産のビールやウォッカ、ワインを楽しむ人々がたくさんいるという。
ウズベキスタンの街並みだけを見ると、旧ソ連・ロシア離れが急速に進んでいるようにも見えるが、「それは早計だ」と、羽鳥氏は語る。
羽鳥氏の知人のウズベキスタン人は「トランプの勝利でいいじゃないか」と語ったそうだ。「トランプ氏はプーチン(ロシア大統領)と仲が良いんだろう。ウクライナの戦争が早く終わった方が、世界の経済にもプラスになる」と話したという。
「ソ連時代も悪くなかった」と語る人も少なくないそうだ。
ソ連時代は政府の悪口は厳禁で、国外にも容易に出られなかったが、教育に力を入れていたし、生活も安定していたのだという。だから、ロシアにそれほど悪い感情は湧かないようだ。現実に、ロシアには現在でも100万人ほどのウズベキスタンの出稼ぎ労働者が働いている。ミルジヨエフ大統領は毎年、10月7日のプーチン大統領の誕生日には、欠かさずロシアを訪れてお祝いしている。
羽鳥氏の別の知人も「米国の大統領選には関心がない。米国にもロシアにも肩入れするつもりはない」と話した。彼の夢はビジネスで成功することだという。米国や日本などが訴える自由民主主義が、必ずしもウズベキスタンの発展につながるとは考えていないようだ。専門家の分析によれば「ウズベキスタンにはまだ、民主主義は早すぎる」と考える人も大勢いるという。
最近の米国の地位低下もこうした考えを後押ししているようだ。
ウズベキスタンはアフガニスタンとも国境を接している。アフガニスタンに住むウズベク人も300万人前後いるとされる。両国の国境には自由経済区(FEZ)の国際商業センターがあり、アフガニスタンの人々が買い物などを楽しんでいるという。
米国のバイデン政権は2021年8月、約20年駐留した米軍をアフガニスタンから完全撤退させた。撤退する米軍機にしがみつくアフガニスタンの人々の映像や写真を見て、衝撃を受けたウズベキスタンの人々も少なくなかったようだ。
「戦後秩序の守り手」としての信頼を失った米国に対し、ウズベキスタンの人々は大きな期待を抱いていない。世界で自由民主主義を唱える国の数は多数派ではない。「米国ともロシアとも距離を置きたい」というウズベキスタンの意見こそが、世界の多数派なのだろう。