二重内陸国、苦渋の国境封鎖
2月末、バンコクから直行便で首都タシケントに向かうウズベキスタン航空のエコノミー席は熱気に満ちていた。6時間半を過ごす機内に皆が飽きてきたころ。乗り合わせた楽団がバイオリンや太鼓を奏で、歌い始めた。独立前の1970~80年代にかけて、ソ連全域で人気を博した同国出身のバンド「ヤッラ」の曲という。マスクはしていない。深夜だけど、誰も文句を言わず、楽しんでいる。ウォッカを回し飲みしている人もいる。乗務員はちらっと見ただけで、注意はしない。「ウズベク人は音楽が生活の一部なんだ」。びっくりしていると、近くのお客から説明された。ウズベキスタンでは新型コロナウイルスの感染者はまだ確認されていなかった時期である。
3月に入ってバンコクに戻る直前に乗ったタクシーの運転手も、日本の大学への留学を目指して東京に滞在して準備を進める息子を心配し、故郷へ戻ってこさせたほうがよいかどうか、悩んでいる様子だった。マスクをしている地元の人は数えるほどだった(特派員メモ タシケント 「コロナ危険」その心は)。
あれから1カ月あまり。人口3300万人のウズベクでも感染者は1700人を越えた。フランスからの帰国者に初めて感染が確認された翌日、3月16日から国際旅客便はチャーター機を除いてすべて運航をとりやめ、陸路も貨物輸送を除いて国境を封鎖した。タシケント市内では、医療や公務、外交ナンバーなど一部の特別な車両を除いて、自動車による移動も制限されている。私が出張中に泊まったホテルも営業を停止している。
ウズベキスタンは、1991年の独立時に初代大統領に就いたカリモフ氏の死去後、2016年から政権を担うミルジヨエフ大統領のもと、為替の自由化など経済の改革と合わせて周辺国との協調や世界からの観光客の誘致などをふくむ開放政策に乗り出した。取材で訪ねたウズベキスタン鉄道公社の入り口にも「私の未来は今日から始まる」「現場の人々は変化を感じなければならない」―。変革を促すミルジヨエフ氏の言葉がウズベク語で飾られていた。新型コロナは、その政策を一時停止に追い込んだ。
現地に駐在する国際機関の幹部は言う。「現時点ではミルジヨエフ政権は改革路線を変更しようとしているようには見えません。ただ新型コロナウイルス禍が長期化し、社会的・経済的不安が深刻化すれば、反改革派にとって反撃の糸口になるであろうことは想像できます」。危機はここでも政治を試している。「もしウズベキスタンが何とかコロナリスクを回避できたとしても、貿易相手国の経済が停滞していたら苦しい状況が続く。日本を含めた経済大国のリスクへの対処を、固唾を飲んで見守っているのではないでしょうか?」
中央アジア4カ国すべてと国境を接し、中央アジアのへそとも呼ばれる同国に対して、日本はODA(政府の途上国援助)を通じて支援してきた。ガス火力発電所や鉄道の電化から人材育成まで、日本の援助額は先進国で首位である。日本語の教育を地道に続けた人もいる。官民ともに良好な関係を維持してきたといえる。
突然の国境封鎖後、現地の日本大使館の強い要請に応じて、ウズベキスタン航空は成田空港まで異例の特別便を飛ばし、日本人の帰国を助けた。新型コロナをともに克服し、両国の交流がよみがえり、より強く結びつくことを祈りながら、3月に現地で取材した鉄路の現況を紹介したい。
地政学を動かした 中国が掘ったトンネル
ソ連時代、国内のすべての道はモスクワを目指した。ウズベキスタンを含む中央アジア諸国にとって、必ずしも独立後の新しい国造りにふさわしいとは言えない道もあった。ウズベクにとって大きな問題だったのは、人口の約3割が暮らす東部フェルガナ地域と首都タシケントを結ぶ鉄路が国内で完結せず、タジキスタンを経由しなければならないルートになっていたことだ。両国は、水資源の問題やタジクの内戦にからんで険悪な関係に陥っていたからだ。
悲願だったタジクを通らないルートが2016年2月末、完成した。難所だった標高2000メートルを越えるカムチック峠にトンネル(19.2キロ)が開通したのだ。建設したのは、中国の国有企業中国中鉄隧道集団(CTG)。中国輸出入銀行(3.5億ドル=約380億円)、世界銀行(1.95億ドル)が融資し、ウズベキスタンも自己資金(10億ドル)を投じた。水がわき出たり岩がちだったり工事の難易度は高かったというが、中国から建機を持ち込み、技術者も動員した。着工から約900日で完成させた。欧米企業は5年はかかると見ていたそうだ。
3月7日早朝。タシケント南駅から、かつてシルクロードの要衝でシルクの産地として知られるマルギランまで向かう。カムチックトンネルを通る路線である。駅の構内には、開通を記念して両国の国旗が飾られたトンネルの写真もあった。ホームで待つウズベキスタン号は、中国国有企業「南車株州電力機車(現中国中車)」が2010年に製造した機関車だ。最高速度は160キロ仕様だが、そこまでのスピードは出さず、約350キロを約5時間かけて走る。1等車が11万スム(約1300円)、2等車が半額ほど。いずれも座席は3列並びでゆったりとしている。この時点でも現地で新型コロナの感染者は確認されてはいなかったが、乗務員の多くはマスクをつけるようになっていた。
峠が近づくと山肌が岩肌に変わっていく。粗削りな赤い土や岩に、雪が白くへばりついている。放牧される牛や黒い羊が歩き、峡谷にも雪が浮かぶ。線路わきの見張り小屋のような建物に迷彩服を着た男性が立つ。車両の中はずっと電話もネットもつながっている。
出発して2時間ほど過ぎたころ、トンネルにびゅんっと入った。4秒おきに暗闇をオレンジのライトが流れていく。新しく敷かれた軌道だからだろうか。ほかの区間よりも滑るように走る。トンネルは約15分で走り抜けた。その後も2本、短いトンネルを通った。また迷彩服の男性が立っているのが見える。しばらくすると標高は下がり、なにか穀物を植えた畑が見えてきた。
あれ、おかしい。カーテンを開けたままトンネルを通り過ぎた。
このトンネルには「伝説」があった。トンネルの中を走るとき、外が見えないように乗務員がカーテンを閉めて回るというものだ。トンネルそのものが「軍事機密」と推測されていた。エコノミストの藻谷浩介さんが1年前の19年3月に旅したルポ(毎日新聞電子版2019年12月2日)を拝読したが、その時もカーテンを閉めに来たことが紹介されている。往路は乗務員が忘れたかさぼったのかもしれないと思い、復路はさらに注目してトンネルを待った。近くのカーテンをいくつも、わざと上まで開けておいた。
乗務員はやはり気にしていない。手持ちぶさたそうにおしゃべりしている。英語が話せる乗務員に質問してみた。「カーテンは閉めないのですか」。笑って教えてくれた。「開けたままです。とくに問題はありませんから」。「軍事機密ではなかったのですか。なぜ閉めていたのですか」「トンネルの中が汚いからですよ。軍事秘密ではありません。旅行者の方々から同じ質問があいついだので、乗客の皆様の中でカーテンを閉めたい方は閉め、開けたい方は開けてもらうことに変わったのです。リーダーが最近、判断しました」
ウズベキスタン事情に詳しい日本のビジネスマンは「この判断ができるのは大統領しかいないでしょう」と話していた。「カーテン自由化」も、開放政策を進めるミルジヨエフ政権の方針なのだろうか。カーテンを閉めていた本当の理由が乗務員が説明した通りかどうかは、さらに取材が必要だ。ただ、確かにトンネルの中は暗闇。目をこらして見ても私には何があるか、よくわからなかった。
中国の習近平政権が掲げる巨大経済圏構想「一帯一路」を体現するようなトンネルではあるが、この工事は胡錦濤前政権時代に前カリモフ政権から受注したものである。中国語を普及するために中国が展開する孔子学院も2004年、世界で初めて契約を結んだ相手がウズベキスタンだった。09年には中国が投資してトルクメニスタンからウズベキスタン、カザフスタンを経由して天然ガスを中国へ運ぶパイプラインも完成し、12年からはウズベクからも天然ガスを輸出している。13年には自由経済特区も設け、ZTEなど携帯電話や陶器、飼料などの中国企業が進出している。成長を支える資源・エネルギーの確保と近隣のイスラム圏との関係安定を狙って、胡政権時代から中央アジア外交を積極化させていた。
スターリンによる強制移住にルーツを持つ朝鮮系民族が定着しているほか、独立後は、自動車産業などで根を張る韓国の民間企業の存在感はなお強いものの、今や貿易相手としても中国はロシアを抜いて首位。ODAによる援助を中心とした結びつきの日本とも異なる経済関係を結んでいる。
中国の外交トップ楊潔篪・共産党政治局員は3月2日、タシケントを訪問し、ミルジヨエフ大統領とも会談した。この時点では、新型コロナウイルスに苦しむ中国に対するウズベキスタンからのマスク、防護服、使い捨て手袋などの医療物資の支援に楊氏がお礼を述べていた。その後、情勢が一転。新型コロナ禍がウズベキスタンに拡大するなか、「コロナ外交」を展開する中国から3月末になると医療物資が届けられ、江西省から医療関係者が派遣された。外交日程も流動的とはいえ、20年中に習近平氏の訪問が計画されている。
中ロ、線路幅でさやあて 国際鉄道
経済力を駆使してウズベキスタンなど中央アジアとの外交を積極的に進める中国だが、中国からキルギスを通ってウズベキスタンへとつながる鉄道(全長523キロ)の敷設は、実現のめどがたっていない。25年前から計画があり、「一帯一路」を掲げる中国にとっては戦略性が増す欧州へ抜ける鉄路ながら、進展していない。ウズベクやキルギスの財政事情による費用負担の問題だけではない。中国誌「国際政治研究」(2019年第6期 李典易、陳勇)で指摘されているように、線路の幅の問題が合意できないのだ。
主にソ連時代に鉄道が整備された中央アジアは、軌道の幅がロシア式の1520ミリ(広軌)である。中国は新線については自国と同じ1435ミリ(標準軌)で建設を進めたがっているが、キルギス、ウズベク両国から同意が得られていない。「国際政治研究」も安全保障に触れる問題として「この線路は建設できないと確信している」と話すロシアの専門家の発言を紹介している。中国と同じ線路の幅で建設すれば、有事に中国軍の動きを利するからだという。線路の幅そのものを越えて、中央アジアに対する影響力を競い合う象徴的な意味合いもあるだろう。
私が現地で取材したウズベキスタン鉄道公社の関係者も「中国と国境を接するキルギスが交渉をしているが、中国幅の鉄路を中央アジアに敷くことをロシアが嫌っている、と広く言われている」と間接的な表現ながらロシアの影響力を認めた。独立以降、中国との関係を強める中央アジアではあるが、ロシアとの関係は依然として強く、幅も広い。19世紀半ばに帝国ロシアの領土となり、90年代初めに独立するまでソ連の一部だった。ロシア語は今でも使われ、インフラの基盤もソ連が造った。タシケントの地下鉄はソ連時代の70年代に敷かれたものだ。
とりわけ国境を接するキルギスの場合、対外債務の4割を依存するようになった中国への反発も出ている。「一帯一路」で投資は増えても雇用をそれほど増やしていないことや、中国人男性がキルギスの女性を「買って」連れて行くこと、さらに中国企業の労働や環境条件など様々な側面へ批判がでている。デモにつながる案件もあった。中国への反動で、むしろロシアへの期待が増す傾向にあるという。
さらに中国政府による新疆ウイグル自治区のイスラム教徒の少数民族に対する弾圧は、イスラム教徒を多く抱える中央アジア諸国にとって複雑な問題となっている。ウズベクから中国へ留学経験がある若者は「中国と将来ビジネスをしようと考えているので、中国ではウイグル人とのつきあいは避けた。大学の構内ですれ違うことすら警戒した。中国当局から目をつけられると困るから」と打ち明ける。50年代に新疆ウイグル自治区から親戚がウズベクに移り住んだという青年も「親戚がまだ新疆にいるが、電話なども盗聴されているだろうから心配だけど連絡はとれない」と話す。中国との間には、お金では解決できない深い溝がある。
ウズベキスタンも中国から資金や技術は引き出したいが、過剰な依存は避けたい。南部を接するアフガニスタンとの関係を安定させるため、米国ともうまくやりたい。米国や欧州、日本などとの関係を含めて、できるだけバランス良くつきあっていきたいと考えている。
タシケントで取材したウズベキスタン鉄道公社の車両部門を率いるジェラエフさんによると、中国はここ数年、年3~4回ほど中国に公社の職員を招き、自国の高速鉄道技術などを紹介し、研修しているという。「日本にもぜひ行って先進的な技術を学びたい」と話していた。鉄道に限らず、日本の民間企業の投資を期待する声も強い。米国に対抗して戦略的な影響力を競い合う中国やロシアとは異なる立場から、ウズベキスタンの人々と関係を紡いでいきたい。