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全ロシア博覧センターは旧ソ連の国際関係の縮図

迷宮ロシアをさまよう
全ロシア博覧センターの「諸民族友好の噴水」。ソ連を構成する諸民族の友好を表現するため、1951~1954年に建設された(撮影:服部倫卓、以下同様)

「全ロシア博覧センター」とは

2025年の万博は、大阪に決まりましたね。筆者は、前回(1970年)の大阪万博の時は幼稚園児でしたが、家族で万博を見に行った思い出はうっすらと残っています。

1970年の大阪万博の跡地は、万博記念公園として、総合的なリクリエーション施設になっています。実は、それと同じような雰囲気の場所が、ロシアのモスクワにあります。それが、「全ロシア博覧センター」であり、社会主義のソ連時代には「ソ連邦国民経済成果展示場(VDNKh)」と呼ばれていました。

万博というのは、世界各国が一定期間に一つの会場に集い、自国の経済力や技術力をアピールし合うイベントです。それに対し、ソ連時代のVDNKhは、「終わりなき一国博覧会」というか、ソ連という国が延々と自国の経済発展を誇示し続ける舞台でした。

ただし、そんなVDNKhにも、かつては一定の多様性がありました。ソ連邦は、建前上は、一連の民族共和国が自発的に結集したものであるとされていたわけですが、VDNKhがオープンした1939年から1963年までは、各共和国のパビリオンが設置されていたのです。「アゼルバイジャン館」、「グルジア館」といったものが常設されていたわけですね。しかし、どういう事情があったのか、1963年に各共和国のパビリオンは廃止され、テーマ別のパビリオンに取って代わられました(アルメニア館は保健館に、カザフ館は冶金館に、といった具合)。

かつてのウクライナ館は、1963年に、第二次大戦の戦勝とソ連農業の成果を讃えるパビリオンに姿を変えた

国ごとに対応が分かれる

1991年にソ連邦が分裂し、新生ロシアの時代になると、VDNKhは正式名称を「全ロシア博覧センター」へと変えましたが(VDNKhという略称はその後も用いられている)、社会主義による進歩と発展という題目を失い、しばらく荒廃した状態が続きました。2000年代に入ると、ロシアの政治・経済もだいぶ落ち着き、全ロシア博覧センターの立て直しが課題となります。その方策の一つとして、かつて存在した旧ソ連の各共和国のパビリオンを、復活させるという案が浮上しました。

しかし、いまや独立国となった旧ソ連各国による対応は、バラバラでした。「共和国のパビリオンを復活させよう」というロシア側の呼びかけに応じたのは、ベラルーシ、カザフスタン、キルギス、アルメニア。この顔触れを見ると、一般に「親ロシア」と見なされている国々であり、実際これらの国々は2015年にロシアの主導で発足した「ユーラシア経済連合」にも加盟しています。それに対しウクライナやウズベキスタンのような、ロシアと距離を置こうとする国は、パビリオン再興を拒絶しました。

ロシアの申し出に応じた国には、2010年前後にパビリオンが引き渡されました。かくして、今日の全ロシア博覧センターには、すでに一部の国のパビリオンが復活しています。そのありようは、各国の国情を良く表しているので、以下で個別に見ていくことにしましょう。

アルメニア館の内部。アルメニア料理を楽しめ、有名なブランデー「アララト」も常備されている

一番スマートなのはアルメニア

現時点で、全ロシア博覧センターにおける自国パビリオンを、最もスマートに活用しているのは、アルメニアでしょう。上掲の写真がその内部の様子ですが、民族料理店、物産店、アルメニア旅行の代理店、アルメニア書店、民族楽器の展示などが見られ、ロシア国民向けにアルメニアを発信するアンテナショップとしては百点満点という気がします。

アルメニア人は、独自の伝統的な文化を有し、知的に洗練され、また国際的なロビー活動にも秀でた民族です。全ロシア博覧センターのアルメニア館を見ていると、いかにもアルメニアらしい上手いやり方だなと感じます。

ベラルーシ館の内部はスーパーマーケットさながら

商魂爆発!ベラルーシ館

一方、ベラルーシはロシアと同じ東スラブ系の民族ということもあり、食生活も含めて、文化はロシアとほぼ共通しています。また、小国のベラルーシは、大市場のロシアに自国商品を販売することを、生業としています。全ロシア博覧センターにおけるベラルーシ館は、同国のそうした立ち位置を反映して、ベラルーシ製品の販売所になっています。一般のモスクワ市民が普通に買い物をしており、何の変哲もない百貨店といった印象です。ロシアの街を歩くと、「ベラルーシ商品」と掲げた商店や露店に出くわすことが多いのですが、全ロシア博覧センターのベラルーシ館は、その総本山みたいな感じです。

売られているのは、食料品、衣類、家庭用品、化粧品、玩具など。アルメニアのようにエキゾチックさを売りにするのではなく、コスパで勝負。ちなみに、全ロシア博覧センター内では、「第18パビリオンを訪れて、ベラルーシ製品をぜひお買い求めください」というアナウンスが繰り返し流されています。

ベラルーシのこういう商魂、私は嫌いじゃありません。「国民経済成果展示」というVDNKh精神を、最も実利的な形で継承しているのが、ベラルーシと言えるのではないでしょうか。

キルギス館の改修工事に当たるキルギス人労働者

キルギス館を出稼ぎキルギス人が建設する悲哀

中央アジアの小国キルギスは、やはり2010年に全ロシア博覧センターの旧キルギス館を譲渡されましたが、資金不足ゆえか、キルギス館の改修工事は遅れているようです。

本年10月、キルギス館の前を歩いていると、明らかにロシア人とは違うアジア系の顔立ちの労働者が建設作業に当たっていました。話しかけてみると、「このパビリオンは現在工事中で、もうすぐオープンする。僕らは、キルギスから来て、ここで働いているんだ」という話でした。

かつてのソ連という国は、民族の平等や、すべての共和国の均衡ある発展を標榜し、VDNKhもそれを誇示するための施設だった面があります。しかし、ソ連は結局、国内の経済的な格差を解消できませんでした。ソ連が崩壊すると、中央アジア諸国、特に石油・ガス資源を持たざる国の低開発、貧困の問題が表面化します。2000年代に入り、ロシアが経済成長を遂げると、中央アジアのウズベキスタン、キルギス、タジキスタンから大量の出稼ぎ労働者が流入し、建設や清掃といったいわゆる3Kの仕事は彼らによって担われるようになりました。

時代は移ろい、全ロシア博覧センターには再び、ユーラシア経済連合加盟諸国のパビリオンが出現し、ロシアと同諸国との友好関係を演出するために利用されようとしています。その一画を占めるキルギス館を、出稼ぎキルギス人が建設するとは、何とも皮肉な現象です。