9月10日に行われた日ロ首脳会談は、通算22回目となる安倍首相とプーチン大統領の会談であり、2人だけのテタテ(tête-à-tête)に加え、少人数会合、拡大会合と通常通りの組み合わせで両者の親密な関係を演出しつつ、これまで事務方が積み上げてきた、様々な経済協力プロジェクトの進捗を確認し、新たに5つのプロジェクトのロードマップに合意し、11-12月に日ロ首脳会談を開催することが合意された。安倍政権の悲願であり、長年の懸案である北方領土問題については大きな進展はなく、経済協力の拡大から領土を巡る交渉に入り、平和条約の締結へと向かって行くという日本政府の方針も大きく変わることはなかった。
突然の提案
ところが、9月12日に行われた東方経済フォーラムの公開討論の場で、安倍首相は北方領土を巡る問題が日ロ両国だけでなく、極東アジア地域の障害になっていると訴え、プーチン大統領に「もう一度ここで、たくさんの聴衆を証人として、私たちの意思を確かめ合おうではありませんか。今やらないで、いつやるのか、我々がやらないで、他の誰がやるのか、と問いながら、歩んでいきましょう」とかなり踏み込んだ呼びかけを行った。これは安倍首相が9月の総裁選に出馬しており、そこで勝利すれば2021年まで首相で居続ける可能性があることを想定に入れて考えると、2021年までに領土問題を解決しようという呼びかけにも聞こえるような言い回しである。
この安倍首相のスピーチに反応する形で、討論の場でいきなりプーチン大統領は「今、思いついた」「あらゆる前提条件をつけず、年末までに平和条約を結ぼう」「争いのある問題はそのあとで、条約をふまえて解決しようじゃないか」と突然の提案を行った。しかも「ジョークではない」とわざわざ断りを入れて、真剣な提案であるということを付け加えた。余りにも突然のことであったため、安倍首相はその場で間髪入れずに反応することが出来ず、菅官房長官が「10日の日ロ首脳会談では、こうした発言はなかった」とコメントした上で「北方四島の帰属の問題を解決したうえで平和条約を締結する政府の方針に変わりはない」と記者会見で述べる結果となった。
首脳会談は筋書きだらけ
この出来事は、従来の首脳会談では見られない、首脳の「瞬発力」が試される出来事であった。通常は事務方の綿密な積み上げによる事前調整の結果としての首脳会談というスタイルが一般的であり、こうした「瞬発力」を試されることは滅多にない。首脳が会うときは通常筋書きだらけなのである。
かつて1975年に先進工業国によるサミット(当初はG5、現在のG7サミット)は、首脳同士がフランクにリラックスした環境で世界が直面する問題を話し合うというスタイルで始まったが、その重要性が高まるにつれ、シェルパ(登山案内人)と呼ばれる事務方の事前協議が設定され、サミットの共同声明は事務方が用意した文面を最後に首脳同士で詰めるというスタイルになっていった。2018年に行われたカナダのシャルルボワ・サミットでは座っているトランプ大統領に詰め寄るかのようなメルケル首相の写真が出回ったが、これもその文言の詰めをやっているシーンであった。
また、筋書きがない首脳会談としてはダボス会議も挙げられるだろう。これは世界経済フォーラムという私的な主体が主催し、各国首脳や企業経営者、有識者などがスイスのスキーリゾートであるダボスに集まり、立場を越えて個人の資格で話し合うというものであるが、このダボス会議も制度化、形式化が進み、首脳が公開の場で話をするのは用意された演説原稿を読み上げるスタイルとなっている。
直感で動く国際政治
しかし、プーチン大統領のように、筋書きにない提案を公開の場で行うようになったのは極めて最近の傾向と言える。その傾向を作ったのは紛れもなくトランプ大統領であろう。大統領自身がツイッターで事務方が用意した政策などを一切無視し、公開の場で自らの直感で、事実関係も気にせずどんどんつぶやくスタイルは、首脳外交のあり方にも影響している。事務方が書いた演説原稿や共同声明案などとは関係なく、自らが思うところ、直感の命ずるまま交渉を進め、そのスタイルが二国間交渉やサミットでのやり取りなどを通じて、各国に伝播しているのではないだろうか。
もちろん、冷徹な計算で知られるプーチン大統領が全くの直感だけで、「今思いついたのだが」と言うはずはなく、これまで暖めてきた腹案である可能性は高い。しかし、それを「思いつき」のように見せかけ、公開の場で働きかけることで安倍首相を追い詰め、日本がその提案を受け入れればロシアは平和条約を手にして領土交渉を永遠に長引かせることが出来るし、受け入れなければ「建設的な提案を拒否した」と国際的に非難することが出来る、という状態を作ったのである。こうした状況を「トランプ流」の直感スタイルを援用して作り出すプーチン大統領はやはりただ者ではない。
この一件が示唆するのは、今後の外交交渉は伝統的な事務方による積み上げ方式だけでなく、「トランプ流」のスタイルも選択肢としてあり得るということを念頭に置いて交渉しなければならない、ということである。とりわけ北方領土問題のように長年硬直した状態にある議題は、しばしばこうした「荒療治」が効果を生み出す可能性がある。そのためにも交渉に臨む首脳には「瞬発力」が求められるようになり、またこうした「思いつき」や「直感」を上手く使いこなすことが重要になってくる。果たして日本の政治家に、この新しいスタイルを理解し、それを自家薬籠中のものに出来る人物がいるかどうか。自民党の総裁選を前にして、こういう資質を一つの判断基準に見てみるのも面白いかもしれない。