上院選に立候補できるのは、2500バーツ(約1万1000円)を支払った40歳以上の国民。上院を「実務者の集団」とするという名目で、政党員の立候補は禁じられた。候補者は教育関係、農家、観光業、NGO、メディアなど20の「業種」に分かれて、郡、県、国の3段階で互選を繰り返し、人数を絞り込んでいく。
第1段階の郡レベルの選挙は全国900以上の地区で6月9日に行われた。バンコク市内の会場では、午前9時に100人弱の候補者が集まり、業種ごとに車座になった。候補者たちはまず、同じ業種内で1人2票を投じる。うち1票は自分に投票してもよい。次に、くじ引きで割り当てられた自分と異なる4業種の中から1人ずつに投票。最終的に得票数に応じて各業種から3人が勝ち抜け、県レベルに進む。
談笑するグループもあるが、押し黙った集団も多い。互いに選び合わなければならないのに、相手のことをよく知らないからだ。教育関係の業種から立候補した女性(55)は「投票前に同じ業種の人と少し話はできたけれど、お互い面識がないので、事前に配られていた候補者の経歴書で誰に投票するか決めた」と話す。
分厚い候補者経歴書 公約は記載なし
全員分の経歴書がとじられた冊子は昔の電話帳ほどの厚さだが、1人分は1ページのみ。写真と名前、住所、年齢のほかは学歴と職歴が記されているだけで、公約めいたものは書かない決まりだという。
選挙管理委員会によると、最初の郡レベルの選考には4万6000人余りが参加。このうち2万3000人余りが県レベルの選挙に進み、勝ち残った約3000人が6月26日の全国レベルの最終段階に進出。最終的に200人の上院議員が決まった。
あまりに複雑な制度が導入された背景には、タイの政治抗争の歴史がある。
様々な権限を持つ上院
タイは国王を頂点に軍、大資本家などが連なる支配層の利益を守ろうとする親軍保守派と、大衆の人気を背景にした改革派のせめぎ合いが続き、直接投票で決まる下院は選挙のたびに改革派が勝利する傾向が強まっていた。上院は長い間、国王の任命だったが、民主化の流れの中で2000年には直接選挙に移行した。この時も政党員の参加は禁じられたが、実際には政党系が当選者の多数を占めた。
上院には様々な権限がある。改革派政党を何度も解党に追い込み「支配層の防波堤」と呼ばれる憲法裁判所の裁判官を選任するほか、憲法改正案への投票権も持つ。選挙に弱い保守派には、何としても改革派に渡したくない事情がある。
改革派政権を2014年のクーデターで倒した軍事政権が2018年、民政移管の前に編み出したのが今回の選挙方法だった。くじ引きを交えて互選を繰り返す複雑な方法で、政党による組織的な動きが封じられるとみられていた。
しかし、結果は想定とかけ離れたものになった。最終段階の投票が終わると、地元メディアは「圧勝した政党」の存在を一斉に報じ始めた。
名指しされたのは「名誉党」だ。タイ東部に地盤を置く連立与党の一角で、イデオロギー的には中道右派だったが、近年は保守派寄りの姿勢を強めている。下院では第3党で、直近の世論調査で支持率は5番手の3.55%にとどまる。
選挙後、上院の議長と2人の副議長はいずれも名誉党系が独占。専門家は議員らの投票行動から、全議席の4分の3以上に当たる150~160議席を名誉党系が占めたとみている。
おそろいのTシャツで仲間を識別?
中小政党がなぜ圧勝できたのか。プラジャディポック王研究所部長のスティトン・タナニティチョット氏は、①政党の仲間を識別するため上着の下に黄色いTシャツを着ていた、②20の業種すべてで何番の候補者に投票するか紙に書いて指示していた、などと分析。「他党も身内を当選させようとしたが、名誉党のやり方が徹底していた」とみる。
グレーな勝利にみえるが、選管や憲法裁が選挙結果を問題視する気配はない。「選挙で退潮傾向の親軍保守派にとって、保守化を強めている名誉党が上院を握ったことは悪い話ではない」とスティトン氏は指摘する。政党排除はできなかったが、気に入らない政党は排除できたということだ。
強大な力を手にした名誉党だが、「わが党は上院と無関係」と言い張り続けている。関係を認めれば、選挙違反に問われかねないためとみられる。