2024年9月のある午後のこと、米ニュージャージー州にある広さ約6500平方メートルの工場では、蒸気を使用して、大量の迷彩柄の野球帽のつばをやわらかな曲線に折り曲げていた。そのように加工することで、帽子を箱詰めして全米に出荷できるのである。
いつもはその日の帽子の生産数を示している大型デジタル表示板は、スイッチが切られていた。ここでつくっているのは米民主党の大統領候補カマラ・ハリスと副大統領候補ティム・ウォルズの公式の選挙運動用の帽子なのだが、あまりにも猛スピードで生産されるため、数の計測は不可能だった。
工場の天井からはバッグや帽子のサンプルや様々な柄の素材がぶら下がっていて、迷路のようだ。ここを運営する「ユニオンウェア」社長のミッチ・カーン(57)は、「こんな売り上げの急増は見たことがない」と言った。
カーンは帽子の人気に驚いていた。ハリスが2024年8月にミネソタ州知事のウォルズを副大統領候補として発表すると、数日間で選挙運動用の帽子は5万個以上も売れた。しかし、カーンはまったく不意を突かれたというわけでもなかった。
ユニオンウェアは約30年にわたって民主・共和両党の大統領選挙用の帽子を商品化してきた。2008年には、共和党のマケインと民主党のオバマの両候補の帽子をつくり、2016年には共和党の候補トランプが最初のMAGA(訳注=トランプ陣営の大統領選スローガン“Make America Great Again”の頭文字)帽子を導入したときにも商品を納めた。
あの間違いようもない赤い帽子を、同社は今でも、第三者グループから受注している(今日では希少品とみなされているため、2015年ごろにつくられたユニオンウェア製のMAGA帽子はネットオークションで2千ドルの値が付いている)。
ユニオンウェアが選挙用の帽子を作り始めたのは、1996年のビル・クリントンの選挙運動のときだった。しかし、カーンによれば、2000年の民主党候補アル・ゴアの選挙運動で主力商品となり、さらには作っているメーカーとして注目されるようになったという。
選挙の陣営が好むもののひとつに、「メイド・イン・USA」(米国製)のタグがある。過去数十年で、消費者も生産者もますますこのラベルにこだわるようになった。
そういうわけで、自動車大手のフォードやビール大手のバドワイザー、さらには米陸軍や米沿岸警備隊などが、自分たちの製品をこのニュージャージー州の工場で作らせるようになった(過去には、ラルフローレンやアイゾッド、シュプリームなどのファッションブランドも同社の顧客だった)。
ハリス・ウォルズ陣営の選挙運動用帽子には、サイズ調整用のアジャスターに米国旗が目立つように付いている。選挙用のネットショップでは、製品の説明に「米国製、労働組合加盟社製」と書いてある。現時点では入荷待ちの状態だ。
選挙運動用の製品を海外でつくることを禁じる法律はない。しかし、カーンいわく、「候補者がメイド・イン・USAでない製品を購入したら、それは必ずニュースになる」。
ニュージャージー州生まれのカーンは、寄り道をして帽子づくりの仕事にたどりついた。金融関係で仕事をしようと名門のビジネススクール、ウォートンスクールで学んだのだが、ニューヨーク・ウォール街の職に就くとわずか2年で仕事をやめたくなった。
ジャージーシティー(訳注=ニュージャージー州第2の都市で、ハドソン川をはさんでニューヨーク・マンハッタンの対岸に位置する)にある組合経営の帽子メーカーが倒産し、工場を売りに出しているというニュースに接すると、興味がわいた。組合経営は維持したいと思っていたので、ためらうことはなかった。
「初日から組合に任せた。そうするつもりだった」とカーンは振り返る。「私自身は、帽子の作り方すら知らなかった。従業員たちは心得ていた。いま工場を歩いてみればわかる。あれこれ指図しなくても、工場は動いている。蓄積したたくさんのノウハウがあるからね」
カーンが会社を買い取ったのは1992年だが、そのとき6人しかいなかった従業員はいまや165人に増え、ニューアーク(訳注=ニュージャージー州最大の都市で、ジャージーシティーに隣接する)にある住宅街と野球場に囲まれた大きな工場に移った。
大統領選の年に備えて、カーンは165人の従業員全員が帽子の生産に慣れていることを確認し、選挙による受注の急増を考慮して他の契約を調整した。しかし、当初は2024年選挙の注文は多くなかった。
「大統領ジョー・バイデン(訳注=当初、再選を目指していた)の帽子の注文は実質的にゼロだった」
しかし、ハリスが民主党の大統領候補に決まり、ウォルズが副大統領候補に指名されると、選挙運動が熱を持ち始めた。お決まりの帽子の需要が高まり、ユニオンウェアの製造は急増した。
工場では通常は1日に2500個、最大でもおよそ4千個の帽子を作っている。しかし、カーンによれば最近は、ハリス・ウォルズ陣営の帽子が1日およそ5千個つくられている。
その理由の一端は、時代を超えて人気のある野球帽が特に今、流行の真っただ中にあるということだ。ファッションに関連するオンライン・ジャーナリストのハーリング・ロス・アントンは、「商品の継続的なトレンド化の結果である」と言う。
シンプルな野球帽がここ最近のいくつかの流行の中心になっている。たとえば、「クワイエット・ラグジュアリー」(訳注=控えめな品格をアピールする)とか、ファッションショーのニューヨーク・コレクションで男性モデルが一斉にシュレッディド・キャップ(訳注=生地がほつれたデザインの帽子)をかぶった場合などがそうだ。
ロス・アントンは、バリーの2024年春コレクションのような最近のファッションショーも例に挙げた。そこではモデルたちが、スカート、シルクのブラウス、スラックス、トレンチコートと合わせて、ソフトなダッド・ハット(訳注=オヤジがかぶるような野球帽)をかぶっていた。
ロス・アントンは、「良いグッズというのはまれだ。どんな商品だって、ブランドと関係なしにデザインの観点で自立できているかが大事なのだ」と言う。
その点では、ハリス・ウォルズ陣営の選挙用帽子が迷彩柄なのも大人気の理由だろう。写実的な迷彩柄が都市部のおしゃれな地域でどんどん人気を集め、地方でも根強い人気を保っている。
野球帽タイプの帽子が、今も昔もこれだけ人気があるのは、何にでも使えるからだ。地位、センス、政治信条、連帯、ブランドの好みを示すこともできるし、単に自分がどのチームを応援しているかを示すこともできる。野球帽は通常、これらのたくさんの意味を同時に発信している。自分の立ち位置を世間に示すシンプルで安価な衣装なのだ。
午後1時ごろになると、ユニオンウェアでは従業員が休憩室から仕事に戻り、縫製、刺繡(ししゅう)、穴あけ用その他の機械を動かし、野球帽の23のパーツを生産する。
作業は生地ロールが高く積み上げられた裁断室から始まる。布はコンピューター制御の機械によって裁断されていく。さらに帽子の各部分が縫い合わされていく。無地の野球帽を購入して刺繡を施すのでなく、この工場ではまずそれぞれのパーツに刺繡を施し、そのあとに縫い合わせる。大きな機械が一度に12個以上のパーツを縫製できるのだ。
機械がぶんぶんうなっている中で、カーンは大統領選と自社でつくる帽子との相関関係について考えをめぐらせた。科学的な根拠はまったくないのだが、長年の間に気づいたことがある。2008年以来、大統領選での帽子の発注数がその年の当選者を当ててきたのだという。
カーンいわく、2016年のヒラリー・クリントン陣営の帽子はあまり売れなかった。「帽子が全然売れないというのは興味深い現象だった。ヒラリーが勝つという予想と、帽子が売れない現実の折り合いをつけようと思ったのだが……」(訳注=この年はMAGA帽子が売れたトランプが当選した)(抄訳、敬称略)
(Charles W. McFarlane)©2024 The New York Times
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