チリ北部には毎年、全地形対応のオートバイや四輪バイク、四輪駆動車、バギーを運転する何百人ものレーサーが世界中から集まる。レースの車両はアタカマ砂漠をめぐる数百マイルの走路を周回し、地球上で最も乾いている場所の一つとされる地表に、タイヤ痕を刻み込む。
南米の古代先住民たちは、かつてアタカマ砂漠をキャンバスにして絵を描いていたが、恐らく多くのレーサーたちは、この歴史遺産を無視すると決め込んでいる。先住民たちは3千年ほど前、砂漠の傾斜地に巨大な動物や人間や静物を刻み始めた。
なかでもタラパカ地域のアルト・バランコにある地上絵はとくに良好な保存状態が際立ち、広く知られている(訳注=ペルー・ナスカの地上絵と同様に、アタカマ砂漠にはインカ帝国時代以前のものを含む数多くの地上絵が残されている。とくに全長80メートルを超えるヒト形の「アタカマの巨人」が有名だ)。
しかし、まさにこの場所で、当局の認可のあるなしにかかわらず、オフロード走行がまかり通ってきた。
チリのNGOアタカマ砂漠財団の理事長で考古学者のゴンサロ・ピメンテルは、アタカマの地上絵を「砂漠の歴史書」と呼んでいる。ピメンテルがドローンで撮影して2024年9月に公表した画像には、この「歴史書」に積み重なった損傷がくっきりと示されている。
数多くの車両が、アルト・バランコや砂漠のほかの場所の地上絵を車輪でふみにじり、数百ものタイヤ痕で傷つけてきた。こうした車両には近隣の鉱山に出入りするトラックも含まれているという。
「私たちがドローンの映像を見た時、本当にこんな風になっているのか、と目を疑った」とピメンテルは驚きを隠さず、数個の絵はほとんど判別できない状態になっていると指摘した。「最悪なのは、元に戻せない不可逆な損壊だという点だ」
オフロード車やそのほかの侵入行為のためにアルト・バランコの地上絵が壊される被害が増え続け、ほかの砂漠地域の考古学的に重要な遺物にも被害が広がる可能性が出ている事態を受けて、国や地方の政府当局の保存の取り組みは不十分だと訴える声が、遺産の保全にかかわる人たちから出ている。
「これは悲劇だ」とイキケ地域博物館館長のルイス・ペレス・レジェスは嘆く。子供の時に地上絵が好きになり、考古学者になったという人物だ。
アタカマ砂漠の降雨は1年に数回だけだ。強烈な陽光と過酷な風土のために植物と動物がほとんど生息していない。このためほとんど手つかずの状態が続いており、「2500万年もの間、同じ景観が保たれてきた」とピメンテルは語る。
この砂漠は特異な気候条件のために、考古学者にとっての宝物になっただけでなく、過激なスポーツ愛好者にとっても魅惑の舞台になってきた。そして今、「地上絵とまったく同じように、タイヤ痕がそこに残り続けるだろう」とピメンテルは述べた。
地上絵の損壊は、アルト・バランコでの考古学ツアーの案内役で収入を得ている人たちにとっても大きな痛手となる。タラパカに住むルイス・アラヤによると、ツアーで生計を立てる家族は30以上あり、「地上絵の損壊は悲しくてやるせなく、無力感にさいなまれる」と話した。
チリ考古学協会会長のマルセラ・セプルベーダは、損害を防ぐために考古学ゾーンの周囲に大きな看板が設置されてきたと説明し、運転手たちはどこに向かって車両を乗り入れているか十分に認識しているはずだと主張した。「地上絵は巨大なもの。絵が見えなかったという言い訳はできない。ありえないことだ」
ペレス・レジェスはラリーによる地上絵の損壊に関し、2017年、正式に苦情の申し立てを始めた。その年以降、タラパカの住民とともに損壊の証拠を集め、古代の絵に近づきすぎた車の運転手たちを監視してきた。しかし、政府は主要なレースの開催を許可し続けてきたという。
大規模なレースの一つ、アタカマ・ラリーがアルト・バランコ付近で直近に開催されたのは2022年だったが、主催者たちはこの地区の地上絵の損害に関する一切の責任を否定した。
ラリー管理者のヘラルド・フォンタイネの説明によると、すべての参加者はラリーのルートを把握していて、もしルートからはずれたら、参加車両を追跡するGPSから警告を受ける仕組みもある。ルートは主催者が設定してから、地域当局の認可を受けるという。
「借りたバイクに乗り、無許可で砂漠を走る運転手こそ本当の問題だ。誰も彼らに忠告をしないのだから」とフォンタイネは主張した。
地域当局者のダニエル・キンテロス・ロハスは既設の道路だけを走ることを条件に、2022年のラリーに認可を与えた。しかし、主催者はレース後、GPSによる参加車両の追跡記録を当局に提出しなかったという。
だから、地上絵に認められる損害が参加車両によるものなのか判断することはできなかったとキンテロス・ロハスは説明した。「こうした事態を監視して対処するには、私たちは制度上、欠点を抱えていることが明らかになった」とも述べた。このため、タラパカではその後、ラリーの開催は許可されていないという。
フォンタイネはGPSの記録を当局に提出することは、主催側と政府の双方にとって負担が重すぎると主張した。「当局の方たちが私たちと同席して一緒にレースを観戦することを歓迎したい。競技者たちが地図のルートを守っていることを見ていただけるだろう」と言い添えた。
2022年のレース後、ペレス・レジェスはタラパカの司法当局に苦情を申し立てた。ラリーのルートが考古学の調査地と重なっていると主張し、法律で保護された区域の近くにある複数の砂丘の間をレーサーたちが走行している写真も提出した。苦情の提出後、処罰を受けた人はまだいない。
直近のアタカマ・ラリーは、タラパカから約600マイル(約965.6キロ)離れたティエラ・アマリージャで2024年9月7日に開催された。
開催の1カ月前、国立記念物評議会が地域当局に声明書を送付し、考古学と古生物学の重要な遺跡がある16区域をラリーのルートが横切ると警告した。評議会はレースの主催者と地域当局に、各区域の被害を防ぐための対策について、より詳しい情報を提供するよう要請した。
国有財産省によると、チリの考古学遺跡に被害を与えた者には現在、5年以上の服役と1万4500米ドル以上に相当する罰金が科される。しかし、タラパカ地域の文化遺産局長のホセ・バラサによると、広大な砂漠で不正行為の現場を押さえるのは困難なことであり、多くの場合、証拠が足りずに苦情は却下され、捜査は未解決になっている。「ナンバープレートも顔も確認できないから」
最新のドローンの画像には、チリの国家当局が注目した。国有財産相のマルセラ・サンドバルは、アルト・バランコの現地で当局者による捜査が始まったと表明した。しかし、地上絵に残るタイヤ痕の多くは長い年月にわたって刻まれたもので、責任を負うべき人物の訴追には困難が伴うだろうとも述べた。
政府は現在、専門家による会議を開いて、砂漠のラリー愛好者の意識を高めることをめざす保存戦略の立案に取り組んでいる。まだ損傷を受けていない地上絵を守り、考古学遺跡の周囲の看板を改善しようとしている。
「政府の対応はいつも、予防措置よりも受け身の対応にとどまっている」とペレス・レジェスはみている。砂漠のあちこちに、バイクや四輪駆動車を貸し出す数十人ものヤミ業者がはびこり、週末になると運転手たちは規制を受けることなく車両を乗り回すと指摘した。
ペレス・レジェスは、子ども時代に考古学への関心を高めてくれた地上絵のいくつかは、近いうちに消滅するだろうと述べた。それでもペレス・レジェスは、荒涼たる写真を博物館で展示することが、チリの砂漠の砂丘群の中に横たわる古代の巨大な宝物への意識を高めることに役立つと信じているという。「こんなことを二度としてはいけないという思いを示した」(抄訳、敬称略)
(Humberto Basilio)©2024 The New York Times
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