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ポンペイ滅亡の原因は噴火だけではなかった 古代史の謎「まだまだ情報埋もれている」

ニューヨークタイムズ 世界の話題 更新日: 公開日:
ピエール・ジャック・ボレールによる「ベズビオ火山の噴火」
18世紀のフランスの画家ピエール・ジャック・ボレールによる「ベズビオ火山の噴火」(米シカゴ美術館所蔵)=Art Institute of Chicago via The New York Times/©The New York Times

古代ローマの都市ポンペイは紀元79年にベズビオ火山の壊滅的な噴火で破壊され、住民たちは火山灰の層の下に埋もれた。だが、この都市がたどった運命については、語られていない物語がある。

2024年7月18日に発行された学術誌「地球科学のフロンティア」に掲載された論文によると、ポンペイは噴火と同時に巨大地震に襲われた証拠があるという。この発見によってポンペイ崩壊の新しい時系列が確立された。

新しい研究方法を採ることによって、調べつくされたと思われていた考古学遺跡からさらなる秘密が明らかになることが示された。

古代都市ポンペイがあった位置=Googleマップより

ポンペイの破壊は地震も要因ではないか、という推測は研究者の間では長く共有されていた。古代ローマの作家である小プリニウス(訳注=同時代のローマ社会の様子を伝える「書簡集」で有名。叔父の大プリニウスは博物学者)は、当時近隣の都市にいて噴火を目撃し、噴火には大地震が伴ったと記していた。

しかし、今日に至るまで彼のこの歴史的記述を証明する証拠は見つかっていなかった。イタリアの国立地球物理学・火山学研究所のドメニコ・スパリチェの率いるチームが、この空白を埋めようと記録の調査に取り掛かった。

スパリチェによれば、従来のポンペイの発掘調査には、古い建物への地震の影響を調べる地震考古学の専門家が参加していなかった。この分野の専門家による貢献が新発見の鍵だったそうだ。

「過去の学者も地震の影響があったと推測はしていた。しかし、我々の研究以前には、物的な証拠は報告されていなかった」とスパリチェ。新発見には「とても興奮させられている」という。

チームの調査は「貞淑な恋人たちの島」と呼ばれるポンペイ遺跡の一区画に集中した。この区画の建物の中にはパン屋、それから画家たちが噴火によって作業を中断させられたことが明らかな、壁のフレスコ画が彩色されないまま残されている屋敷がある。

研究者による発掘作業と周到な分析によって明らかになったのは、この区画の壁は地震によって崩壊したということである。

まず、研究チームは落下する火山岩などの危険物を破壊の主要因から除いた。壁のがれきの下にある石の堆積(たいせき)物を調べてみると、噴火の初期段階で壁が崩壊したわけではないことを示していたからだ。

次に調査チームはこの壁の被害を、歴史的建造物への影響など、これまでに明らかになっている地震による破壊の影響と比較した。

発掘によって、壁の破片に覆われた一対の骨格もこの区画で見つかっている。片方の骨格からは、その人物が避難しようとしていた様子さえうかがえた。研究者によれば、現代の地震の被害者たちに見られる骨折のパターンや圧迫損傷と比べた結果、これらのローマ人たちが不幸にも建物の崩壊で死んだことがわかる。

ポンペイ遺跡からベズビオ山を望む
ポンペイ遺跡からベズビオ山を望む=2023年10月29日、イタリア南部、藤原学思撮影

研究の最終結果として、ポンペイの壮大な崩壊の新たな経緯が判明した。まず、火山礫(れき、小さな石)が18時間降り注ぎ、多くの建物の屋根が崩落し、避難していた人々が死亡した。

次に噴火が引き起こした地震がポンペイを激しく揺さぶり、さらに多くの住民が犠牲になった。最後に、火山灰と火山噴出物からなる大量の火砕流が街路に流れ込み、ポンペイを永遠の死の中に封印した。

ポンペイの発掘に参加した米オレゴン大学の考古学者ケビン・ディカスは、新しい証拠は「驚くべきもの」であり、学際的なアプローチが新発見を生むことを示している、という。

「証拠は常にそこにあった。証拠を探すには、単に新しい問題設定、新しい目が必要だった」とディカスは言う。「考古学は完全に孤立した分野であってはならない」

ディカスは、考古学者たちが建築、データサイエンス、法人類学などの専門家を招き、ポンペイの人々の死因だけでなく、当時の平均的な市民の暮らしについて解明を進めている、と指摘する。

発掘された古代都市ポンペイの町並み
発掘された古代都市ポンペイの町並み。車道右側にあるバスタブのようなものは公共の水くみ場所だった=2022年3月8日、大室一也撮影

スパリチェと彼のチームが採用した学際的アプローチは、ポンペイ以外の都市へのベズビオ火山の噴火の影響を調べる助けにもなるだろう。紀元79年の地震で破壊された都市はポンペイが最も有名だが、破壊された都市はポンペイだけではない。

地震によって影響を受けた都市について、スパリチェは「ポンペイ以外にも、オプロンティス、スタビアエ、ヘルクラネウムなどが間違いなく被害を受けた」と請け合う。研究者たちはもう何が手掛かりになるか分かっているので、これらの隣接地域が破壊された経緯を見定めることも可能になった。

ポンペイ自体についても、さらに新たな発見があるだろう。

スパリチェによれば、ポンペイ全域で起こったほかの建物の崩壊が、実際には地震が原因だったにもかかわらず、火山活動のせいだと誤認されていた可能性があることを新しい研究は示唆している。チームは現在、ポンペイの他の地域にも調査の対象を広げている。

「ポンペイは火山学の多くの優れた研究の中心テーマだったが、ベズビオ火山の噴火と都市および住民へのその影響については、まだまだ新しい情報が埋もれている」とスパリチェは指摘する。(抄訳、敬称略)

(Jordan Pearson)©2024 The New York Times

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