明るい朝の日差しの中で、がっしりとした体つきの男が羊の群れを動かしていた。かっぷくのよい腹をウールのセーターに包み、笛と杖で導く先の草地の斜面は、フレスコ画が描かれたポンペイ遺跡の上にある。
間近にはイタリア南部の活火山、ベズビオ山がそびえている。その羊飼いが斜面を少し見下ろすと、わずか数フィート(1フィート=30センチ強)先に一軒の家が埋もれていた。
2000年近く前の大噴火で、真っ赤な火山岩が降り注いで壊されたままになっている。間違ってもそこに転落しないよう、羊飼いは草をはんでいた雌羊を杖で軽くたたいた。あまり近くに寄らせないためだった。
「本当にそうなってしまうことだって、ありうるんだから」。羊飼いのガスパレ・デマルティーノ(40)は、そういいながら肩をすくめた。
紀元79年の大噴火で、都市全体が生前そのままに埋もれたポンペイ。今は広大な考古学公園となり、発掘された遺跡をきちんと維持するために先端技術が駆使されている。
月に1回、監視用ドローンが1000カ所ほどもある公園内の発掘場所の上空を飛ぶ。集めた映像は、人工知能プログラムで分析する。新たな亀裂や石の倒壊はないか。風雨による浸食の兆しは出ていないか……。
ただし、敷地の3分の1は、いまだに何メートルもある軽石と土の層におおわれている。そこにとげの生えた低木や野生化した生け垣、樹木が無秩序に育ち、荒れてしまうのを防ぐ必要がある。
そのために登場したのが、古代からあるピッタリの安上がりな解決方法だった。おなかをすかせた羊たちだ。
羊がいなければ、「ジャングルのような状態が生じてしまう。それが、遺跡の構造物と現場をむしばんでいく」と公園長のガブリエル・ツフトリーゲル(ドイツ出身)は説明する。
羊のアイデアがひらめいたのは、北海の堤防の上に放たれ、陸地を守っているのを見たときだった。
ポンペイでも繁殖力の強い雑草・雑木の類いをムシャムシャ食べさせて退治すれば、根がもたらす破壊を防いでくれる。さらには全体が荒れ地となり、地滑りが起きやすくなって遺跡が再び埋もれてしまう心配もなくなる。
「羊たちは、何かよくないことが起きるのを芽のうちに摘んでいる」とツフトリーゲルは話す。
羊を使ったこのプロジェクトが始まったのは、数週間前のことだった。考古学的に貴重な過去の保存に役立つだけではない。未来に向けてポンペイのイメージを刷新し、経済効果を図るという狙いがあることをツフトリーゲルは率直に認める。
雲のような降灰による窒息死。瞬時の灼熱(しゃくねつ)地獄。この街のイメージは、有史始まって以来ともいえる悲惨な災害と分かちがたく結びついている。
これに対して、ポンペイを田園として見直そうというキャンペーンが動き出した。最近は、これまでの「古代の空間」にブドウ園や果樹園が出現し、地元でオリーブ油を作る計画も持ち上がっている。
炎と苦しみの世界を遠ざけ、「農園」を卓上に届けよう――そんな流れの中に羊たちはいる。
その鳴き声に囲まれながら、ドイツ語なまりの英語で「羊毛生産だってしたい」とツフトリーゲルは夢を語った。
大きな博物館を近代化するためにイタリアが国際的に募集した「スーパー館長」の一人。ポンペイらしさを誇る農園が羊のミルクやチーズ、ラム肉を生産し、それが遺跡を見渡す新しいレストランで出される。土産店には、スカーフやセーターが特産の羊毛品として並ぶ――そんな構想を抱いている。
ただし、羊そのものは、ポンペイにとっては何も新しいことではない、とツフトリーゲルは指摘する。
古代ローマの偉大な博物学者、大プリニウスは自著の百科全書「博物誌」で、ポンペイの周辺では「素晴らしい羊毛が生産されている」と絶賛している。ただし、羊の頭脳には冷淡で、「動物の中では最も間抜け」と記している。
その大プリニウスは、ベズビオ山の噴火で絶命する。「ゾッとするような有害ガスにやられた」とおいの小プリニウスは、心痛を込めて失った叔父を悼んでいる。
その後、羊はこの地に戻り、埋もれた街の上に生えた草をはんでいた。18世紀に発掘が始まっても、それは続いた。
デマルティーノの先祖も、この公園の未発掘地域で羊を飼っていた。祖父も、父もそうしてきた。それをやめて、公園の管理者から立ち退くようにいわれたのは、わずか15年ほど前のことだった。
「おれたちはここでずっとやってきたのに、前の公園長が締め出したんだ」とデマルティーノは首を振る。
「フンが、お気に召さなかったみたい。後ろからついてって、始末しろとでもいうんか」。こう声を荒らげたデマルティーノは、「イシュー、イシュー」という独特の発声音で2匹のベルギー原産の牧羊犬サーラとステリーナに指示を出し、杖に寄りかかった。視線の先の羊たちは、草をはみ、背の高いアシにむしゃぶりつき、茂みの実を取ろうと跳ねていた。「なんでも食べちゃうね」
ベズビオ山は前夜、火口付近で地鳴りのような音を響かせていた。小さな地震もあったが、危険なレベルではないと専門家は判定した。
「爆発するときは、爆発しちゃうよ」とデマルティーノは気にもしないようだった。「計画的に噴火させることなんてできないし、『ちょっと待って』なんていえないんだから」
気にするのは、自らの生計の立て方だ。
大規模農業と競わねばならない。一方で、交通量の多い道路の周辺で羊の群れを放つ場所を見つけるのは難しい。しかも、私有地が迷路のように入り組んでいて許可を取るのが大変だ。だから、一時はトラックの運転手もせねばならなかった。
「151頭の羊を抱えてどう生きていくか、という問題だね」
そこに、ツフトリーゲルから、未発掘地域の野原に羊と戻ってきてほしいとの誘いがあった。「生活基盤を広げるよい機会だった」
今のところ、羊たちの復活はポンペイの田園化構想にうまくはまっているようだ。
大きな割り石を敷き詰めた古代の道路は迷路のようだ。そこをさまよい歩く観光客たちが、羊の群れのにぎやかな鈴の音にガイドブックに落としていた視線を上げた。その一人が、「あそこに行くにはどうすればいいか」と斜面の上に立つツフトリーゲルに大きな声で尋ねた。首を振っての返事に、「こっちはダメなの」と気落ちした声をあげた。
ツフトリーゲルは、自閉症児に公園を紹介するのに羊を活用しようと思っている。その方が、「壁画に使われている四つの手法」といった講義より、心に残るポンペイの思い出ができると考えるからだ。「いつかは羊やほかの動物が、千頭もここにいるようになるのかもしれない」
公園のベズビオ門のところに配置拠点がある整備員たちは、草刈りをしてくれる動物が多いほど「気分もよくなる」と口をそろえる。そのすぐ近くには羊を囲う屋外区画があり、(訳注=甘い香りを放つハーブの一種の)フェンネルが敷き詰められている。
整備員の一人、パスクヮーレ・ロンバルディ(52)は、「羊がやってくれなければ、自分たちがやる羽目になる」。同僚のアントニオ・マリアーノ・シエペ(31)は、羊のほかの効用にも踏み込む。「なんといっても、炒めたポテトと一緒に出てくるのが最高だね」
整備員たちは、ベズビオ通りを歩き出した。デマルティーノの羊が草をはむ斜面の下にある「レダの家」に沿って走る通りだ。この家にさしかかると、中で白衣を着て作業をしていた美術修復士バルバラ・デリソラ(28)に「何をしてるんだい」と声をかけて冷やかそうとした。
デリソラはスパルタ(訳注=古代ギリシャの都市国家)の王妃レダがひざに(〈訳注=ローマ神話の主神で好色な〉ジュピターの化身の)白鳥を抱えている官能的なフレスコ画の修復にあたっていた。
壁画に向かって作業をしている自分の上の方に羊が放たれるなんて、最初は「違和感があった」とデリソラは話す。「岩の破片でも落ちてきて、壁にあたる危険を感じた。でも、しばらくしたら、草を食べているだけなことが分かった」
公園スタッフの一部も、ポンペイに生命の復活を告げるものとして羊の復活を見ている。もだえ苦しんでの死と同義語に等しい地名だけに、どこよりも強くそう感じるのだろう。
ここで園芸を手がけるマウリツィオ・バルトリーニが作業場に向かうと、茶と白のぶちの野良犬が人なつっこくついてきた。
汚染とほとんど無縁な公園のきれいな環境は、多くの動物を引きつけるようになった。野鳥のヤツガシラもそうだし、(訳注=大きな商人の館)「パンサの家」には1羽のフクロウが新たにすみ着いた。それに、ハリネズミがすごく増えた。「ポンペイに、動物たちが戻ってきてくれるようになった」
午後1時ごろになった。羊たちが絶え間なく草を食べ続ける音は、大雨が降っているように聞こえた。その群れを1カ所に集めるために、デマルティーノは牧羊犬のサーラを送り出した。
にぎやかな鈴の音を響かせて小屋に帰る群れは、ベズビオ門を通り、公園の外の砂利道を進んだ。羊飼いが、しっかりと寄り添っていた。遺跡を後にした群れの先には、そびえ立つベズビオ山の威容があった。
その光景を眺めていた公園整備員のジュゼッペ・ミンゴ(59)は、「きっと大昔もこうだったんだろう」とつぶやいた。(抄訳)
(Jason Horowitz)©2023 The New York Times
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