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スペイン 過疎の村が見る夢は

ニューヨークタイムズ 世界の話題 更新日: 公開日:
スペイン中央部にあるドゥリエベス。1950年代までは1200人の人口を抱えていたが、いまはわずか339人だ Myriam Meloni/©2018 The New York Times

ドゥリエベスの村はスペインのほぼ中央にある。人口はわずか339人。過疎化が進み、村の羊飼いはついに一人だけになった。その羊飼いも82歳だ。学校は50人の子どもたちが学べるように建てられたが、現在の在校児童は11人。2018年に入って、これまで高齢者6人が亡くなった。一方、生まれた子どもはまだ一人もいない。

このまま過疎化が進めば、ドゥリエベスは20年以内に200人を割ることになるだろう、と村長のペドロ・リンコンは不安を隠さない。何とか、過疎化を食い止める手立てはないか、村長はいつも思案に暮れている。

そんなドゥリエベスだが、17年夏は村をあげての興奮に包まれていた。タグス川(タホ川)を見下ろす郊外の台地で、考古学者たちが1カ月にわたって発掘調査をしたのだった。

調査で見つかったのは、古代ローマ時代に「Caraca(カラカ)」と呼ばれていた町の、採鉱場と農業開拓地の遺跡だった。当時としては重要な産業拠点の一つで、公共広場や公衆浴場も備わっていた。人口はおそらく1800人はいたとみられる。いずれにせよ、現在のドゥリエベスよりずっとにぎわっていたようだ。

スペイン・ドゥリエベス郊外で見つかったローマ時代の遺跡をマドリードから見に来た親子連れ Myriam Meloni/©2018 The New York Times

今、村はカラカの遺跡調査が再開されるのを待ち望んでいる。古代ローマ時代の遺跡なら大きな観光資源になる、と期待しているのだ。

だが、その期待も夢も、まぼろしに終わりそうだ。理由は後述するが、村は夢をあきらめてはいない。184月には、村をあげての「絵描き大会」を開催し、19人のグラフィティ・アーティストに、村のあちこちに立つ壁に絵を描いてもらった。

「村の人たちがカラカ発掘プロジェクトにとても熱心で、私としてもうれしい。考古学者は単に古い遺跡を発掘するだけでおしまいにしてはいけない。いま生きている人たちに、大昔のことを伝えていくことも重要な役割だと思う」。カラカの発掘調査に参加した歴史家のダビド・アルバレス・ヒメネスはそう語った。

2018年4月、スペイン・ドゥリエベス村内の壁に古代ローマ時代にちなんだ壁画を描くグラフィティ・アーティストのアレハンドロ・ガルシア・モラティージャ Myriam Meloni/©2018 The New York Times

ドゥリエベスは1950年代まで1200人ほどの人口を抱えていた。広大な面積を持ちながらも人影がまばらな地域は「スペインのラップランド」と呼ばれているが、ドゥリエベスもそこに位置する村の一つ。古代ローマ時代に採鉱がすたれ、町が捨てられたように、現代のドゥリエベスも農業がすたれて過疎化に拍車がかかった。

村は首都マドリードから約80キロメートルの地にある。村人は次々と首都郊外にある工場やベッドタウンに移っていったのだ。

村長のリンコンも62年にドゥリエベスで生まれたが、まだ幼児だった時に父が約48キロメートル離れたアルガンダ・デル・レイの石油精製所に仕事を見つけて村を出た。住み着いたアルガンダ・デル・レイの町は人口約5万。リンコンもやがて父と同じ会社で働いた。村に戻ってきたのは年前、石油精製所が閉鎖されたためだ。村に戻ったリンコンは、自力で肉の卸売りを始めた。そうして2010年に村長に選出された。

「村は大好きだった。その村から幼くして引きはがされた、という思いをずっと抱いていた」とリンコン。「戻ってきて、仕事もできて、本当に幸運だった。だけど、村を救い、若者が居られるようにするにはもっと多くの職が必要だ」

彼の娘のモンセラット(32)も一緒に暮らしているが、現在失業中だ。

スペイン中央部ドゥリエベスの村に週末になると帰ってくるバディージョ一家。2018年4月、屋外でバーベキューを楽しんだ。一家は村を出てマドリードに移った。村では職がないため、流出者が多く、過疎化が進んでいる Myriam Meloni/©2018 The New York Times

スペインは今、12年の金融・財政危機から立ち直ってきている。それでも、ドゥリエベスのように、過疎化による将来不安を抱える自治体は少なくない。

182月、政府は地方の人口減少問題に取り組むため、新たな計画を策定すると発表した。乾いた不毛の大地が広がるスペインの地方は、人口密度が1平方キロメートル当たり8人以下というヨーロッパでも最低の地域の一つだ。

政府統計によると、スペイン全土にある地方自治体のうち半分以上が人口1千人という限界値を下回っており、存亡の危機に立たされているのだ。

ドゥリエベス周辺の村でも、運に恵まれるか、特別な投資プロジェクトに救われるかして生き残っているところがある。

その一つ、ブレア・デ・タホの村民は16年、スペインの全国クリスマス宝くじを共同購入して大当たりした。そして、賞金12千万ユーロ(156億円)を村民で分け合った。

エストレメラ村では10年ほど前に刑務所が開設されたことで村の経済が立ち直った。この刑務所には、スペインからの分離をめざして逮捕、起訴されたカタルーニャの政治家も収容されている。

では、ドゥリエベスを経済的に支えているのは何なのか?それは他のほとんどの村々と同様、国や州、それに欧州連合(EU)の補助金である。

「経済に限って言えば、学校や医療センター、その他の村の施設は、いずれも補助金を抜きには成り立たない」とリンコンは言った。彼によると、村で唯一にぎわいをみせるのはコミュニティーセンターで、10年ほど前は1日に10人ほどだったが、今は年金生活者が40人ほど集まるようになった。

ドゥリエベスに残って農業をしているのは7人。その一人、フェルナンド・バチジェル・イグエラに話を聞くと、EUの共通農業政策で穀物生産への補助金を受け取っているが、何とか受け取らずに収支を合わせたいと思っている。というのも、彼の農地は実際には穀物生産に向いていないからだ。それでも補助金を受けるには穀物を生産するしかない。

スペイン・ドゥリエベスの村でたった一人の羊飼いとなったセバスティアン・バディージョ、82歳。村の人口は今、わずか339人になった=2018年4月、Myriam Meloni/©2018 The New York Times

「私は父が死んだので、しかたなく農業を始めた。農地があるので何かしないといけないし、すればEUの補助金をもらえる」とイグエラ。「もし2人の息子が畑より学校で勉強する方がいいと言うなら、あと20年もすれば私たちの農家の歴史はおしまい、ということだ」

週末や夏休みに入ると、村から出て行った人たちが帰ってくるため、ドゥリエベスの人口もにわかに増える。伝統のお祭りが残っているし、村にはゆっくりとした時間がながれているので、のんびりできるからだ。だが、見渡せば、廃屋が10軒以上、壊れかけた家も少なくない。

マリア・テレサ・バディージョ・サンチェスは、ほぼ毎週末、村で一人暮らしをしている母のもとに娘たちと帰ってくる。普段、約50キロメートル離れた町で働いて暮らしているが、彼女は「ここはなにより人びとが親切で、人柄がいい人ばかり」と言った。

さて、大昔のカラカの話に戻ろう。

古代ローマ時代のカラカの歴史はまだ未解明だ。今後ドローンやレーダー技術を使えば、やがて全貌(ぜんぼう)は明らかになるだろう。ただそうなるにはもっと多くの資金が必要だ。17年夏の初の発掘調査では、村民15人が働いて賃金を得た。考古学者は今後のカラカの発掘調査にあまり多くの期待をかけないようくぎを刺している。同時に、発掘がもたらす経済効果も期待通りにはいかない、と話している。

「村の人たちが熱心に取り組んでくれるのはありがたい。でも、発掘というのは時間も費用もかかるものだ」と考古学者エミリオ・ガモ。「考古学の成果は必ずしも観光産業に結び付くとは考えない方がいい」。そう言うのだった。(抄訳)

RaphaelMinder©2018The New York Times