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四国遍路を重ねてきた記者が、スペインへ520キロの巡礼の旅に出てみた

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サンティアゴ巡礼の道には、世界各国から老若男女が集まる
photo:Murayama Yusuke
サンティアゴ巡礼の道には、世界各国から老若男女が集まる photo:Murayama Yusuke

ひまわりが教えてくれた巡礼

白衣をまとい、すげ笠をかぶり、金剛杖を手に1日25キロ。四国八十八カ所の寺を巡礼する「歩き遍路」を始めて10年目になる。そう話すと、「どうして?」と興味津々に聞かれることが多い。そんなとき、私はいつも答えに窮する。相手の期待に応えられるような、秘めた動機があるわけではないのだ。でも、歩き終わった後には、自分にちょっとした変化を感じる。だからしばらくすると、また遍路に出てしまう。約1万キロ離れたスペインでも、同じことを考える人がいるらしい。世界各地から集まった人が、徒歩で数百キロ離れた聖地を目指すという。現代の巡礼者たちは、何を求めて歩くのだろうか。

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村山祐介記者 Photo: Semba Satoru

「お接待」に感動

 学生時代から、リュック一つで行き先も決めずに旅に出る放浪癖が抜けない。20079月に遍路を始めたときも、「いつか行きたい旅先の一つ」に過ぎなかった。後付けで理由を探せば、結婚を意識し始め、自分中心の独身時代に区切りをつけたかったのかもしれない。

1番札所の霊山寺(徳島県鳴門市)から歩き始めた当時の日記を読み返すと、足袋までそろえた遍路姿の自分にコスプレ的興奮を覚えたり、納札を書いて般若心経を唱える自分に驚いたり。赤い矢印を頼りに路地裏やけものみちをたどるのは、オリエンテーリングのようでワクワクした。

そんなお試し気分が変わったのは、足裏のまめが直径4センチに膨らみ、日記に泣き言が目立ってきた5日目だった。

喫茶店でランチを頼むと、しばらくしてママさんが「あちらの方からお接待です」。常連らしき初老の男性が会釈してくれた。何か裏があるのではないかと勘ぐったが、男性が去った後に飲んだコーヒー代すら「言付かってるけん」と受け取ってくれなかった。

その夜。小雨のなか、真っ暗な県道を宿に向かって急いでいると、反対車線に車が止まり、背の高い若い長髪の男性が現れた。「おやじ狩り」の言葉がよぎり、後ずさる私に、男性は自動販売機を指さした。「お好きなのをどうぞ。僕も昔、お接待を受けましたから」。罰当たりな妄想を心の中でわびつつ、りんごジュースをいただいた。

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photo:Murayama Yusuke

地元の人がお遍路をもてなす行為は、「お接待」と呼ばれる。軒先でお茶やお菓子をいただいたり、すれ違った人がブドウやイヨカンを手に戻ってきたりしたことは、数えきれない。

先輩記者から「何事もまずは疑え」とたたき込まれてきた私も、だんだん素直に受け止められるようになってきた。と同時に、「自分は地元の人が大切に支えてきたお遍路の一人なのだ」という自覚も芽生えてきた。お地蔵さんを自然と拝むようになったり、道ばたに咲き誇る花の名を知らないことを悔やんだり。「新聞記者とはどうあるべきか」など大上段な問いを自分に投げかけ、「父になる日」を想像することもあった。「お遍路」という特別な存在になることで、日常のしがらみを離れて自由に思いを巡らせた。

遍路の楽しみは、それだけではない。仏像や歴史的建築物に触れ、カツオのたたきや温泉も楽しめる。遍路世界にすっかり魅せられた私は、休みのたびに遍路を重ね、気づけば50カ所の寺を回っていた。

「心のままに歩め」

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サンティアゴ巡礼の道には、世界各国から老若男女が集まる photo:Murayama Yusuke

その後、結婚して娘(6)が生まれ、遍路も家族3人で行くようになった。

ある日、妻から「遍路のスペイン版がある」と聞いた。毎年20万人以上が、スペイン北西部のカトリックの聖地サンティアゴ・デ・コンポステーラを目指し歩くという。

お遍路の大多数はバスや車で回り、歩く人は1割ほどだ。それがスペインでは9割が歩くという。何がそんなに魅力的な道なのか。歩き遍路の血が騒いだ。

仕事の都合で約3週間と期限を決め、8月中旬、8キロ弱のリュックを背負いサンティアゴを目指す巡礼に出た。家族も、途中で合流することにした。

飛行機と列車を乗り継ぎ、まずはピレネー山脈の裾にある仏南部サン・ジャン・ピエ・ド・ポーに。複数ある巡礼路のうち、巡礼者の7割近くが選ぶ「フランス人の道」の出発点だ。聖地までは約780キロ。東京から大分までの直線距離に当たる。

石畳の坂道を上り、巡礼事務所で巡礼者手帳をもらった。ここにスタンプを集めることが、巡礼の歩みの証明になる。巡礼者の目印となるホタテ貝ももらい、リュックにくくりつけた。お遍路よりだいぶ地味だが、いっぱしの巡礼者気分だ。

「アルベルゲ」と呼ばれる巡礼宿の薄暗い受付に入ると、スタッフのエリック・ビオット(55)が低い声で心構えを説いていた。「プライドを捨て、心のままに歩め。幸せになる方法が分かるだろう」。ややうさんくさいが、嫌でも巡礼前夜の気分が盛り上がる。

エリックは10年前に巡礼を始め、すぐにその魅力にとりつかれたという。1年半後に仏大手IT企業の営業担当取締役を辞め、宿の世話役に。収入は激減した。「大切なのはカネじゃない、生き様だ。これも『道』が教えてくれた」

言うことが、いちいち熱くてクサイ。このときは、「話のタネに」とメモした彼の語録を、その後何度も読み返すことになるなんて考えもしなかった。

宿代は101部屋の2段ベッドの素泊まりで17ユーロ(約2000円)。集落ごとにこうした場所があり、民営では夕食を出すところも多い。この夜も約20人で、クスクスと煮込み肉、赤ワインの食卓を囲んだ。

翌朝、まだ夜明け前の午前6時半に、町外れのスペイン門を出発した。標高1430メートルの峠まで一気に登る行程だ。息があがって立ち止まるたび、互いに「ブエン・カミーノ(よい道中を)」と声をかけあった。

自然と、情報交換や身の上話になる。抜いたり抜かれたり。ほぼ同じペースで歩むうちに、十数人の顔見知りができた。「道は一期一会。作りものの自分を見せるのはやめろ。ありのままでいい」。さっそくエリックの言葉が浮かんだ。

遍路との大きな違いは、歩く人の多様性だ。巡礼者の出身国は世界約180カ国にわたり、信仰も懐事情もばらばら。だが重荷を背負って歩き、大部屋の2段ベッドで寝泊まりするうちに、「同志」のような連帯感が生まれてくる。

8時間後、スペイン側の最初の村に到着した。夕方の巡礼者向けミサが終わると、歯も磨かずにベッドに倒れ込んだ。

まさかの巡礼者失格

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巡礼者向けミサ photo:Murayama Yusuke

翌朝、葛藤とともに目を覚ました。

私はもともと、ここから中間地点のカリオン・デ・ロス・コンデスまでバスで行く計画だった。だが、「ともに山を越えた同志から一人、脱落したくない」という思いが抑えられなくなったのだ。前日から、地名と距離が書かれた旅程案を何度も見直していた。

サンティアゴの道では、「歩いた距離が長い巡礼者ほどえらい」という不文律があるのも感じていた。朝食で隣り合ったフランス人建築家ブルーノ・ジェリ(59)は、仏南部から700キロ超を歩いてきたと自慢げに話した。「巡礼者たるもの、苦労しないとだめだ」。「えらそうに」と内心舌打ちしたが、後ろめたさを見透かされたようでぐさりときた。

そうは言っても、ここからの756キロを3週間で歩き終えるのは無茶(むちゃ)だ。無理やり心を抑えこみ、同志たちを見送った。

午前8時半発のバスを待ったが、さっぱり来ない。カフェで尋ねると、この日は祝日で運休なのだという。巡礼者たるもの、せめてタクシーは避けたい。1時間ほど学生時代以来のヒッチハイクを試みたが、まるで手応えがない。苦労したから許されるだろう。そう言い訳して、タクシーに乗った。

途中バスを乗り継ぎ、同志の一人が「忘れられない」と語ったブルゴスにある世界遺産の大聖堂に立ち寄った。巡礼者は入場料が半額と書いてある。「お接待」を受けた時のような感謝の気持ちで、受付で巡礼者手帳を差し出した。

「どうして手帳にスタンプがないのですか」。受付の男性に詰問調で聞かれた。「ここまではバスで来たからです」「それでは割引はできません」

ええっ? だめなの? 巡礼者失格なのか。朝からの悪あがきをすべて否定されたようで、呆然(ぼうぜん)としたまま一般料金7ユーロ(約800円)を払った。ゴシック様式の壮麗な建築もうわの空だった。

炎天下を歩く巡礼者を横目に、再びクーラーの利いたタクシーに乗り中間地点のカリオンに着いた。やけ酒でもあおろうと通りを歩いていると、ふらりとのぞいた教会で巡礼者向けのミサが始まっていた。

司祭が英語で国名を読み上げ、その国の巡礼者が挙手して祝福を受けていた。「ジャパン」と呼ばれたとき、私は手が挙げられなかった。自分が巡礼者なのか確信が持てなかった。朝からの出来事で、すっかり迷える子羊になっていた。

ミサが終わった後、休憩室に戻りTシャツ姿になっていた司祭のダニエル・フェルナンデス(38)を呼び止めた。

「司祭、教えてください。巡礼者とはどういう人なのでしょうか」

「私は『何かを探し求める人』だと思っています。多くの人にとっては、人生の意味といったものでしょうか」。司祭はこうも言った。

「心が何を探し求めているのか、本人も気づいていないことが多いのです」

私だって、巡礼とは何かを探し求めてきた。焦ることはないのかもしれない。司祭の言葉に、ほっとした。

でも、新たな疑問もわいた。本人も気づいていない「心の探しもの」って、何だろう。

一番大事なことって?

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スペインの台地に咲き誇っていたひまわり photo:Murayama Yusuke

カリオン郊外には広大な台地が広がる。とりわけ町外れからの17キロは、村はおろか、建物も日陰すらほとんどない。初日の宿で、指南役のエリックが「自分に向き合わざるをえない、最も濃密な区間」と語っていた場所だ。この道を、心のまま、力の限り歩いてみようと思った。

そのためには、この混乱した頭を整理しないといけない。3日後に家族と100キロ先のレオンで合流することになっていたが、旅程を変更して一日休んだ。

翌日は朝から曇り空だった。収穫後の枯れ草色の麦畑を、砂利道がどこまでもまっすぐ延びている。中間色ばかりの単調な風景が続き、動くのはカラスくらい。黙々と歩いていると、精力を注いだ原稿をボツにされた悔しさなど、嫌な記憶が次々と脳裏に浮かんできた。

古いことは忘れることにしたり、くよくよしても仕方ないことは記憶の奥にしまいこんだり。「心の棚卸し」のような作業が続いた。

だが3時間が経ち心身ともに疲れてくると、「どうでもいいや」と吹っ切れた気持ちになった。そのとき、地平線の先に見えた原色のひまわり畑に目を奪われた。小学校で教わった通り、みんな同じ方角を向いていた。結局、この日は計40キロを歩いた。

家族がレオンに着いた日も、また40キロ近くを歩き、宿の2段ベッドの下段に倒れこんだ。レオンまでまだ20キロあった。右足のまめはつぶれ、左足も燃えるように熱い。放心状態で天井を見ていると、また、ひまわり畑が脳裏に浮かんできた。

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広大な台地にどこまでも道が続く photo:Murayama Yusuke

はっと思った。そういえば、娘がベランダの鉢にまいたひまわりの種が芽を出していない。一緒に育てて、同じ方角を向いて咲くことを伝えなくては。

最近は仕事にかまけ、娘と話すのはそろばんの宿題のことぐらい。しかもそんな後ろめたささえ、放っておいた。ひまわりのこと、娘が最近育て始めた朝顔や金魚のこと。いま、話さなくてはいけないことがたくさんある。いてもたってもいられなくなった。

翌日、午前3時に目が覚めた私は、暗闇の中を突き動かされるように歩き始めた。9時半過ぎにホテルに到着すると、家族が泊まる部屋のドアを勇んで開けた。感動の再会を果たすつもりだった。

だが、パソコンで英会話レッスン中だった娘は、私をちらっとみると、すぐ視線を戻した。現実とはそんなものだ。

「ひまわりの種、まだ芽が出ていないの?」と妻に聞くと、けげんな顔になった。「植えたのはチューリップよ」。我ながらあぜんとした。それほどまで娘と向き合っていなかったとは。今はまだ無邪気だが、きちんと向き合わないまま思春期を迎えたら、父子関係はどうなっていただろう。背筋が寒くなった。

その日の午後から、3人で巡礼路を歩き始めた。ひまわりの話やしりとり、クイズ。「それでね、あのね……」。娘は妖精の女の子が出てくる空想の物語をいつまででもうれしそうに話し続けた。学校や家、習い事での出来事が投影されていた。娘なりに、自分の社会ができていることに気づかされた。

ともに旅をした巡礼者に尋ねると、多くが何もない17キロの道を歩いたときに、心に変化を感じていた。「今、一番大事なこと」に気づいたと口をそろえる。

巡礼という非日常的な世界で自分と向き合うことで、普段の生活で見えなくなっていたことが見えてくる、ということなのかもしれない。少なくとも、私の場合はそうだった。

復活とブタの間で

家族と合流したレオンから75キロ。巡礼路最高地点のイラゴ峠(1515メートル)へ向かう山道の日差しは焼けつくほどで、気温も40度近くになった。

峠越えに備え、手前のフォンセバドン村に宿をとった。巡礼者が無線LANでスマホをいじるカフェの先に、壁が崩れた家屋が並んでいた。宿のオーナー、ホセ・ブランユ(67)によると、1970年代は廃村同然だったという。「羊飼いの母と息子しかいなくなり、電気も水もなかった」

巡礼者は80年代、年2500人ほどだった。古都アストルガで巡礼路の保存活動を続ける「友の会」代表のホアンカルロス・ペレス(47)も「三十数年前は巡礼者なんて、ただの不審者だと思っていた」と明かす。

巡礼路が復活する原動力になったのは、「欧州統合のうねり」だった。

スペインがEUの前組織に加盟直後の87年、教会や地元の人が巡礼証明書のルールや順路を示す黄色い矢印を整え、巡礼者を呼び込み始めた。93年の世界遺産登録で知名度も高まり、2015年の巡礼者数は約26万人。30年前の100倍に増えた。沿道の町村は潤い、フォンセバドン村も宿5軒、食堂3軒がオープンした。

だがいつの世も、開発はいいことずくめではない。「道がすさんでいくのをもう見ていられない。世界遺産の称号は返上すべきだ。あなたもサリア以降を歩けば分かる」。友の会のぺレスが嘆いた。

大聖堂に通じる道を100キロ以上歩くと、巡礼証明書をもらえる。聖地まで114キロのサリアは、この条件を最短で満たす出発点として人気の町だ。

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混雑する巡礼路 photo:Murayama Yusuke

果たして彼が言っていたように、サリアを過ぎると巡礼の雰囲気は一変した。聖地までの距離を刻む金属板はほとんど盗まれ、落書きばかりになった。

「そんなことをする輩を『ブタ巡礼者』というんです」。サンティアゴのカフェで落ち合ったサンティアゴ・デ・コンポステーラ大教授(歴史地理学)のミゲル・タイン(48)は吐き捨てた。「お手軽な『観光巡礼者』も、あまりに多すぎる。巡礼路は侵略されてしまった」

団体客が目立って増え、食堂や宿がいっぱいで34キロ先まで歩かざるを得ないこともあった。道中、仕事を辞めて巡礼に出た韓国人女性(35)の身の上話に耳を傾けていると、スマホで大音量の音楽を流す女性2人組が通り過ぎ、しらけた雰囲気になったこともある。

「過密で俗悪、無秩序の根源だ」。友の会の有志や専門家らは14年、国際会議でこう宣言し、証明書発行の条件を300キロに伸ばす運動を始めた。

ルールを決めたサンティアゴ大聖堂はどうなのだろう。首席司祭セグンド・ペレス(66)に会うと、「巡礼の意味を忘れて観光化したことが問題で、300キロにしても同じことが起こるだけだ」と困惑した。「巡礼路が自宅前を通ればカネになると思う人もいて、話がかみ合わない」

団体ツアーや、最後の100キロだけを歩く人が責められるものでもない。だが観光化が進みすぎると、「静かな思索」や「巡礼者との交流」といった巡礼の最大の魅力が失われてしまうのも事実だ。

どうすればいいのか。私にも、答えは見つからなかった。

地の果てで考えた

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アルベルゲで夕食を囲む巡礼者たち photo:Murayama Yusuke

目的地のサンティアゴが近づくにつれ、私はだんだん落ち着かなくなってきた。先輩巡礼者の多くは、到着しても「空虚だった」「現実に引き戻された」とさみしげに振り返っていたからだ。信仰心に乏しい私など、大聖堂を見るだけで、すっきりと日常世界に戻る心の整理がつくとは思えない。

出発から19日目の朝、サンティアゴに到着した。巡礼事務所で「これが最後のスタンプです」とポン、と手帳に押されると、意外にも「もう歩かなくていいんだ」という解放感に満たされた。体中をトコジラミに刺されたり、2時間おきに靴下を脱いで足を冷ましたりする日々ともおさらばだ。顔なじみの巡礼者たちも到着し、祝福し合った。

学校がある娘と妻は早朝、一足先に帰国した。部屋を出るとき、娘はぽろぽろと泣きながら黙って抱きついてきた。「大げさだよ」となだめて送り出したが、レオンで再会したときとの落差が、ちょっとうれしかった。

私も荷物をまとめてホテルを出た。本当に終わっていいのか。解放感はあったものの、もやもやした気持ちが残っていた。みんなどうやって区切りをつけたのだろう。大聖堂前の広場に向かった。

オーストリアの女性会社員(57)は「悲しく、寂しかった」と言葉を詰まらせた。リトアニアのスーパー勤務の女性(33)も涙をこぼした。そこまで心を揺さぶられて旅を終えようとしていることが、正直、うらやましかった。

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巡礼者手帳にはスタンプがいっぱい押された photo:Murayama Yusuke

巡礼者の中には、さらに85キロ西の岬フィステーラまで歩く人もいる。コロンブスの新大陸到達まで「地の果て」と信じられていた場所だ。道が海に消えてしまえば、私も納得できるかもしれない。もう一度、黄色い矢印をたどることにした。

サンティアゴを出るとすぐに団体客や落書きは姿を消し、再び、巡礼者の間に同志のような親しみが戻ってきた。

3日間歩き続け、出発から24日目の昼前、山道を抜けると、眺望が一気に開けた。雑木林の向こうに、海があった。

前を歩いていた人が下り坂を駆け出した。写真を撮っていた私の横を、別の巡礼者が小走りで抜き去る。「おーっ」という雄叫(たけ)びが聞こえた。今回の巡礼の旅で、海を見るのも、リュックを背負った人が走るのを見るのも、初めてのことだった。冷静に考えれば、走るのは体力の無駄だ。しかし私も気づくと、体が勝手に走り出していた。

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「地の果て」に沈む夕日 photo:Murayama Yusuke

いにしえの巡礼者は、フィステーラの海で体を清め、着てきた服や靴を燃やした後、地の果てに沈む夕日を眺めて巡礼に区切りをつけたという。ただ、不始末で大火事が起きた6年前から、燃やすのは禁止となった。せめて酷使してきた足を清めようと、私は裸足で海に入った。

火照った足には思いのほか冷たい。しばらく動けず、ビーチで大騒ぎする地元の子どもたちを眺めていた。ふと、娘の面影を探している自分に気づいた。

「そうだ、早く帰らなきゃいけないんだ」

何かを探しに出た旅ではなかった。だが今の私に必要なことが、はっきりとわかった。

ふだんの私は心で感じることをいつも頭で抑え込み、「心が求めるもの」がわからなくなっていた。でも自分と向き合って歩くうちに重しが外れ、心がむき出しになった。その心に突き動かされているうちに、たどるべき矢印が見えた。そんな瞬間だった。

地の果てに沈む夕日を見るまでもなく、520キロに及んだ私の巡礼は幕を閉じた。

 四国遍路とは

 四国四県にある弘法大師ゆかりの88寺院を回る約1400キロの旅。江戸時代は庶民のお遍路も増えたが、戦後の混乱期にほぼ消滅した。1953年に伊予鉄道(松山市)が団体バスツアーを実施したのをきっかけに復活した。各札所でつくる四国八十八ケ所霊場会の推計によると、年間遍路者数は約15万人にのぼる。

9割ほどがバスや車で回るが、愛媛大の四国遍路・世界の巡礼研究センター長の寺内浩(61)によると、90年代以降は歩き遍路も増えている。徒歩による前山おへんろ交流サロン(香川県さぬき市)の訪問者は、2000年度は612人だったが、07年度に3229人に。その後も3000人前後で推移している。世界遺産への登録を目指す動きも広がる。

 サンティアゴ巡礼とは

スペイン北西部の聖地サンティアゴ・デ・コンポステーラを目指す道の総称。聖地にはイエス・キリストの使徒の一人、聖ヤコブ(スペイン語でサンティアゴ)の遺骸がまつられている。エルサレム、ローマと並ぶキリスト教3大巡礼地の一つ。「フランス人の道」やポルトガル国内を北上する「ポルトガルの道」(約606キロ)などのほか、ドイツや東欧、北欧など欧州各地から伸びている。1993年にユネスコの世界遺産に登録された。

スペイン北西部の聖地サンティアゴ・デ・コンポステーラを目指す道の総称。聖地にはイエス・キリストの使徒の一人、聖ヤコブ(スペイン語でサンティアゴ)の遺骸がまつられている。エルサレム、ローマと並ぶキリスト教3大巡礼地の一つ。「フランス人の道」やポルトガル国内を北上する「ポルトガルの道」(約606キロ)などのほか、ドイツや東欧、北欧など欧州各地から伸びている。1993年にユネスコの世界遺産に登録された。

「聖ヤコブの日」の祝日725日が日曜日に当たる年は「聖年」とされ、この年だけ「聖なる門」が開放される。6年、5年、6年、11年の周期で該当し、次の聖年は2021年に来る。