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「なんもない」里山に可能性を見つけた クールな田舎をつくる仕事

Breakthrough 突破する力
里山サイクリングでも通る田んぼを背に。欧米の観光客らに人気だ。Photo: Toyama Toshiki
里山サイクリングでも通る田んぼを背に。欧米の観光客らに人気だ。Photo: Toyama Toshiki

7月、山あいの青々とした水田を背に、アイルランドとノルウェーの若い男性2人が、写真を撮りあい、ほほえんだ。「これこそ日本だ」

マウンテンバイクに乗る彼らと一緒にいるのは、米国の大学で学んだ日本人ガイド。時々立ち止まっては、古民家、わき水、稲作、神社など地域の文化を、流暢な英語で、楽しませながら説明した。

「なんもない」。地元の人がそう言う風景に可能性を見いだしたのが、山田拓(42)だ。山田が同市で経営する株式会社「美ら地球(ちゅらぼし)」は、英語を話すガイドと古い町並みや里山をめぐるツアー「SATOYAMA EXPERIENCE(里山体験)」を提供。サイクリングは3時間半のコースで7600円と安くはないが、昨年度の利用客は約3300人。8割が外国人だという。

「クールな(かっこいい)田舎をプロデュースする」。これが山田のめざすところだ。田舎がかっこよくなれば、若い人が住みたくなる。失われつつある地域の暮らしや伝統、風景も守られ、さらに魅力が高まる。「美ら地球」のスタッフ約15人の大半は都市部などからの移住者で、海外生活を経験している。

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英国から来た家族と雑談。事務所の壁には、トリップアドバイザーが毎年、高評価の施設に贈る「エクセレンス認証」が並ぶ。Photo: Toyama Toshiki

山田は奈良県生駒市のベッドタウンで生まれ育った。子どもの頃から海外への関心は強く、大学では北米発祥のスポーツ、ラクロスに熱中。大学院を修了後、米国系大手経営コンサルティング会社に就職した。入社間もなく社内の人事交流プログラムに選ばれ、米テキサス州のオフィスに赴任した。

同期入社で、IT企業「モンスター・ラボ」創業者の鮄川(いながわ)宏樹(42)は、「同期でも存在感があった」と山田を評する。おかしいと思うことは、先輩にもはっきり言う。「それって、何のためにやるの?」。本質的な問いをよく口にした。私生活も大事にし、オフにはサーフィンやスノーボードを楽しむなど、憧れだったアメリカ生活を満喫していた。

ただ、生き馬の目を抜くような米国のビジネスの世界は甘くない。生き残るためには、まず社内で自分を売り込み、自ら仕事を得ることが必要だった。せっかく声をかけられても、つたない英語で電話の会話がしどろもどろになり、ガチャン。人事担当者らに積極的にアピールし、ようやく仕事を得た。約1年半の米国勤務で「ミッション達成のために、やれることは何でもやってみるという気持ちのあり方が身についた」。

憧れの米国に感じた違和感

一方で、憧れだった米国のライフスタイルや価値観に、違和感も覚えた。大量の食べ物廃棄、エアコンの利きすぎ――

30歳で人生をいったんリセットしよう」。後に妻となる慈芳(しほ)とは、かねてそう話していた。帰国後に転職したコンサル会社を29歳で退職。慈芳と結婚し、2人で世界旅行に出た。 南米やアフリカなど28カ国を訪れ、大自然や小さな村での生活を満喫した。計525日間の半分はテントで寝泊まりした。最も長く滞在した南アフリカでは、馬に乗って、車の入れない小さな集落をめぐる23日のツアーに参加。観光地とは異なる、自然と共につつましく暮らす地元の人々に接することができた。この経験が、後に「飛驒里山サイクリング」につながった。

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世界旅行で2004年に訪れたペルーで、民族衣装をまとって妻の慈芳さんと(美ら地球提供)

旅は、これまでの生活を見直すきっかけにもなった。ろうそく1本の明かりは、周りが暗ければとても明るかった。「モノを持つことに対する考えが、がらっと変わった」。旅を終えるまでに、慈芳とこれだけは決めた。「日本に帰ったら、田舎に住もう」

理想的な田舎を探すなか、旧古川町(現飛驒市)で観光協会長を務めた村坂有造(72)を、知人から紹介される。伝統的な暮らしが残る飛驒古川は、思い描いていた通りの田舎だった。だが、村坂は、「悪いことは言わないから」と移住を思いとどまるよう伝えた。冬の厳しさも知らなければ、慈芳が身重だというのに、生活基盤もない。無責任に「どうぞ」とは言えなかった。

それでも山田は、村坂を再三訪ねた。印刷会社を経営していた村坂に、外国人観光客向けのガイドブック発行の企画書を持参。「世界に通じる飛驒市に」と訴えた。日本の原風景ともいえる里山の暮らしが残るここは、世界各地で出会った旅人たちの好奇心を満たすと考えたのだ。

山男のような風貌で、理路整然とデータを示しながら、世界的な視野で語る山田に、村坂は「面白いな」とうなった。当時、村坂は飛驒市観光協会の会長を頼まれていた。山田がアドバイザーとして就くことを条件に、会長就任の要請を受けた。

地域に受け入れられてこそ

2007年、山田は「美ら地球」を立ち上げ、翌年に同市中心部の古い町家に移住した。業務はこれまでの経験を生かした、企業や自治体向けのコンサルティングだ。

ところが、観光協会として「世界に通じる」基本計画を立てたものの、外国人旅行客が地域の暮らしに触れられるようなサービスを提供する事業者は現れなかった。これまで経験のなかった一般顧客向けサービスに「仕方なく」乗りだし、里山サイクリングを10年から本格的に始めた。

結果はすぐには出ない。サイクリングの初年度の参加者は約150人だった。銀行から借金をし、創設時からの社員の給料を大幅に下げた。自分と妻の収入も、年収に応じて決まる子どもの保育園代が無料になるほど下がった。「三度の飯より多く、やめようと思った」 ただ、山田が確信していた通り、里山体験ツアーは欧米などの旅行客に徐々に広がっていった。世界的な旅行口コミサイト「トリップアドバイザー」には現在、利用者の投稿が700件以上あるが、ほとんどが5段階評価の最高点をつけている。あるコメントが、外国人客にとってのツアーの魅力を象徴的に語っている。「美しい田舎の自然と暮らしだけでなく、フレンドリーな地元の人たちとの人間的なふれあい……

ニュージーランドから来た酪農業の男性はサイクリングの途中、ガイドの通訳を介して、地元の農家と牛の飼い方の違いについておしゃべりしていた。旅行客と会話するために、80代で英会話の勉強を始めた農家のお年寄りもいる。

山田は古民家の手入れをするボランティアを組織するなど、地域貢献も大切にしてきた。町内会など数ある地域組織の寄り合いには、可能な限り顔を出し、あまり口は出さないようにしている。「基本は地域のやり方に自分が学ぶ。面倒に思える地域のルールにも、意外と合理性がある」。保守的な土地柄で、地元の人たちがツアー客に好意的なのは、山田たちの姿勢が受け入れられてきた証しかもしれない。

地元に生まれ育っても一生に一度あるかないか。そんな晴れ舞台が、今年4月、山田に訪れた。ユネスコ無形文化遺産に登録された古川祭。勇壮な「起し太鼓」で、山田は地区から選ばれ、櫓の上に乗った。移住から10年目。「僕はずっと『よそ者』でいいと思ってる」。クールな山田はそう言いつつ、地域にしっかり根を張っている。(文中敬称略)

Profile

  •  1975 奈良県生まれ
  •  1993 横浜国立大工学部入学
  •  1999 同大学院工学研究科修士課程修了。米国系経営コンサルティング会社に就職し、米国で勤務
  •  2001 日本に帰国し、フランス系経営コンサルティング会社に転職
  •  2004 結婚後、妻の慈芳さんと世界28カ国、計525日間にわたる世界旅行
  •  2007 岐阜県飛驒市観光協会の戦略アドバイザーに就任。インバウンド・ツーリズム戦略の策定に関わりながら、経営コンサルティングを業務とする株式会社「美ら地球」設立
  •  2008 同市に移住
  •  2010 飛驒里山サイクリングを観光客向けの事業として開始
  •  2013 「地域づくり総務大臣表彰」を受ける
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Memo

スポーツ子どもの時からラグビー、陸上競技、サッカーなどスポーツに親しんだ。大学時代はラクロス部で主将。大学院時代には日本代表チームのコーチを務めた。趣味では学生時代からスノーボードやマウンテンバイクを楽しみ、トライアスロンのアイアンマン・レースも完走した。

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大学院時代からトライアスロンのレースに出場している。いまも多忙な仕事の合間をぬってトレーニングを欠かさない(美ら地球提供)

美ら地球夫婦で世界を旅した時、ブログで旅行記を子ども向けに発信する企画を立て、企業のスポンサーを得ることに成功。そのブログのタイトルを、トライアスロン大会で訪れた沖縄の「美ら島」という言葉にちなんで「美ら地球回遊記」とした。社名は「考えるひまもなかったので」と、ここから取った。

家庭…子どもは小学5年の長女と小学2年の長男。「子どもは自然の中で育てたい」というのも、移住した理由の一つだった。地域の人たちと関わったり、畑で野菜を育てたり。「特に幼少期はいいと思う」