「空気とか大変そうだね。気をつけてね」
今春の異動で、私は妻と子どもと一緒に以前の勤務地の上海から北京に引っ越した。
冒頭の言葉は、妻が上海の日本人の友人からかけられた声だ。しかも1人や2人ではないという。悪気はないのだろうが妻は大いに影響され、心配した。
北京といえば大気汚染――。そんなイメージを持つ人は少なくないだろう。2010年代、灰色にくすんだ空の下、高性能マスクを着けた人たちが街を歩いていた映像はいまだに日本人のまぶたに焼き付いているようだ。
「今はみんなが思うほどひどくはないよ」と妻をなだめたが、どうにも響かない。
妻は北京に行ったことがなかったが、私は出張で何度も行っていて、上海と大差ないと感じていた。昔の北京を知る人が「だいぶよくなった」と話すのも聞いていた。実際はどうなのだろう。
劇的改善、背景に国の強硬策
過去のデータの推移を調べると、大気汚染を引き起こす汚染物質は大幅に減少していることがわかった。
たとえば、微小粒子状物質(PM2.5)。北京市生態環境局によると、北京で観測が始まった2013年以降減り続け、2022年の平均濃度は1立方メートルあたり30マイクログラム。10年間で66.5%減少した。
その他の主要汚染物質もそうだ。PM10は50%、二酸化窒素は58.9%、二酸化硫黄は88.7%減少し、軒並み改善。中国の基準では2022年の空気の質は8割が「優」と「良」だった。
海外のデータを見ても改善傾向である点は変わらない。国連環境計画(UNEP)は、北京の大気汚染に対する過去20年間の取り組みに関する2019年の報告書で、「このような偉業を成し遂げた都市や地域は、地球上どこにもない」(ジョイス・ムスヤ前副事務局長)とたたえた。
急速な改善の背景には中国ならではの特色がある。
中国政府は2010年代から環境対策に本腰を入れ、主な汚染源である工場を郊外に移した。自動車は段階的に排ガス規制を厳しくし、電動化も奨励。暖房用の石炭ボイラーや石炭火力発電も更新が進んだ。
これらを一気呵成(いっきかせい)に進められたのは国主導で強硬策がとりやすかった中国の政治体制が理由の一つとの指摘がある。
中でも大規模な工場移転は日本などにはなかなかまねできない力業だ。北京市によると、2014~2023年の10年間で周辺の河北省などに移した工場は3000にのぼる。対象はれんが、セラミック、鋳造など幅広い。
海外には及ばない現実も
市民はどう感じているのか。市内中心部に住む1児の母、範さん(41)は汚染が一番ひどかったころ息子(11)がまだ幼稚園に通っていた。当時、家族はみな鼻炎のような症状が出て、汚染がひどい日はくしゃみが止まらなかったという。
大型の空気清浄機を買って家に置き、とにかく外出を減らした。子どもが通う幼稚園は徒歩5分の距離だったが車で送り迎えをした。「できるだけ外気を吸わせたくなかった」との思いからだ。
2017年ごろから改善を実感するようになった。いまでも冬場に大気汚染が悪化することや、春と秋に飛来する黄砂は「どうしようもない」と諦め気味だが、現状には「それなりに満足している」という。市民の肌感覚でも一定の改善があるのは確かだ。
ただ一方で、外国と比べるとまだまだ開きがあることは否定できない。北京のPM2.5の平均濃度は現状でも、WHO(世界保健機関)の目標値の6倍にあたる数値だ。実際、子どもが通う学校では大気汚染の状況によって、屋外活動を制限する日もある。北京で人々が汚染を気にしないで暮らしていけるようになるまでには、道のりは遠いのが現状だと言える。
中国政府が昨年12月に発表した最新の行動計画では、2025年までに全国主要都市のPM2.5の濃度を2020年比で10%減らし、深刻な大気汚染が発生する日数を全体の1%以内に抑える目標を掲げる。
これまで五輪などの特別なイベントの際には、工場の操業停止や人工降雨などの手法で「北京藍(ブルー)」とも呼ばれる青空を達成したこともあるが、小細工なしで青空を実現する継続的な努力が求められる。