■雪山がくっきり ロサンゼルス
写真をツイッターに載せると、「初めて見る光景」「空気がおいしい」「重要なのは何を学ぶかだ」など、LAに住む人たちからの書き込みが相次いだ。メディアも大々的に報じ、シングトンの写真も使われた。ニューヨーク州がある米北東部でも大気汚染の改善は認められ、SNS上では「コロナは地球には優しい」「人が止まれば地球が健康に」などのコメントが飛び交った。
それから約3カ月後。再びの感染者急増で改めて強化された外出制限などを受け、「きれいな空気はなんとか維持している」とシングトン。ただ、「コロナ自粛による偶然の出来事だ。経済が活発になれば再び元に戻るだろう」とし、「きれいな空気を保つには人々の意識的な努力が必要だ」と強調した。
■青空が戻った インド
このような現象は世界各地で同時に現れた。大気汚染が深刻なインド。米航空宇宙局(NASA)が公開した大気汚染物質の定点観測データによると、2016年からの4年間の平均値との比較で、コロナ自粛期間中はインド全土で劇的な改善が見られた。インドを代表する環境政策のシンクタンクCEEWの調査では、全土のロックダウンが始まった3月25日以降、首都やムンバイ、チェンナイなどの各都市でPM2.5(微小粒子状物質)が30~50%減少した。
CEEWのアルナーパ・ゴッシュ(42)は、「交通量の激減と工場の稼働停止が大きな要素となった。特に車の量が減ったことで道路上の汚染物質の濃度も改善した」と分析。「首都ではロックダウン後2週間で、あっという間に空気がきれいになった。もう見ることはないと思っていた青い空が戻り、夜空には星が広がった」と驚いていた。
北部パンジャブ州では、都市部から数十年ぶりにヒマラヤ山脈がくっきり見えたことが大きな話題になった。人口13億5千万人のインドの平均年齢は27歳。初めてヒマラヤを街から遠望した若者が多かったという。
■星空は長続きするか 武漢
新型コロナの感染が世界で最初に拡大した中国有数の工業都市・武漢。1月に都市封鎖されて工場が止まり、空気がとてもきれいになった。市内に住む女性(66)は最近、夜の散歩が楽しみだ。「星空が見えるようになったから」。散歩後ののどの不快感も消えたという。
中国全体でも、PM2.5などの有害物質の濃度が下がった。中国生態環境省大気環境局長の劉炳江は記者会見で、「二酸化窒素(NO2)の濃度は1990年代のレベルまで低下した」と話した。
ただ、4月に武漢の封鎖が解除され、工場再開が徐々に進む。中国では、経済発展が共産党統治の正統性を示し、地方幹部の昇進評価の材料にもなる。環境より経済が優先されがちだ。再び汚染がひどくなる可能性もあるが、女性は「工場を長期間止めるなんて非現実的。しっかり対策すれば問題ない」と冷静だった。
■指数が示す空気のきれいさ 日本
国際的にも空気が比較的きれいで、今回の環境変化を実感しづらかった日本でも、データを見ると、各国と同じような改善が現れている。
情報通信研究機構(NICT)が開発した大気のきれい度の高さを示す指数「CII(クリーン・エア・インデックス)」によると、3~5月の日本全国の数値は、過去5年の各月の平均値をいずれも上回った。北海道や東京、大阪や福岡など、感染者が多く外出自粛が進んだ地域で改善が目立つ。
CIIは、二酸化窒素といった特定の大気汚染物質の観測から大気のきれい度を分析するNASAなどの衛星データと異なり、オゾンやPM2.5など複数の汚染物質を総括的に計算して数値化しており、空気のきれい度がより正確に分かる指数となっている。0だと環境省が定める基準を下回るほど空気が汚く、1だと完全にきれいな状態にあることを示す。
特に5月の日本全国の平均値は0.761(昨年5月は0.711)で、前年同時期との比較では最も改善幅が大きかった。ただ、経済活動の再開とともに、6月はすでに昨年と同水準まで空気の状態は戻っている。
肌感覚では分かりにくい変化だが、この大気の変化を視覚化したのが気象情報会社のウェザーニューズだ。全国の会員が撮影した今年3月と昨年3月の空の写真、約20万枚をAI(人工知能)を使って分析。空の色は昨年よりも青色が濃くなっていた。
■運河で魚群が鮮明に ベネチア
改善したのは空気だけではない。イタリア有数の観光地、「水の都」ベネチアでは運河の水路の透明度が増した。環境グループ「ベネチア・プリータ(きれいなベネチア)」代表のマルコ・カポヴィッラ(41)は3月、SNSで写真を見て「あり得ない」と驚き、家を飛び出して動画を撮った。普段はにごっている水路は底まで透け、魚の群れがあちこちで目視できた。
住民約5万人の街に訪れる観光客は年間約3000万人。受け入れ能力を超えるオーバーツーリズムが問題となってきた当地だけに、コロナ禍の影響で観光客が激減し、大量のボートが運休したのが大きかった。日常生活でも使われている水路だが、外出自粛で公共交通の利用も減り、透明度の向上につながったと考えているという。
今回の空気改善のメカニズムについて、九州大学応用力学研究所主幹教授(気候変動科学)の竹村俊彦(46)は「外出制限の影響が大きく、日常生活に近いところでの大幅削減だった」と推測する。
先進国ではすでに大気汚染物質はかなり減少したが、窒素酸化物(NOx)などから生成される光化学オキシダントの問題が残っていた。それが外出自粛で、NOxの主要な排出源である車の利用が減り、特に車社会のLAでは、肌感覚で分かるほど大気がきれいになったと考えられる。いまもPM2.5などの汚染物質が問題となっている途上国でも同時に劇的に改善したのは、コロナの大流行で、これまでに例を見ない世界規模の外出制限がとられた結果だった。
ただ、2008年のリーマン・ショック直後にも同じように環境が改善したが、工場など企業活動からの排出量の減少が大きかったとみられており、経済が上向くと再び大気汚染は悪化した。
地球の環境が昔のように戻ることはあり得るのだろうか。今年も九州などで豪雨災害が発生し、80人以上の命が奪われたが、地球温暖化や気候変動がその原因の一つになった可能性が指摘されている。
「いまの人が生きている間には戻らない。それだけ深刻だが、適切な対策をすれば、100年後にはかなり戻せると思う。子や孫の世代のためにも手遅れではない」と竹村。環境問題を「自分事」と意識するうえで、実際に環境が改善することを世界同時に目の当たりにした今回の現象は貴重だったと強調した。
在宅勤務など生活の変容も環境に優しい要素があるという。「経済と環境は対立軸だという人が圧倒的に多いと思うが、必ずしもそうではない。できる範囲で取り組めることがあるのではないか。これを機に考えていくことが重要だ」(山本大輔、益満雄一郎)