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『パンデミックを生きる指針』藤原辰史氏に聞く「コロナで見えた本当の危機」

World Now 更新日: 公開日:
京都大の藤原辰史准教授=目黒隆行撮影

コロナ危機で注目を集めた論考の一つに、ウェブサイト「B面の岩波新書」に掲載された「パンデミックを生きる指針――歴史研究のアプローチ」がある。筆者の京大准教授・藤原辰史さん(43)は、農業史を専門とする歴史研究者だ。100年前のスペイン風邪から得られる教訓を振り返り、甘い希望を抱かずに現実を直視することの重要性を説く。そして、「危機の時代は、これまで隠されていた人間の卑しさと日常の危機を顕在化させる」とつづった。4月の論考公表後にも様々な問題が噴出し続けているコロナ危機で見えてきたものは何なのだろうか。7月、京大の研究室を訪ねた。(聞き手・目黒隆行)

■歴史を参照して考える

――コロナ危機の中で、何が見えてきたのでしょうか。

災厄というものは、人間に対して平等に害を与えるものではない、ということです。感染リスクが高い人たちというのは、そもそも低賃金に抑えられている労働者の人が多かった。看護師や介護職員、ごみ収集の仕事をしている人たちなどが一番リスクの高いところで働いているのに、ずっと私たちの経済は賃金をけちっていた。そういう事実がどれほど隠されてきたのか、改めて気づきました。

家で在宅勤務ができる人の生活は、そういった人たちの仕事がないとそもそも成り立たない。でも、その逆はどうでしょうか。そういう意味で、社会が放置してきた不平等な構造というものが、本当にはっきりと人々の前にさらされたという印象があります。

――「パンデミックを生きる指針」を4月に読んだとき、歴史研究者としての決意、強い思いを感じました。

はじめは岩波書店の編集者から頼まれて軽い気持ちで引き受けたんですけど、新聞やテレビ、ネットで情報を収集しているうちに「こんな大変なことはさらっと書けるものじゃない」と気付きました。冷や汗かきながら色々なことを調べて。3月のあの頃は、刻一刻と状況が変わっていたので、やっぱり自分自身も動揺しているところがありました。

けど、待てよ、自分は歴史を研究してきたんだ、と思い直して、目が覚めました。いったんこの現実の激しい動きから身を引いて、歴史を参照して考えたら少し冷静になれるんじゃないかと思ったんです。

『カブラの冬』(人文書院)という本を2011年に出版していまして、第1次大戦時にドイツで飢えた人々の歴史を書いたんです。飢えが激しかった時期に、スペイン風邪もすごくはやっていたことは知っていたので、調べ直してみました。すると、今の状況を理解するのに役立つし、つながっていることが多かった。歴史から学べることに絞って書き始めたのがあの文章です。

――とても大きな反響があったと聞きました。

あれでがらっと生活が変わりました。感染が拡大してきて講演や研究会が軒並みキャンセルになって、ゆっくり勉強でもしようと思っていたんですけど、間髪入れずに取材が次々に入り……。反響は予想だにしていなかったですね。

――4月は誰もが不安で、分からないことが多い時期でした。

あの文章には幸せなことは全然書いていません。これから第二波、第三波がくるとも書いて、暗いことばかりなんです。でも、暗いことを見つめ直すと、ある意味人は元気出るというか、そう受け止めた方が多かったですね。鬱々(うつうつ)としていたけど、腹をくくれましたという声もありました。

■公文書を平気で捨てる国

――特に、政治に対する強い危機感が印象に残りました。そこも意識していたのですか。

そうですね。今一番必要なのは、確かな知識です。危機の状態で、確かな情報というものは、その発信源が信頼されているものでない限り混乱をもたらします。命に関わるわけですよね。

ところが、いまの政治状況をみて、この人たちは本当に信頼できる政治をしてきたのか、ということがずっとありました。安保法制、秘密保護法などでは社会運動に関わってきましたけど、それをおいても、(財務省近畿財務局の)赤木俊夫さんの自殺にも見られたように、部下に公文書を平気で書き換えさせ、捨てる国ですよね。そんな記録にずさんで自省の苦手な政府が、これだけの危機にどれだけ腹の据わった提案と発言ができるか、私は全然期待できないと思いました。過去を振り返り、現状を分析し、未来を展望するという政治の基本がそもそもほとんど機能していない中で、こういう状況を迎えたことに対する希望の無さというのは、正直に書こうと思っていました。

――希望の無さ、ですか。

ええ。こういう危機の時って強い政府が出てきて、聞こえのよい言葉で人を鼓舞して「大丈夫だよ」と言ってくれるのを人々は望むんですけど、たとえそんな政府が出てきても、ちゃんとデータに基づいて、検証してやっていなければ、意味がない。

■文化は密な世界から生まれてくる

――その後特に関心を持って見ていることはありますか。

見えてきたものは結構あります。私もコンサートホールで音楽を聴いたり、映画や劇を見に行ったり、写真展に出かけたりしてきましたが、写真家の友人もいてよく話もするけど、結構な数の人が文化を「不要不急だ」とみなし、文化とか人文学とかの視点を軽んじ、医学の知の方にふらふらっと寄っていきました。医学や疫学の専門家が語ることは大変役に立ちますけど、それで十分に今の危機を言い尽くしているわけでもないですよね。

観客、演奏者ともに間隔を空けて開かれたコンサート=2020年6月13日、名古屋市中区の宗次ホール、山本正樹撮影

その一方で、芸術表現が持つ力がありますよね。生の振動みたいなもの。ああそうか、こういう振動というものをずっと支えにして、人生のつらいところを乗り越えようと思ったり、もっと人生に厚みを持たせようと思ってきたりしたんだ、ということを感じました。ナマで心臓に迫ってくる何か、というのはやっぱり「3密」じゃないとだめで、文化というのはやはり密な世界から生まれてくる。こうやって人と近い場所で水分を飛ばしあいながらともにいる場所が、文化の生まれる場所だった。

■隠されていた暴力のありか

二つ目は、世界各地で抗議運動が起こっていることは、歴史的にみて、非常に大きい。100年前のスペイン風邪の時も、感染者が少しずつ増えている時に日本では米騒動をやっているんですね。列島各地で米価の急騰に対して市民が抗議運動をしている。これだけ大規模な同時的抗議運動は日本列島で初めてだと思います。

スペイン風邪よりも第1次大戦の影響の方が大きかったですけど、多くの人々が「こんな政府では飯を食わしてくれない」として打倒されたり、退位したりした王家もありました。ロシアのロマノフ王朝、ドイツのホーエンツォレルン家、それからオーストリア=ハンガリーのハプスブルク家。危機の時代は政治の変革の時代です。

今回も、デモをすることは3密だとか言われながらも、何らかの形での異議申し立てというのが世界各地で出てきました。(「パンデミックを生きる指針」では)異議申し立てを絶対に自粛してはいけないと書きましたけど、抑えがたい民衆の怒りが次々と各地で噴出してきたというのは、この時代を知る上で重要だと思います。

米オレゴン州ポートランドで、人種差別への抗議デモに集まった人々=8月1日、園田耕司撮影

なぜ噴出してきたのかというと、やっぱりコロナが明らかにしたということが大きい。いままで構造的に、そして持続的に暴力を受けていた人々、つまり直接的な血の出る暴力だけではなくて、社会で言葉を通じて暴力を受けていたり、性差別という形でずっと嫌な思いをしていたり……構造的に振るわれてきた暴力がふっと明らかになった。これまでもずっと存在していたものですけれども、それがすごく見えるようになった。BLM(ブラック・ライブズ・マター)もそれが発端となって、奴隷制の時代から延々と続いてきた、経済構造の不平等への不満が噴き出してきた。

コロナで日々事態が動くから、新しいことばかりでめまいがするようだと言う人がいます。でもそんなに新しいことじゃないんですね。ノルウェーの平和学者ヨハン・ガルトゥングの言葉を使うと、今までずっと私たちの中に存在していた「構造的暴力」が明らかになり、それに対する不満が抗議という形となって現れているのです。

象徴的なのは、英国南西部のブリストルで銅像が引き倒されましたよね。奴隷貿易に関わっていたエドワード・コルストンの。ああいう形で歴史がぼこっと浮かんできたんですね。ニュースを見ていたら、黒人の女性が「私は毎日この像の前を通って通勤してきた。それがどういう意味か白人にはわからない」ということを言っていました。この女性は、暴力の象徴だった人が立派な人として飾られていることを毎日意識せざるを得ない。しかし、白人は意識しないこともすることも選択できるんです。そういう意味で、コロナは隠されていた暴力のありかを教えてくれています。(続く)

【後編】『パンデミックを生きる指針』藤原辰史氏が問う 変革を待つより、自分が動こう