2023年5月19日、インド西部プネを発ったエアアジア機が、ニューデリー空港に着陸した。
「歴史的な瞬間を目撃し、大変喜ばしい」。こう出迎えたのは、ハルディープ・シン・プリ石油天然ガス相(72)。インド初の自国製のSAFを使った旅客フライトだった。
SAFを開発、生産したのは、バイオ技術企業のプラジインダストリーズだ。プネにある同社の研究開発施設で責任者のアーモド・ナトゥさん(39)がSAF生産用の試験プラントを示した。「ここでSAF用のエタノールを生産しました」。ガラス越しに見ることだけを許されたが、中では張り巡らされた配管が銀色に光る。
同社は2015年からSAFの開発に着手。このフライトでは、国営石油元売り会社のインディアンオイルが精製した航空燃料にSAFを混ぜて飛んだ。
プラモド・チャウダリ会長(74)は「国内需要に加え、インドは欧州と極東アジアの中間にあり、(国際線の)給油地点にもなる」と期待する。海外の石油会社や航空機メーカー、航空会社からも問い合わせが相次いでいる。
世界第3位の航空市場 サトウキビ由来の燃料有力
政府系の調査機関、インドブランド資産基金(IBEF)の報告書によると、インドの航空市場は米国と中国に次ぐ世界3位に成長した。
2000年に50カ所だった空港は2023年には148カ所に増えた。インドの航空各社が所有する航空機は2021年に712機でこの20年で3倍以上に増えた。2022年度の旅客数は3億2700万人。日本の3倍以上の規模で、2036年までに4億8000万人に増えると見込む。
そんななか、政府は2023年11月、SAF混合の航空燃料を2027年に導入する目標を発表した。当初は国際線から始める方針で準備を進める。業界でも、航空大手のスパイスジェットが別の企業とSAF開発を進めるなど、動きが加速する。
SAFの原料には、サトウキビ由来の糖蜜やしぼり汁が有力だ。製糖の過程で出るもので、これまで廃棄されていた。
プラジ社によると、稲わらも候補だ。インドでは、コメの収穫後に焼却されて大気汚染の一因になっている。すでに同社はインディアンオイルと稲わらから自動車用にガソリンに混ぜるエタノール燃料をつくる工場を設立。別の国営石油元売り2社とも同様の事業を進めている。
「農家も(SAFの原料になれば)飛行機を見て誇らしいだろう」とチャウダリ会長は語る。
日本を含む100カ国以上で事業を展開する同社は、エタノールやイソブタノール、圧縮バイオガス、バイオディーゼルといったバイオ燃料の原料となる1万1500ものサンプルをテストしてきた。
サトウキビ、穀物やでんぷん、農業残渣のバイオマス(生物資源)や動物油脂など多岐にわたる。
日本ならコメ、欧州は小麦、と地域ごとに入手しやすい原料には違いがある。原料調達から生産に至るまでの課題を解決するために、様々なニーズに対応する。ナトゥさんが研究施設で見せてくれたサンプルには、廃食油もあった。
屋台の揚げ油をバイオ燃料に 課題は供給網
インドにも、廃食油を使ったバイオ燃料を手がける企業がある。先駆的な企業の一つが、ユニコン・フィブロ・ケミカルズだ。
「レストランやホテルから集めてきた廃食油です」。インド西部の町マハドにある工場で、シッダールタ・プラダン取締役(40)が茶色く濁った液体を見せた。ビーカーに顔を近づけると、焦げた揚げ物の臭いがした。
溶剤や触媒を加えて精製すると、黄色く透明な液体が分離される。バイオディーゼルとなるメチルエステルだ。
同社はもともと、ポリエステルやナイロン生産用の石油を精製していた。だが、2008年に原料となる原油の価格が1バレルあたりで100ドルを突破した事態を受けて、新規事業を模索。創業者の息子であるプラダンさんが2013年に、廃油を使ったバイオ燃料生産の可能性を思いついた。
製法を自社で開発し、2015年に始めた当初、年間1000キロリットルだった生産量は3000キロリットルに増えた。国営石油元売り各社に販売している。
プラダンさんはSAFについて、別の生産設備が必要としながらも、関心を示す。カギは原料の入手だという。
「インドでは廃油に対する意識が低い。ほんのわずかしか使えていない」。同社は現在、レストランやファストフード店など約10社から仕入れているが、圧倒的に多い街中の屋台や食堂まで供給網を広げるのは難しいという。
ムンバイで庶民の食堂が集まる一角を訪ねた。深い鉄鍋の中で、インド定番のスナックが香ばしく揚がっていく。
シュバシ・グプタさん(40)の店は、カレー味のジャガイモを衣に包んで揚げるサモサを「1日に1000個売る」人気店だ。繰り返し使う油はどうするのか。グプタさんに尋ねると、「処分している」。バイオ燃料に再利用もできると話を振っても「興味ないね」と素っ気なかった。
政府は、2070年までの温室効果ガス排出のネットゼロを掲げる。SAFを含むバイオ燃料は柱のひとつだ。
ナレンドラ・モディ首相は2023年9月、G20サミット(主要20カ国・地域首脳会議)の議長を務めた際に「世界バイオ燃料同盟」を立ち上げた。メンバーの19カ国には、米国やブラジルなどG20の国々に加え、バングラデシュやモーリシャスなどグローバルサウスからも招いた。
自前の技術や設備のない国々でもバイオ燃料を普及させるため、リーダー役を果たしたいとの思惑と自負がのぞく。
「EV増やせば、CO2減」とはならない事情
バイオ燃料をめぐるインドならではの事情を指摘するのが、ニューデリーにあるエネルギー資源研究所(TERI)のビバ・ダワン事務局長(63)だ。
欧米や中国と違い、インドの四輪の新車販売に占める電気自動車(EV)の比率は約1%にとどまる。価格の高さや充電インフラの不足が理由だが、ダワンさんによると、現状では、EVが増えても必ずしもCO2は減らないという。
政府の統計によれば、発電量の約75%は化石燃料から。「CO2を出す場所が、EVの走る(大都市の)デリーから(EV電池を充電する)電力を発電する場所に移るだけです」
つまり、車にバイオ燃料を使う方が、当面はCO2削減に効果的だという。政府は2025年度までにガソリンに混ぜるバイオエタノールの比率を20%に上げる目標を掲げる。こんな状況がインドのSAFビジネスの成長の基盤となっている。